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知的障害者に対して、どのように「運動×目に見える結果」を提供するかという、施設内での課題
私が勤務する障害者施設には知的障害者しかおりませんが、その個別支援計画でよく見かけるのは「適度な運動をする」です。知的障害者は言葉や学習の発達の遅れだけでなく、てんかん発作や糖尿など、色々な疾病を併せ持っている場合が多く、思い切り身体を動かす機会を増やせないネックになっています。そのため「運動」がニーズに挙がるのでしょう。 -
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アナログゲームを通じて発達障害を体験したら、自分の行動の癖に気づいた ーPlus-handicap Session #12レポート
「発達障害」がメディアで取り上げられることが増え、私たちはそのイメージをなんとなく共有していますが、そのイメージを感覚的につかむことは難しいものです。そこで、今回「発達障害を体験する」ことを目的に「アナログゲーム王決定戦ーゲームを楽しみながら、発達障害を知る・体験してみるーPlus-handicap Session #12」を開催しました。 -
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誰を愛して、どんな人生を歩んでいきたいか。それが「性」だということ。デンマーク留学記⑬
この連載は「ワカラナイケドビョウキ」という不思議な病気になり障害をもった私が、ノーマライゼーション発祥の国デンマークに留学する1年間の放浪記です。デンマークでゴロンゴロンでんぐり返しをしながら「障害ってなんだろう」と考え […] -
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見えない障害の見分け方って支援者でも難しい。
今、私は障害者支援の仕事をしていますが、実は高校3年の3学期まで「知的障害者に触られると、うつる」と思っていました。もちろん、そんなことはありえないことと分かりましたが、気持ちとしてはそれくらい強い抵抗感と偏見を抱いていました。しかし、この仕事に就いて1年半以上が過ぎ、少しは知的障害者の特性も理解してきました。 -
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障害者に一番偏見をもっているのは、親と先生かもしれない。
知的障害を持っていても、年収1000万稼いでいます。皆さんはこのフレーズを読んでみて、どう思いましたか?素直に納得できる方はほとんどいないのではないでしょうか。「そんなはずない」と感じた方も多いのではないでしょうか?私自身、障害児教育の現場に従事していますが、その反応のとおりで、そんなはずありません。 -
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ハダマールとベーテル。障害者の命を見つめたドイツの街。デンマーク留学記⑫
フランクフルトから列車を乗り継ぎ2時間弱。私はハダマールという町に向かいました。ここは大戦中にナチスが障害者とユダヤ人に対する安楽死計画を実行した病院があります。生きるに値する命と、生きるに値しない命を選別し、病院内のガス室に送り込む。ふたを開けてみれば優生思想に加え、社会福祉に掛けるお金がないことを理由にした虐殺でした。 -
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自分でヘルパーを雇い、育てる、パーソナルアシスタント制度って? デンマーク留学記⑪
「寝たきりになります」とお医者さんに言われたときに、ふと想像したのは家の天井でした。白い部屋に置かれた介護用べッドで、ひとり天井を見上げる美女のわたし。わたしはずっと真っ白な天井を見ながら生活するのか。うーーーん。いやだな。いやだな、なんて言ってもしょうがないから受け止めるしかないか。でも、やっぱり……いやだな。その「いやだな」があったから、デンマークに来ました。 -
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ニュージーランドに行ったことで見えてきた、日本のお母さんって実はすっごく生きづらいんじゃないかという話
ニュージーランドの教育や保育が日本で注目され始めていると聞き、ワーキングホリデー先にこの国を選んだのですが、来てみてビックリ!日本にいた時から感じていた「日本のお母さんたちの生きづらさ」が自分が思っていた以上のものなんじゃないかと感じるような「子育てのギャップ」を目の当たりにしています。 -
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精神疾患は弱いひとがなるものですか?デンマーク留学記⑩
精神疾患は、自分とは遠い世界の話だと思っていました。でも、24歳の夏に、私は一ヵ月だけその世界を覗いたことがあります。そこは空間が曲がったパラレルワールド。「やばいやばい」と病院に駆け込み、薬をもらい、なんとか解決できたので、「鬱になった」という表現はトゥーマッチだと思います。そのたった1カ月、不思議の国に迷い込んだ、という感じです。 -
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足が悪いのにすごいねって何がすごいの?「障害がある」というフィルター越しの評価。
まだ小さかった頃を思い出すと、よく「頑張れ」とか「負けるな」とか「すごいね」とか、そんな声かけをもらうことが多かったように感じます。普通に頑張っているだけなんだけどなあ。何に負けそうなのかなあ。声かけの言葉の前に、それぞれ「障害があるのに」「障害があっても」という枕詞があったことを知ったのは、小学校高学年になってからでした。