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lifestyle
ステッキユーザーの私が、子育て生活を実現するために数年がかりで準備したこと
「いつかは子どもが欲しいね」夫とその話をしたのは、私が26歳、結婚して2年ほど経った頃でした。私は大学生のときに交通事故に遭いました。その事故の後遺症のため、現在も杖が必要な生活を送っています。出産に関しては、事故当時、主治医から「子供は産めるだろう」と言われていたものの、本当に産めるのか。産めたとして、育てられるのか。不安はたくさんありました。 -
human
交通事故で頸髄損傷になった私が最初に感じた困難。コミュニケーション。
ICU(集中治療室)での夜、ついに気管挿管を選択した私。私の記憶だと目覚めたら痰の苦労からは解放されて楽になっているはずだったのですが、そんなに甘くはありませんでした。事故にあって以来、私の体のなかで唯一動かすことができた表情を自由に動かすことができず、また顔面にこんなにもガッチリとテープを貼られ、痛くて痛くて。 -
human
交通事故で頸髄損傷になった私が最初に感じた死の恐怖から迫られた選択
事故から1週間後に受けた手術。その後の合併症でで一般病棟からICU(集中治療室)行きになった私。ICUに入っても、痰の調子は相変わらずでした。ただ、私のいたICUと一般病棟の違いは、ナースステーションと病室が一体化されているような造りだということ。スタッフの気配が感じられるだけでも、安心感は格段に違うものです。 -
human
たった一度の人生を、目一杯生きて。岡崎愛子さん講演会「それでも前に進むーJR福知山線脱線事故が私に教えてくれたこと」
いつもの時間に、いつもの電車に乗って、いつも通り通学するはずだったー。 誰にとっても当たり前の日常が突然崩れ去ったのは、2005年4月25日のこと。JR西日本管内のJR福知山線で、電車がカーブを曲がりきれず […] -
public
福知山線脱線事故から10年。過去を受け容れた方々の言葉が刺さる。
事故はいつ誰の身に起こるかは分からない。自分の命がそこで終わるかもしれないし、自分の家族や大切なひとの命がそこで終わるかもしれない。未来は自分の力で切り拓くものだという自己啓発的な言葉はあるけれど、未来をすべて自分の手で […] -
society
当事者と非当事者が関わるということー「福知山線脱線事故から10年展」を通じて
みなさんは、2005年4月25日に発生したJR福知山線脱線事故を覚えていますか。またはご存知でしょうか。兵庫県尼崎市のJR福知山線塚口ー尼崎間で、走行中の快速電車が制限速度を大幅に超えてカーブに進入し脱線。線路脇の9階建 […] -
culture
初めて買った杖があまりに可愛くなくて絶句しました
私は大学4年生のときに交通事故に遭って以来、杖を使う生活が始まりました。 神経系の損傷というのは、一昔前では癌同様本人には告知をしない傾向があったそうです。私の場合、事故当初、けがの状態は教えてもらえました […] -
society
脳脊髄液減少症に関連する学会にて。患者が感じた違和感その1
昨年末、脳脊髄液減少症に関する学会に参加しました。なかなか文章がまとめられず半年経過していたのですが、紆余曲折を経て4年ぶりに脳脊髄液減少症と向き合うことにしたこともあり、やっと記事にすることができました。学会のタイトル […] -
human
入院生活で出会った思いがけない苦しみと感動
大学4年生の夏休みに交通事故に遭い、九死に一生を得た私でしたが、事故にあってすぐの頃は、右手以外何も使えませんでした。腰の骨が折れているので自分で寝返りをうつこともできないし、踏まれてもつねられても脚の感覚はありません。 […] -
public
壮絶な過去を受け容れるためのキーワード「死生観」と「勘違い」
客観的に見ると壮絶な過去を持っていても、本人は意に介さず楽しく生きている。例えば、中卒で、父親が4人いて、兄弟も10人いて、継父から包丁で刺されて、50社転職して、立ち上げた会社をつぶしたという経歴の持ち主。彼に対して、 […]