たった一度の人生を、目一杯生きて。岡崎愛子さん講演会「それでも前に進むーJR福知山線脱線事故が私に教えてくれたこと」

いつもの時間に、いつもの電車に乗って、いつも通り通学するはずだったー。
 

誰にとっても当たり前の日常が突然崩れ去ったのは、2005年4月25日のこと。JR西日本管内のJR福知山線で、電車がカーブを曲がりきれず脱線。線路脇のマンションに激突して乗客106名が死亡、500名以上が負傷したJR福知山線脱線事故です。
 

当時、同志社大学の2年生だった岡崎愛子さんは、事故列車1両目に乗っていて事故に遭遇。一命は取り留めたものの、入院生活は377日に及び、頚椎損傷で首から下に麻痺が残りました。現在も車椅子ユーザーとして介助を受けながら生活をしています。
 

そんな岡崎愛子さんが、事故から10年を迎えた今年、自身の半生を綴った『キャッチ!JR福知山線脱線事故がわたしに教えてくれたこと』(ポプラ社)を出版しました。6月には出版を記念して、大阪と東京で講演会を開催。今回は、東京で開催された講演会の模様をお伝えします。
 

あの日、人生が一変した

 

2015年6月19日、小雨がぱらつく天候にも関わらず、会場となったポプラ社コンベンションホールには150名近い人が集まり、会場は満席。
 

20150625写真①
 

開始時刻になると会場が暗くなり、前方のスクリーンに映像が映し出されました。スクリーンには幼少期の岡崎さんや、愛犬とフリスビーをする姿が。スクリーンの中の岡崎さんの笑顔に、思わずこちらも笑顔になります。同時に、これらの写真が全て事故以前の岡崎さんの姿であることも伝わってきます。
 

微笑ましい情景から一転。マンションに激突してぺしゃんこになった車両が映し出されます。誰もが衝撃をもってテレビの前に立ち尽くしたあの時の感覚が蘇ってきます。そんな絶望的とも思われる映像の次に流れたのは、車椅子で愛犬とフリスビーをする事故から一年後の岡崎さん。岡崎さんが新たな人生を歩み始めた姿を最後に映像は終了。いよいよ岡崎さんの登場です。
 

みなさんは、想像したことがありますか?

 

講演は、岡崎さんのこんな問いかけから始まりました。
 

「みなさんは、昨日までできていたことが、ある日突然できなくなることを想像したことがありますか?」

 

事故で第六頚椎を骨折した岡崎さん。今も腹筋背筋に力が入らず、握力がないためペットボトルの蓋を開けることができません。
 

「私は事故で多くのことを失いました。ですが、失ったからこそ気づいたものがあります。今日はそれをみなさんと分かち合いたいと思います」

 

20150625写真②
 

人の命ってこんなに簡単に奪われるものなんや

 

2時間という限られた時間の中で、岡崎さんはこの10年の歩みについて順を追って話していきました。
 

「事故当日は、8時30分に家を出るはずが、起きたのは8時10分。朝食は食べず、母に持たせてもらったカステラを手に家をでました」

 

ギリギリで電車に間に合った岡崎さん。1両目、前から3番目のドアから電車に乗り込みました。
 

「尼崎駅の手前で身体がふわっと浮いて、その瞬間車内に悲鳴が響き渡りました。自分もヤバいと思って、つり革をつかもうと思いましたが間に合わず、車両の左側に叩きつけられました」

 

立体駐車場を巻き込みながら駐車場ピットに突入した1両目。暗い車内で目を開けると、身体は全く動かせず、おまけにガソリンの匂いが立ち込めていたそう。救助されて引火の恐怖から逃れたときに見たきれいな青空は、今でも忘れられないと岡崎さんは言います。
 

「人の命ってこんなに簡単に奪われるもんなんやと思いました。私の目の前に座っていた女性は、立っていた男性はどうしているんやろうと今でも考えます」

 

死んでいた方が良かったんじゃないか

 

事故現場の話も十分壮絶ですが、岡崎さんの壮絶な闘いは、むしろ救助されてから始まったと言えるかもしれません。
 

「頚椎損傷に加え、肺挫傷による肺炎も併発していました。人工呼吸器のせいで口が閉じられないため、のどは痛いし、口内炎で口の中も痛い。24時間プールで溺れているような感覚が3週間続きました」

 

何度か生死の境をさまよいながらも徐々に回復し、人工呼吸器を外して救命救急センターから一般病棟に移った岡崎さん。しかし、試練は続きます。
 

「回復するにつれて、自分の足がもう動かないことが分かってきました。自由に歩ける家族や友人が心底羨ましくて、なんで私はあの電車に乗ってしまったんだろう?と、答えのない問いが浮かぶんです。事故にあったときに死んでいた方が良かったんじゃないか。気がつけば、自分の手をベッドの柵に打ち付けていました」

 

そんなとき、執刀医の先生が岡崎さんに、語気を強めて語りかけました。
 

「君が最初に運び込まれてきた時、ご家族、なんて言ったと思う?どんな形でもいいから、命だけは助けてくれって、言ってくれたんやで。ちゃんと、生きなあかんで。」

 

この一言で、岡崎さんは
 

「私の命は、私一人の命やないんや。だったら、周りの人に誇れる生き方をしよう」

 

そう思ったと言います。
 

周りを見渡したら、助けてくれた友達や家族がいた

 

その後も、退院、リハビリ、復学……と、新たな状況に一歩踏み出すたびに、いろんな「できない」ことにぶつかり続けては、引きこもりがちになったり、なげやりな気持ちになったりした岡崎さん。それでも今日まで前に進んでこられたのは、他者の存在があったからでした。
 

自分の命を思う家族の存在に気付かせてくれた執刀医の先生。引きこもりがちだった岡崎さんを旅行に連れ出してくれた友人や家族。岡崎さんよりも症状が重いのに、いつも前向きだった入院患者。その人たちとの関わりのなかで、岡崎さんは「人はそんなに弱い生き物じゃない」「できる・できないは体ではなく心の問題だ」と、事故以前には気づかなかったことに気づいてゆくのです。
 

岡崎さん①
 

いつかは来ない。今やらないと後悔する。

 

現在、岡崎さんは人と犬の生活環境を変えて、問題行動を解決する専門家として活動しています。大卒後、上京して6年間勤めたソニー株式会社を退職しての独立でした。障害者と健常者の区別なく、「岡崎愛子」として接してくれたソニーは岡崎さんにとってかけがえのない職場でしたが、自分の体力を踏まえて将来を考えたとき、今のうちから一人でも生きていける基盤を作らなければと一念発起。味噌会社の社長だった祖父にあこがれていた子どもの頃や生活を共にしてきた犬のことを思い出し、現在の分野での起業を決断しました。
 

そんな岡崎さんの決断を、友人が「励みになる」と言ってくれたことで、自分の経験が誰かの役に立つならばと自ら出版社に電話をし、企画書を送って出版にこぎつけたのが『キャッチ!』。ここには書ききれなかった話が本にはたくさんありますので、未読の方は是非手にとっていただければと思います。
 

たった一度の人生を、目一杯生きて

 

最後に、岡崎さんから会場のみなさんへ4つのことが伝えられ、講演会は閉会しました。
 

1.当たり前は当たり前じゃない
2.人は人に支えられて生きている
3.できる・できないは体ではなく心の問題
4.起きる出来事は選べなくても、その後どう生きるかは選ぶことができる
 

「事故によってできなくなったことは多いですが、未来を選択する権利まで奪われたわけではありません。命は有限であるということは事故以前から知っていましたが、事故にあって初めて実感しました。ですから、どうかみなさんにもたった一度の人生を大事に、目一杯生きていただきたいです」

 

悲惨な事故が起きたとき、私達はその被害の大きさや被害者の数などに目を奪われがちですが、そこにはひとりひとりの人生があった、ということにまで思いを至らせることこそが重要だと感じます。事故以前の日常を取り戻せた人、事故以前とは異なる日常を歩みだした人、事故で日常が途切れてしまった人。それぞれの人生に目を向けて初めて、事故の深刻さや事故から学ばねばならないことを感じとれるのではないでしょうか。
 

今回の講演で、岡崎さんの話から得られたものを、今後の自分の人生にも生かしていけたらと思います。
 


岡崎愛子オフィシャルサイト
http://okazakiaiko.com/

岡崎愛子著『キャッチ!JR福知山線脱線事故がわたしに教えてくれたこと』
http://www.amazon.co.jp/dp/4591144534

※Plus-handicapで書かれたブックレビュー
//plus-handicap.com/books/5826/

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この記事を書いた人

木村奈緒

1988年生まれ。上智大学文学部新聞学科でジャーナリズムを専攻。大卒後メーカー勤務等を経て、現在は美学校やプラスハンディキャップで運営を手伝う傍ら、フリーランスとして文章執筆やイベント企画などを行う。美術家やノンフィクション作家に焦点をあてたイベント「〜ナイト」や、2005年に発生したJR福知山線脱線事故に関する展覧会「わたしたちのJR福知山線脱線事故ー事故から10年」展などを企画。行き当たりばったりで生きています。