医療者って死に慣れるの?葛藤とともに生きるナースの視点から死を見つめてみる

皆さん、こんにちは。人と自然をつなぐナース、杉本九実です。
 

今日は、私が病院でナースとして仕事をしていたときに、常に向き合わなければならなかった“死”に対して感じていたことを綴りたいと思います。医療者についてのなかなか知らないリアルです。
 

医療ドラマなどでナースが人の死に対して葛藤しているシーンを見たことがありますか?よく描かれるのは、新人ナースが初めて患者さんの死に触れて、泣き悲しみ、悩んでいるそばで、先輩ナースが何事もなかったかのように気丈に仕事をこなしているシーンです。
 

新人ナース「先輩は、患者さんが亡くなって悲しくないんですか?人が死ぬことに慣れてしまったんじゃないですか?私はそんな人になりたくないです!!」
先輩ナース「これが私たちの仕事なのよ。あなたもいずれ分かるわ。」
 

こんなシーンを目にしたことがある人も多いかと思います。一見、この先輩ナースは人の死に何の感情も抱かず、冷たい人だという印象を持つかもしれません。ナースを含む医療者は、いずれ死に慣れてしまうのだなと思うかもしれません。でも実際はそんなことはないのです。医療者は死に慣れるのか?答えはNOです。
 

ナースは患者さんの病気や障害、死という"生きづらさ"に寄り添う職業だと思います

ナースは患者さんの病気や障害、死という”生きづらさ”に寄り添う職業だと思います


 

実は私も新人ナース時代は、いつか人の死に慣れてしまうのではないかと不安に思っていました。そんなナースになりたくない、遺族とともに涙を流せるナースでいたい、そう思っていました。私が新人ナースとして働いていた場所は重症集中治療室(ICU)というところで、常に生と死が隣り合わせにある過酷な現場でした。そこで初めて人が亡くなっていく姿を目の当たりにしました。血圧や脈拍数、呼吸数などが徐々に低下し始め、もうすぐ死が訪れるということが分かります。消えゆく命を目の前に、そのときの私が率直に感じたことは、悲しいとか寂しいとかそういった感情ではなく、「人の命って儚いな」というものでした。
 

先輩ナースとともに亡くなった患者さんのエンゼルケア(死後の処置)を行っているときも、さっきまで呼吸していたのに、さっきまで生きていたのに、今はもう動かなくなってしまった患者さんに触れていることが不思議でなりませんでした。そのとき私は、死がその人自身から人としての存在を奪ってしまうものなのだと初めて実感したのです。
 

私はそのとき、目の前の亡くなった患者さんに対して、どう接すればいいのか分からなくて戸惑いながらケアをしていました。それを察したのか、先輩ナースは突然、「患者さんとお話しながらケアしようか。」と言ってきました。「話って、亡くなってるんだから話できないよ…」と思いましたが、先輩ナースは「よくがんばりましたね。」とか、「この手でたくさんのお仕事をされてきたんでしょうね。きれいにしましょうね。」とか、まるで患者さんが生きているかのように接しながらも、涙声でケアしている先輩ナースの姿を見て、死が人としての存在を奪ってしまっても、あくまでひとりの“人”として接する気持ちを忘れなければ、死に慣れることはないのだなと思いました。
 

看護師
 

それから何人もの患者さんの死を見届けてきました。その経験の中で気付いたこと。それは、「医療者は決して死に慣れることはない。慣れるのではなく、“死を受け入れる”ことができるようになる」ということです。振り返れば私もそうでしたが、新人ナースは専門職者として死を受け入れるスキルが不足しているために、感情が乱れたり戸惑いを感じたりして葛藤が生じやすく、死を受け入れて対処やケアをしている先輩ナースがあたかも死に慣れてしまったのではないかと捉えてしまうのです。
 

経験を積んだナースや医療者はその患者さんの死を受け入れて、その人の人生や命に敬意を持ちつつ、そこからどうその人らしい最期のあり方を支えるケアができるのか、そしてその患者さんの死から自分は何を学ぶことができるのか、そんなことを考えながら日々死と向き合い、己が抱く葛藤をも受け入れて生きているのです。
 

医療者は葛藤と経験を繰り返しながら、“慣れる”のではなく、“受け入れる”ことを身に付けて、真のプロフェッショナルへと成長していくのです。
 

注)医療者には守秘義務があるため、個人や場所などを特定できないように配慮した記事になっています。

このライターの執筆記事

  1. CEOならぬCHO(最高健康責任者)が会社に必要な3つのわけ。
  2. 【schoo授業報告】こころの疲れをとる技術-仕事のストレスから解放される17の方法-
  3. 職場で分かる10個の心のSOSサインと7つの上手な接し方