視覚障害者の方の点字使用率って1割らしい。

全盲や弱視を含めた視覚障害者の方は、統計的には日本全国で約30万人と言われています。その視覚障害者のコミュニケーションのツールとしては「点字」がもっとも有名ですが、その点字を使う(読める)視覚障害者の方は全体の約1割だそうです。みなさんご存じでしたか?この数字については、私自身もかなり衝撃的でした。視覚障害者の方は、みんな点字を使いこなしているものだと、勝手に思い込んでいました。
 

(出典)立命館大学 生存学研究センター報告書[12] 青木 慎太朗 編「視覚障害学生支援技法 増補改訂版」第2章視覚障害者用支援機器と文字情報へのアクセスより
(出典)立命館大学 生存学研究センター報告書[12] 青木 慎太朗 編「視覚障害学生支援技法 増補改訂版」第2章視覚障害者用支援機器と文字情報へのアクセスより 障害の等級は視覚障害者の障害程度の等級です。

 

点字を使う人が少ない主な理由として。
・そもそも覚えるのが大変。特に、中途失明者にとっては。
・書籍などの点字はかさばる。本の厚さは、本当に数倍変わるそうです。(覚えないことの直接の理由とは違うかもしれませんが)
・テキスト音声データの利用が進み始めている。
参考:立命館大学 生存学研究センター報告書[12] 青木 慎太朗 編「視覚障害学生支援技法 増補改訂版」第2章視覚障害者用支援機器と文字情報へのアクセス
 

このデータに接したのが最近だったこともあり、てっきり最近判明した事実なのかと思いましたが、どうやら10年単位の昔から言われていたことのようです。言わば(視覚障害者界の)業界常識みたいなものでしょう。
 

「視覚障害者の点字使用率が約1割」という事実について、みなさんどのように思われますか?「自分たちのコミュニケーションツールを覚えないなんて怠けている!」と思う方もいるかもしれません。しかし、先ほどお伝えした点字をやらない理由や視覚障害者の気持ちについて、一度思いを馳せてみましょう。点字を覚えることは相当に難儀ことではないのでしょうか。
 

これは穿った見方ですが、安っぽい障害者系のTVドラマでは、点字を一生懸命覚えている視覚障害者を感動ストーリー仕立てで演出しそうな気がします。「障害者=障害に負けずに誠実に頑張る」というイメージを世間が勝手に作り上げていきます。結果、イメージだけで憤りを感じてしまう。ただ、これはあくまでもマスコミがつくりだした幻想であり、実態は違うのです。
 

点字等はツールであり、目的は視覚障害者の方が情報を得たり、彼らとコミュニケーションをとることですから、点字に代わる手段があればどんどん取り入れていく柔軟さが必要であると感じます。以前、全盲で法律系のお仕事をされていらっしゃる方のお話で、「判例や陳情書等を点字にしていたらとても間に合わないので、テキストを取り込んで音声に替えるスキャナーを使用している」ということを聞きました。
 

テキストを取り込んで音声に替えるスキャナー
テキストを取り込んで音声に替えるスキャナー

 

素人意見(義足を履く障害者は視覚障害者のことはよく知りません。同じ障害者とカテゴライズされているんですが)として、「ビジネスの最前線で働いている人にとって、『点字』は必ずしも必要でないものなのか」と感じたことを覚えています。しかし、点字使用率10%の現状を知った今、ビジネスだけではなく生活一般の場においても、点字普及=バリアフリーなのか考えてしまいます。
 

前回の記事で「点字採用の自動販売機の普及」について書きましたが、そもそもそれは必要なのか?という議論にもなるのでしょう。
 

例えば、以下のような自販機。音声で、

販「イラッシャイマセ。オアツイノガオスキデスカ?ソレトモツメタイノ?」
視「冷たいのをお願いします。」
販「ハイソレデハ、ショウヒンガイツツアリマス。A、B、C、D、E。ドレニシマスカ?」
視「Cでお願いします。」
販「ハイ。ヒャクジュウエンデス。オシハライハ、スイカトゲンキンガアリマス。(以下略)」

という感じの自販機があっても良いのではないでしょうか?もちろん、製作にいくらかかるかはわかりませんが…。
 

障害者権利条約が批准され、項目の一つにある「障害者の知る権利」もどんどん重要視されてくるでしょう。障害により情報に接する機会が奪われないように配慮するべきだ、という風潮が以前より増してくることが想定されます。それを受けて「じゃあ、点字を増やしておけばよいか!」という判断をする企業や組織機関も多いかもしれません。しかし、それは根本的な解決ではありません。
 

そもそも点字を使わない視覚障害者の方が多い現状で、安易に点字を増やすというのは、まさに無意味な箱モノ行政ですね。何度も言いますが、点字はあくまで視覚障害者の方とコミュニケーションをするツールであり、目的はコミュニケーションそのものです。障害者権利条約が進めば、飲食店においてすべてのメニューに点字を採用する必要も生じてくるかもしれません。しかし、それこそナンセンスであります。
 

例えばですが、もっとコミュニケーション性を重視して

店「今日はどういたしますか?肉料理と魚料理のどちらにしますか?」
視「肉でお願いします。肉は、どんなのがあるんですか?」
店「今日は、豚と牛が美味しくなっています。豚はとんかつ定食、牛はステーキライス。」
視「じゃあ、とんかつ定食で。ちなみにいくらですか?」
店「890円です。デザートはどうしましょうか?ドリンクバーは私が代わりに行きますよ。」
 

という会話が、当然のように発生する社会であれば、細かい日常的な情報について「知る権利が侵害されている」と異議を唱える人は少なくなると思うのです。
 

一方的に、点字をやり玉に挙げてしまいましたが、もちろん点字にも大きな役割があります。ひとつは、視覚障害者の方のそもそものコミュニケーションツールとしての役割。そしてもうひとつは、下の画像をご覧いただきたいのですが、「(点)字に触れることで、視覚障害者の認識世界を広げる」という役割です。晴眼者であっても、活字に触れることは自分の世界を広げる手段です。視覚障害者であっても、当然「字」に触れることは大切でしょう。
 

出典元:日本漢点字協会オフィシャルサイト
出典元:日本漢点字協会オフィシャルサイト

 

要は、生活の中で必要となる手段(ツール)を、それぞれ適切なタイミングで用いるバランス感覚が大事だと思います。「視覚障害者=点字」という偏った認識だけに囚われず、障害者側も健常者側もお互いが気持ちよく生活を送るために柔軟な発想を続けていくべきだと私は考えます。

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この記事を書いた人

堀雄太

野球少年だった小学4年生の11月「骨腫瘍」と診断され、生きるために右足を切断する。幼少期の発熱の影響で左耳の聴力はゼロ。27歳の時には、脳出血を発症する。過去勤めていた会社は過酷な職場環境であり、また前職では障害が理由で仕事を干されたことがあるなど、数多くの「生きづらさ」を経験している。「自分自身=後天性障害者」の視点で、記事を書いていきたいと意気込む。