足が不自由だと引っ越しはなかなかしんどい作業。そして手続きもいろいろとめんどくさい。

先日、人生で何度目かの引っ越しを行いました。引っ越しといえば、荷物を詰め、引っ越し業者さんに運送してもらい、荷物を開封するというのが一連の作業。健常者・障害者という区別をしなくてもその作業に煩わしさは伴いますが、足が不自由な私にとっては、健常者にはないしんどさが存在します。
 

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足が不自由な場合、歩く・走るといったことに不自由さを思いつきやすいものですが、「踏ん張る」という動作が一番キツいなと感じています。私の場合、両足が不自由であるということがその主たる原因ですが、「踏ん張る」ことが難しいと「荷物を持ち上げる」という動作が非常にタフなものになります。箱詰めした荷物をよっこいしょと持ち上げる。引っ越しの際の荷物は1箱、2箱ではなく、数十箱という単位。持ち上げる動作のひとつひとつが実はなかなかしんどいものなのです。
 

誰かに手伝ってもらえば済む話ではないか?引っ越し業者に頼めば、荷物をすべて梱包してくれるサービスもあるじゃないか?そのご意見はもっともですし、今回は3人家族での引っ越しなので、すべてが自力ではありません。ただ、誰かにお願いするという一手間やサービスを依頼すれば費用の加算があるということを考えると、「引っ越し」という作業にも障害をもっていることで直面する難しさがあるのだなということに気づかされます。
 

私の障害は足ですが、例えば目が不自由だったならば、耳が不自由だったならば、精神的な障害を抱えていたならば、引っ越し業者を探す・見積もりを依頼する・金額や日程の交渉をする・荷物を梱包するという引っ越しに必要な作業のひとつひとつに健常者には想像がつかない困難が待ち受けているでしょう。引っ越し業者も荷物の引き取りには時間の幅がありますし、引っ越しの最中に何らかのトラブルが発生しないとも限らないことを思えば、精神的なストレスもかかります。
 

引っ越しの前に発生する物件探しという観点でみても、バリアフリー設備の有無、病院や福祉施設へのアクセスなど、障害者であるが故に考えなくてはならない材料は増えます。不動産仲介業者とのやりとりや契約に関する事務手続きなど、普通に見てもめんどくさいタスクが多い引っ越し。実家で暮らし続ける、施設へ入所するという選択は、障害の種類や程度によって仕方ない面もありますが、障害者の引っ越しには難しさが散在していることも背景にあるのではないでしょうか。
 

まだまだ荷解きが終わっていません。
まだまだ荷解きが終わっていません。

 

引っ越しをすれば住民票の変更や印鑑証明の発行など、行政的な手続きをする必要があります。運転免許証の現住所変更等も場合によっては必要です。それはすべてのひとに当てはまることでしょう。ただ、障害者を定義づける障害者手帳に関しては、住民票を移動すれば自動的に手帳の住所も変わるわけではありません。引っ越しをすれば障害者手帳の住所変更も別途必要になります。受けられる障害者福祉のサービスの種類が変われば、その手続きもひとつひとつ行わなくてはなりません。
 

また、私の場合、右足に義足・左足に補装具を着けて生活をしていますが、各自治体によって義足の制作や修理に関するフローは違います。例えば、東京都23区内の手続きと福岡市の手続きは異なります。「義足が壊れた、修理したい」と思っても、引っ越しした先のルールに従わなくてはならず、以前生活していた地域では認められていた部品交換が引っ越した先では認められないというようなケースも発生するため、引っ越す度に福祉事務所の担当者に一から説明したり、仲良くなったりと手間がかかります。
 

この観点でいえば、マイナンバーに障害者に付随する情報が紐づけば、非常に便利だなと感じます。障害者が手続きが多いことによって役所をたらい回しにされるなんて、何とも言えない話です。
 

東京に引っ越してきて以来、 住所変更していないことに 今回の引っ越しで気づきました。
東京に引っ越してきて以来、住所変更していないことに
今回の引っ越しで気づきました。手帳もボロボロで汚い(笑)。

 

バリアフリーやユニバーサルデザインという考え方がだいぶ浸透し、障害者にとって暮らしやすい社会を考えようという議論は増えてきているように思います。障害者差別解消法という壮大な名前の法律も成立し、職場や教育現場などでの障害者への配慮を考える義務も発生します。しかし、引っ越しのような非日常にはなかなか思考が回りません。お寺でのお葬式に参列した際、なんて歩きづらいんだ・座りづらいんだと故人を偲ぶ余裕がなかったこともありますし、旅先でレンタカーが借りられず(アクセルを改造した車に乗らなくてはならないため)訪問できない観光地があり悔しい想いもします。
 

まだ30歳だから踏ん張りも利きましたが、これが40歳、50歳となったらどうなるのだろうという想いを巡らせながら、実は障害当事者は非日常への配慮をけっこう欲しているかもしれないなとふと感じた今回の引っ越しでした。
 

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。