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人間関係は「GIVE & TAKE」で回っている。
自分の振る舞いや態度によって誰かに迷惑をかけているかもしれない。そんなことを思っている方には「ギブアンドテイク(Give & Take)」の発想が大事です。「これをやってくれると助かるから(Take)その分、これはやるね(Give)」と考えるだけ。持ちつ持たれつとも言えますし、役割分担とも言えます。 -
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「当事者発信」に必要な2つの役割。陽気な僕らと皮肉な誰か。
事故や病気によって障害を負ったひとなんかに、生まれつき障害があるひとのことなんてわかるはずなんてない。ただ、これは逆もしかりで、生まれつき障害があるひとに、事故や病気で障害を負ったひとのことなんて、わかるわけはない。 そもそもは、他人をわかるだとか、理解するだとかがおこがましい話。 -
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「歩けなくなる未来」を悲観しない3つの理由。
自由に歩けなくなるかもしれない。動けなくなるかもしれない。障害があるから、障害さえなければ、なんて考えに陥ってしまいそうなところ。個人的にも諦めることが増えてきた実感はある。なのに、これからも人生は楽しそうだなと思ってしまう。これは経験と考え方の問題であって、メンタルが強いわけでも、強がっているわけでもない。 -
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35年間、障害者として生きてきて思う。障害者は障害にこだわりすぎている。
最近だと「障害があっても〇〇したい」みたいな言葉を見かけますが、そもそも「〇〇したい」と思う気持ちが強ければ、「障害があっても」なんて言葉を使わなくても実現しようと動くはず。 この風潮だと、できなかった理由を障害に集約したいだけなのではないか?と勘ぐってしまいますし、障害がより「困難さをもたらすもの」として認識されそうです。 -
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コロナ禍に直面している今だからこそ、生きづらさを防ぐ手立てを考える。
出口のないトンネルの中にいるって、本当に生きづらい。コロナ禍の中で、いつになったら緊急事態宣言が解かれるのか、自粛ムードが終わるのだろうかと考えるたびに、息苦しさが増します。生きづらさを生み出す理由はさまざまにありますが、共通して言えるのは「終わりが見えないこと」でしょう。痛みや苦しみ、不安や恐怖、我慢や忍耐はいつまで続くのか。この生活や人間関係からいつになったら抜け出せるのか。 -
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「障害理解」をテーマにした学校講演に登壇するようになって思うこと。
毎年30校〜40校ほどの学校講演の依頼を受けます。障害理解系、パラスポーツ体験系のテーマが多いのですが、感想文でもらうメッセージの中には「障害者って大変な人たちだと思ってました」という言葉が一定の割合で含まれます。 「ました」と過去形になっていること、過去形で捉えられるようにすることが僕の仕事です。 -
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障害者への「配慮疲れ」から考えた、合理的だけではない「快適への配慮」という考え方。
「桜井玲香 乃木坂46卒業」というニュースが7月初めに飛び込んできたとき、仕事だけでなく、すべてのことに意欲が湧かない日が続いていました。日々のエネルギー量が普段の1%ほどしかないようなときでも、ともに働く障害のあるメンバーに対しての配慮を怠ることはできません。障害者に対する合理的配慮が求められているからです。 -
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自分の左足を切るか残すかという30年続く自問自答。「切る」に傾く日がやってくるのか。
「20歳になったら左足を切るかどうか考えよう」その言葉を初めて聞いたのは8歳くらいの頃。毎年、義足や装具を作り変えるたびに、主治医から”20歳の選択”を刷り込まれました。不完全なカタチの両足で生まれてきた私は、まずは自力で立てるように、そして歩けるようにという順序で、生まれて2年の間に手術を受け続けました。 -
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花粉症で生きづらいとか言っちゃダメですか?生きづらさの平準化を考える。
花粉症がしんどい。目がかゆい。肌がかゆい。鼻水止まらない。呼吸が苦しい。ごはんの味がしない。基本、やる気がわかない。仕事とかしなくていいですか?今月の生活費、誰か寄付してください。ああ、生きづらい。たぶん、僕は相当生きづらいクラスにいるはずです。いま。 -
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障害のない社会になったときの、障害者のアイデンティティ。
もし、仮に、この社会の隅々まで障害に対する配慮が行き届き、障害者に対する偏見もなくなるという理想的な社会になったとしたら、いわば障害のない社会になったとしたら、それが障害者にとっていい社会なのかどうか、僕にはよく分かりません。障害があったから認められていたこと、赦されていたことが、なくなってしまうかもしれない。