35年間、障害者として生きてきて思う。障害者は障害にこだわりすぎている。

先日、誕生日を迎えて、35歳になりました。生まれつきの障害者なので、障害者歴は35年。割とベテランの域です。
 

物心ついたときにはすでに足が不自由だったので、障害を障害だと認識することがなく、自分の特徴のひとつとして、気がつけばそこにあったものという感覚。中途で障害者になった人が思い悩むと言われる、自分の障害を理解するだとか、受容するだとか、そんな経験をしてこなかったといっても過言ではありません。
 

これはまた、僕のまわりの人間関係が恵まれていて、いじめがあった、差別があったというようなネガティブな体験がないからかもしれません。気がついてなかっただけかもしれませんが。
 

GATHERING
6歳の息子の左足とサイズ感が近い。ふたつとも左足。

社会人になって福岡から上京したとき、「足のことで何か辛いことあったら言ってね」と職場で言われたのが、初めて自分が障害者であると自覚した瞬間でした。振り返ると、当時はまだそんな(優しい)言葉をかけられたことがありませんでした。
 

自分が障害者であると自覚する。
 

僕にとっては、理解でも受容でもなく、自覚が一番の課題だったのかもしれません。学生時代を終えるまで、自覚せずに来たことは奇跡みたいな話です。自覚しなくては、理解も受容も、そのきっかけが生まれないのかもしれませんが。
 

足が不自由なだけでそれ以外は何も関係ないという関わり方が、僕のまわりではふつうだったので「障害者としての自分」を意識することなく学生時代を過ごしました。その頃、パラリンピックを目指して水泳に取り組んでいたのにもかかわらず、です。
 

義足を履くときも、歩くために履かなきゃいけないと思っていたし、自分の足を見ても、人とちょっと違うな(だいぶ違うけれど)程度にしか思っていない。それはそれはめでたいヤツで、鈍感で。だからこそ「障害があることで優しくされた」ことが大きな衝撃だったのだと思います。
 

就職活動の際に「雇ってもらえるなら障害者雇用でもいいですよ」と僕は何度か使っていたと記憶していますが、これは、一般雇用で引っかからないならば障害者雇用ではダメですか?という使い方。嫌味なのか、ずる賢いのか、無知ゆえのアイデアなのか。このような提案を持ち出した背景はもう忘れてしまいましたが。
 

足が不自由な障害者で、障害者が活用できる制度を上手く、時には姑息に使おうとしているにも関わらず、自分で自分のことを障害者だとは思っていない。そんな認知のズレが、僕の学生時代にはあったのでしょう。
 

でも、それが良かった。それで良かったのです。自分って障害者だっけ?くらいが。
 

GATHERING

例えば最近だと「障害があっても〇〇したい」みたいな言葉を見かけますが、そもそも「〇〇したい」と思う気持ちが強ければ、「障害があっても」なんて言葉を使わなくても実現しようと動くはずです。
 

この風潮だと、できなかった理由を障害に集約したいだけなのではないか?と勘ぐってしまいますし、その結果、障害がより「困難さをもたらすもの」として認識されるのだとしたら、今を生きる障害者にとっては楽だとしても、これからを生きる障害者にとっては、障害に対するイメージがより苦しいものにしかなりません。
 

自分って障害者だっけ?まあ、とりあえずやってみようか、くらいの精神がちょうどよかったのに、今の僕はもう「障害者の自分」に囚われていて、この仕事をしているせいか、発信する言葉ひとつひとつに頭を唸らせています。それはそれはめんどくさい。
 

障害は大変なものかもしれないけれど、大ごとではない。社会の認識がそう変わってくれるほうが、よっぽど障害者にとって生きやすいように思うのですが、障害者自身が、自身が障害者であることや自身の障害にこだわりすぎていることが、事を厄介にしている気がします。
 

Gathering
今日から始まったクラウドファウンディング

僕らは「Gathering」というプロジェクトをNPO法人Collableさんと協働で立ち上げます。これは「障害のある学生のキャリアを考える仕組みづくり」ですが、僕の個人的なミッションとしては「障害のある学生から、障害者というアイデンティティをなくすこと」だと思っています。
 

「障害があっても〇〇したい」みたいなヒョロいことを言わず、そこは自身の障害とどのように折り合いをつけるか程度に留め、自分のやりたいことをどうすれば実現できるのかを前向きに考えられる障害者を増やす。その結果、障害者という存在の重たさを軽くできないものかと考えています。
 

障害の「がい」の字にこだわったところで社会は変わらないし、障害を個性だと言おうがチャレンジドだと表現しようが障害が障害であることに変わりはないし、受容できたところで、それは今時点のものでしかないし、障害者理解を広げたところで他のマイノリティ理解が等しくされるとは思いづらい(障害者理解を訴える人の多くは障害者理解しか訴えない)。
 

そして、これらのアプローチは、往々にして発信している側の自己満足に過ぎません。
 

そんなことより、自分が思う道を進む障害者を増やす仕組みを作ったほうがぜったいに早い。
 

今回は「障害のある学生」に焦点を絞ってみましたが「障害」だけではなく「生きづらさを抱えやすい属性」すべてに当てはまるアイデアではないかと思っています。
 

最後はプロジェクト紹介になりましたが、35歳からの僕自身のチャレンジは「障害者というアイデンティティをなくすこと」なのかもしれません。これは自分自身のアイデンティティとしても。
 

GATHERING

障害のある学生に届けるキャリア応援放送局設立プロジェクト|Readyfor
https://readyfor.jp/projects/gathering

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。