目が不自由な方ってどうやってATM使うの?自販機使うの?素朴な疑問から社会を眺めてみる

私は「右足下肢機能障害3級」という「障害」認定を受け、義足を履いている身体障害者です。幼少期の発熱の影響で左耳の聴力はゼロだったり、27歳の時に脳出血を発症したりしていますが、残念ながら聴力と脳出血では「障害」認定を受けているわけではありません。
 

障害者というのは本当に幅広く、大きく三つに大別しても「精神障害・知的障害・身体障害」があります。身体障害の中にも、私のような義足もあれば、義手もあります。内臓機能障害、聴覚障害、そして視覚障害等、多岐にわたります。ですので、障害者である私自身も、(他の)障害者について全然知らないことが多いです。特に障害を持たない健常者に対して、「障害者のことを理解してほしい!」と言う言葉は、自分自身が知らないのになという想いから、なかなか言い辛いことが現実です。
 

「じゃあ障害者のことを理解しなくてもいいのか?」と言うと、それはそれで早計であるとも思うので、今回は自分とは違う障害を持つ方の生活を想像できるニュースをご紹介します。
 

「車椅子利用者や視覚障害者に配慮。東京スター銀行が、新型ATMを全店舗に設置」
http://news.mynavi.jp/news/2014/01/08/034/

「銀行ATM機に操作姿勢に合わせた滑らかな曲線のデザイン『ウェーブフォルム』を採用。これにより、足元のスペースが大幅に拡大したほか、テーブルの先端がグリップ形状でつかみやすくなるなど、特に車椅子の利用者にとって使いやすさが飛躍的に向上したという。」だそうです。この機械が東京スター銀行の全店舗に導入されました。
 

早速ですが、実際に見に行ってみました。
 

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備え付けのハンドセットおよび音声ガイダンスを利用することで、視覚に障がいがある顧客もATMを操作できるようになった。
備え付けのハンドセットおよび音声ガイダンスを利用することで、視覚に障がいがある顧客もATMを操作できるようになった。

 

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装置各部において電力の省力化を図っている。消費電力を従来機と比べて約40%削減することにより、環境への負荷を低減した。このほか、分かりやすく操作誘導するやさしい光と音、着衣が触れていてもスムーズに操作できるタッチパネルが付いている。
装置各部において電力の省力化を図っている。消費電力を従来機と比べて約40%削減することにより、環境への負荷を低減した。このほか、分かりやすく操作誘導するやさしい光と音、着衣が触れていてもスムーズに操作できるタッチパネルが付いている。

 

私は、義足でも二足歩行をしていますし、視覚障害も持っておらず両目とも裸眼で生活している程なので、この機械が使いやすいかどうかは本当のところではわかりませんが、取り組みとしてはおもしろいと思いました。「障害配慮」という観点もありますが、もう一つの側面として、こうした配慮が他社との差別化になるという点です。
 

正直、一般生活者はどこの銀行に預けても大抵は同じです。このATMがあることで、障害者だけではなくその周辺の人(家族など)も、取り込める可能性があると思います。この機械自体は健常者が作っているでしょうが、「視覚障害者はATM利用に難儀しているのではないか?自分一人でお金を下ろすことが出来るのか?」という視点や視覚障害者の声から作られているのではないかと推測できます。もちろん、車いすの方の声も大きく反映していることでしょう。
 

一方で、視覚障害者用の自動販売機の存在についてはまだあまり聞いたことがありません。単純に外に出ている時に、喉が乾いたらどうするのでしょうか?私自身もよくわかりません。調べてみると、障害者施設等の自動販売機には、品物のボタンに点字でその品名が書いてあるものも存在するそうです。しかし、街中にある自動販売機ではそうした対応がほとんど無いのが現実だそうです。理由としては、高頻度で商品配置や商品そのものが変更する状況で、点字対応は難しいとのこと。この話については、私もまだ勉強中なので、なにか情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご提供よろしくお願いします。
 

私が思うに、障害者のことを知ろうとする上で大事なことは、今回のような「視覚障害者ってATM使えるの?自販機使えるの?」等という素朴な疑問を持ってみることなのです。これは決して、ヒューマニズム的な話からだけではなく、新しい市場やコミュニケーションを創出していくための第一ステップなのです。統計的には日本全国の視覚障害者は30万人程と言われていますが、この人たちへ便利なサービスが提供できるようになれば、障害当事者やその周辺の人(家族、友人etc…)も取り込んでいける可能性があります。それは間違いなく大きなイノベーションにつながります。
 

障害者側も自分たちでやるべきことはやる必要がありますが、助けが必要な部分についてもしっかりと声に出していくべきです。健常者側も安易に障害者側の甘えと決めつけずに、「どうしたらそれが実現できるのか?」と考えられる、疑問に思えるような寛容さがあれば、新しい何かが生まれくるかもしれません。そうした対話が出来る環境こそが、豊かな社会なのだと私は思うのです。
 

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この記事を書いた人

堀雄太

野球少年だった小学4年生の11月「骨腫瘍」と診断され、生きるために右足を切断する。幼少期の発熱の影響で左耳の聴力はゼロ。27歳の時には、脳出血を発症する。過去勤めていた会社は過酷な職場環境であり、また前職では障害が理由で仕事を干されたことがあるなど、数多くの「生きづらさ」を経験している。「自分自身=後天性障害者」の視点で、記事を書いていきたいと意気込む。