「障害者=怖い、迷惑だ」と思うことってダメなの?「知らない」ことから生まれるリスク

両足が不自由な私は、近くに知的障害のある方が来たときに、即座に「怖い」と思っていました。身構えていました。なぜなら、自分の足の踏ん張りが利かないことを考えると、何かあったときに抵抗できないから。そして、何をされるか分からなかったから。これはつい最近まで自分の中に引き起こされていた感情の流れです。ひとはこれを偏見と呼ぶのでしょう。
 

例えば、電車で、身重の嫁の隣に知的障害のある方が座ったら、座席を変わろうか?と嫁に提案したことでしょう。それくらい、私にとっては怖い存在でした。もしかすると、いろいろと知った今でも、提案するかもしれません。
 

これだけを見ると、多くのひとから「最低だ!差別だ!」と言われてしまうかもしれませんが、「仕方がないことだったんです」と割り切って返答します。なぜなら、当時の僕は知的障害者のことをまったく知らなかったから。「知らない」からこそ「怖い」存在だったのです。
 

先日、facebookのフィードで、このような書き込みを見つけました(部分抜粋です)。
 

“外出支援中にビルの展望台に寄ったら、利用者くん(知的障害)がちょっとはしゃいでいた。座ってのんびりしようと促していたら、60代くらいの女性が近づいてきて「なに考えてるの?」と険しい顔で言っている。その人は、「彼(知的障害をもつ)を「連れてくる」こと自体が迷惑だ」とはっきり言った。”

 

おそらく、多くのひとがこの女性に対して、「最低だ!」という気持ちを抱くかもしれません。しかし、私はこの女性が「迷惑だ」という言葉を発してしまったことも何となく分かるのです。少し前までの自分でも同じ気持ちを抱いただろうから。もちろん「迷惑だ」と相手に伝えるか否かは、個人の裁量によるものだと思いますが。
 

「このおばさんのほうが自分の愚かさを世に広めている」
「そんなこと平気で言うひとの気が知れません」
「自分が歳をとったらその方が迷惑と考えるようなことをかけ続けるかもしれないのに」

 

フィードに対して、上記のようなコメントが届いていました。コメントの背景にある気持ちも分かるような気がします。「迷惑なんて言うほうが最低だ」その通りでしょう。
 

普段から障害者と接している方の場合、「障害があろうとなかろう関係ない。人それぞれ性格の違いがあるように、当人に障害があるだけで何も変わらない。」という感覚は当たり前に持っています。自分の家族や友人、職場仲間に障害者がいる。福祉系の仕事に従事していることで障害者といる時間が長い。このような方にとっては「迷惑なんてなぜ感じるの?」という考え方に近いように思います。
 

反対に、自分の身近に障害者がまったくいない方の場合、「障害者のことをよく知らない」という事実が前提にあるので、「迷惑だ!」と言ったおばさんと同じように考えることもあり得ます。また、何かのきっかけでたまたま知った障害者のことから、障害者に対するイメージが固まるため、例えば、24時間テレビを見たことで障害者を知った場合は「頑張れ」と安易に声かけしてしまうかもしれませんし、急に走り回る障害者を見て知った場合は「怖い」と感じるかもしれません。
 

この両者の間に横たわっているものは「知識・情報」量です。今回の事例で言えば、知的障害者のことを知っているから、「迷惑だ!」と言ったおばさんに怒りが湧いているのであり、知的障害者のことを知らないから、「迷惑だ!」と言ってしまうのです。どちらが良い・悪いではなく、「知識・情報」の量的な差があったことで生まれた衝突。知識や情報がないことで、偏った見方や先入観が邪魔をしてしまったとも言えるでしょう。
 

ただ、考え方によっては、おばさんはむしろ誠実だったのかもしれません。自分の心に感じたものを率直に言葉にしただけ。その言葉を相手がどう感じるかが抜けていただけ。おばさん以外にその場にいた方も、ひょっとしたら同じ気持ちを抱いていたかもしれません。
 

反対に、コメント欄で相手の人格を問うような言い方をしているほうが不誠実なのかもしれません。相手は障害者に対する知識や情報がなかった、何も知らない相手に対して、知識や情報を持っている側が上から目線で物を言っているように見えなくもありません。もちろん、相手が偏見から物を言っている可能性があることも念頭に入れなくてはならないですが。
 

知識・情報を持っている側は「持っていることが当たり前」だから、持っていない側に対して、「持っていないことが分からない」状態であり、知識・情報を持っていない側は、「持っていないことが当たり前」だから、「何も分からない」状態にあるのです。障害者支援、高齢者支援、若者支援など、社会的弱者・生きづらい方々を支援する環境ではよく見られる状態です。普段から関わっているからこそ知っている事実があり、関わっていないからこそ事実なんて把握できない。このズレが互いが互いを認識できない状況を生み出すのです。
 

「相手は知らないだろうな」という前提で、相手に知識・情報を伝え、「自分は知らない」という気持ちで知識・情報を受け取る。そのような環境にならなければ、結果として、支援を受けるべき支援者本人が一番困ってしまうのかもしれません。
 

かくいう私自身も、4歳の頃、初めて行ったプールで、急に走り回る・私の持ち物を勝手に持って行った知的障害児を見たことで生まれた先入観が、つい最近まで邪魔をしていました。そのためか、「迷惑だ!」と言ったおばさんの気持ちも分かるのです。知的障害者の外出支援をやっている方と知り合い、知的障害者の方のことを少しでも知ることができたから、ようやくこの先入観が打ち消されてきました。
 

ちなみに、同じ障害者とカテゴライズされていても、身体障害者は知的障害者に対する知識や情報なんてほとんどありませんし、同じ身体障害者の中でも、義足の私は、例えば目の不自由な方の知識や情報なんてほとんどありません。
 

障害者のことを「知らない」から生まれた、おばさんの「迷惑だ!」という言葉。この発言の裏側には、障害者の社会進出や受容といった問題を解決するためのヒントが眠っているかもしれません。

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。