滑る。傘をさせない。音を拾えない。身体障害者って雨の日の移動が大変なんです。

雨の日が好きなひともいれば、嫌いなひともいると思います。ただ、義足ユーザーである私にとって雨の日は嫌い。気分的な問題以上に、移動によって引き起こされるストレスが通常を超えて発生するからです。ただでさえ移動に不自由さがあるにも関わらず、雨の日は「滑る」危険性が増えます。
 

身体に障害がある場合、移動が困難であるという特徴を持つひとが多いです。雨が降れば、健常者の場合でも、傘を持つ・長靴を履く・レインコートを着る・自転車に乗らないなど不自由さが増します。身体障害者の場合は言わずもがなです。
 

足が不自由だと、雨の日は外に出たくない

 

私のように義足を履いている人間にとっては、雨の日は「滑る」ことが一番の障害になります。アスファルトの路面はまだ滑りにくいのですが、大理石のような石っぽいタイルが用いられた路面や階段などは、滑るリスクが急激に高まります。
 

人間は踏ん張るときに足の指を使うらしいのですが(生まれつき足が不自由なので、踏ん張るという概念が分かりません)、義足を履いている場合、少なくとも片足の指がありません。義足は切断された足の代用となるものなので、切断する際に足の指を残して切断することは事実上不可能です。健常者の50%以下の踏ん張る力しかない状況の中、滑らないために踏ん張ることは、非常にタフな作業となります。また、傘を差すことによって、片方の手の自由が奪われているので、滑るリスクが健常者以上にある中、片手が使えないとなると、滑った際のケガの危険性は確実に増します。
 

足の麻痺や不自由さによって、杖やロフストなどを使っているひとも同様です。例えば、片手に傘、片手に杖という時点で荷物を持つことはできません。滑った場合に手で支えることができるかどうかは非常に難儀なところ。健常者と同じく反射神経の問題だと片付けることもできますが、そもそも足にリスクを抱えている分、平等には語れません。
 

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車いすユーザーの場合は、傘を差せないという状況が発生します。自転車のように片手に傘、片手で操作という訳にはいきません(交通違反行為ですが、大抵はおまわりさんから注意のみです)。レインコートを車いすの上から羽織ることになりますが、この場合、自分で車いすを漕ぎ進めることは非常に難しい作業になります。したがって、車いすユーザーは雨が降っているというだけで外出そのものを断念せざるを得ないこともあります。
 

電動車いすの場合は、雨そのものが車いすにダメージを与えることになります。雨水によって電気系統に異常を来たせば、車いすが動かなくなってしまいます。最悪の場合、感電するリスクまであるとなれば、雨の日に外に出ることはありません。
 

バリアフリーという言葉が騒がれ、バリア(移動上の障害)を取り除くことが第一に頭に浮かびますが、雨のときを想定すれば屋根を付けるということも、足が不自由な人間にとってのバリアフリーとしては必要になるのかもしれません。
 

※車いすユーザー向けのレインコートのCMです。
 

目が不自由だと、雨の音が障害となる

 

目が不自由な方の場合は、雨の音によって移動の困難さが増します。白い杖を使って、足元の危険物を確認し、路面の高さの変化などを察知しながら歩くイメージが強いですが、実は音を頼りに移動しています。横断歩道の音が印象的ですが、自動車が来る音やクラクション、人の声などをキャッチしながら移動しています。雨が降る音はこれらの音をかき消してしまうので、晴天時に比べ、集められる音が減ってしまいます。
 

傘を使えば、傘に反射された音が耳に入ってくるので、車の音が違う方向から聞こえてきたり、耳に入ってくる音の大小が微妙に変化したりとイレギュラーな状態が発生します。視野に障害を抱えている方の場合は、傘によって視野を妨げられることも発生します。目が不自由な方にとって、雨の日は移動だけでなく情報収集という観点で障害が発生します。
 

音という観点でいえば、風によって音が遮られることもあれば、雪によって音が吸収されることもあります。
 

結局、雨の日に障害者は移動できるのか?

 

今回は足が不自由、目が不自由なひとに焦点を当てましたが、知的障害や精神障害の方には、雨によって気分の抑揚が生まれることで違う困難を抱えることもあったり、気圧が影響を与えたりすることがあります。健常者にとっては、雨は単なる気分の問題かもしれませんが、障害者にとっては、死活問題になり得ます。たかが雨ではないのです。
 

では、身体障害者は雨の日は家にいるのか?と言われれば、障害の種類と程度による、ケースバイケースだ、と言うでしょう。というのも、例えば、足が不自由な場合は車を使っての移動(障害の種類によっては自分で運転できる)が多いですし、健常者と違い、介護者・支援者を活用することができるからです。
 

「明日は一日中雨です」という天気予報は準備ができる分、障害者にとって、少し楽ではあります。一番厄介なのは、夕立やスコールのような突発的な雨、天気の変化です。急な雨でイヤだなと思うことは多くのひとに起こりえることだと思いますが、そんなとき、側で困っている障害者がいれば軽く「何かお手伝いできることありませんか?」と聞いてみてください。「大丈夫です」という回答があったとしても、きっと何か困っているだろうなと想像してもらえるだけで、障害当事者としては嬉しい限りです。
 

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。