入院生活で出会った思いがけない苦しみと感動

大学4年生の夏休みに交通事故に遭い、九死に一生を得た私でしたが、事故にあってすぐの頃は、右手以外何も使えませんでした。腰の骨が折れているので自分で寝返りをうつこともできないし、踏まれてもつねられても脚の感覚はありません。左手は骨折をしていてギブスでガチガチ。何をするにも家族や看護師さんにお願いしなければならない状態でした。
 

残暑の厳しい季節に毎日洗えない髪の毛

 

痛みと戦う毎日から回復してくると、少しずついろんなことが気になり出すのですが、そのなかでも私の最大の悩みが「洗髪」でした。
 

私が交通事故に遭ったのは9月。暑さのピークは去ったとはいえ、まだまだ残暑の厳しい時期です。厳しい暑さの上、ずっと寝たきりで熱も出していた私の髪は、常に汗と氷枕の水でびしょびしょで、もし体が動いていたら(それができないから大変だったのですが)、1日3回くらいシャワーを浴びたいような状態でした。ただ、その病院で決められているお風呂時間は週に2~3回だけ。さらには、自分でお風呂に行けず、寝たまま髪を洗ってもらう私はどんどん後回しになっていきました。
 

そう。そのときの私はなんたって寝たきり。寝返りも打てないし脚も動かないし、自分では右手しか動かせない。私の髪を洗うというのは看護師さんたちにとって、時間も人手も必要な大変な作業でした。手間がかかるから仕方ないとはわかっているけど、暑い臭い痒いで、洗髪が待ち遠しくてたまりませんでした。私は毎日「今日は洗髪してもらえますか?」と言い続けていましたが、それでも看護師さんはやっぱり忙しくて、「ふゆちゃん、ごめんねー!今日もやっぱり洗髪まで時間とれなそうだわ…」の繰り返し。
 

事故直後から会う人会う人に「ふゆこ、めっちゃ元気だね」と言われ「そうそう、口だけはね~」と返していたような私だったので、友人知人の面会は一番の楽しみだったのですが、それでもこの何日もお風呂に入れず髪も洗えず…というときは、面会謝絶したい気持ちにもなりました。お風呂や洗髪の悪条件というのは、病院が病人をつくる、ひとつの促進剤かもしれませんね(笑)。
 

はじめてコルセットをつけたときの絶望感

 

交通事故に遭い2週間ほど経った頃、コルセットをつくるために装具士さんが採寸にやってきました。コルセットを作る=新たな展開!自分の状態が回復しているってこと?!と喜んでいたのに、そのとき来てくれた装具士さんが、もうもう……最悪でした(笑)。
 

初めて会った装具士さんはだいぶ高齢のおじいさんでした。「どこが悪いんですか?」と聞かれたので私は「えっと、腰椎を骨折しています。その影響で脚はどちらも動きません。左手も骨折しています。あと大腸も手術しました」と答えました。ベテラン装具士さんだから、これだけ説明すればある程度わかってくれるだろうと思っていたのに、そのおじいさんから出てきた言葉はまさかの・・・
 

「じゃあ、そっち向いて。」
 

…え?!いやいやいやだから腰椎を骨折したばかりなんですって!脚も全く動かないんですって!と私は驚愕。もう一度からだの状態と寝返りは打てない旨を伝えると、おじいさんは「え、そうなの?まぁでもちょっとだけだから」と言い、今度はまさかの私の腰を押し上げました。
 

「だから!!ちょっとでも動かすと痛いんです!折れてるんですよ!!!」
 

もう半ギレです。骨折して手術をしことのある方はわかるかもしれませんが、骨折してすぐのころって本当にちょっと動かすだけで激痛なんです。骨が折れているのもあるのでしょうけれど、傷口が擦れたりして痛いのもあります。私がその交通事故でできた傷跡は背中に15センチほど、左のウエストあたりに斜めに大きく20センチほど、おなかの傷が10センチほどです。痛いに決まっています。
 

そんな最悪な採寸がなんとか終わり、しばらくするとコルセットができあがりました。「コルセットができあがったらもっとリハビリいっぱいできるよ」と理学療法士さんから聞いてので、私はとっても楽しみにしていました。
 

しかし出来上がったものを見てみると、厚さ1センチはあるだろう分厚いコルセット。脇から腰までびっしりとその分厚いコルセットで覆われた私は、さながらロボットです。これじゃあ服なんて何も楽しめない。胸もくびれもあったもんじゃない。本当にロボットです。私はそれまで自分の胸を邪魔でしかないと思っていましたが、コルセットで押しつぶされてしまうとなぜか悲しくなりました。はじめて「ああ、胸って女性にとって大切なものなんだなぁ」と感じたときでした。
 

コルセットはその後だんだんと薄くなり、小さくなりましたが、事故から5年以上たった今もつけています。3年くらい前にお医者さんに「もう外していいよ」と言われ、やったー!と万歳してコルセットを外して外出したら、1日どころか数時間で腰が痛くなりからだがダルくなり、その痛みは数日続きました。
 

からだの専門家が言うには、コルセットは大きな筋肉みたいなものだから、ずっとそれを付けていたのに急に外すと、筋肉がなくなった体のようになっちゃうのだそうです。それならそうとお医者さんも言ってくれたら良かったのにと思いますが。今は近所を歩くくらいならコルセットなしでいけますが、電車に乗って移動するときなどは必ずつけています。今年の夏こそは、コルセットなしで歩けるようになりたいなと。
 

こっそり抜け出した病院の駐車場で、2センチの段差が超えられなかった

 

交通事故から1か月ほど経った頃、私も、事故当時運転手だった彼(今の夫)も、車いすに乗れるようになっていました。ある日、外の空気が吸いたくなって、二人でこっそり病室を抜け出しました。抜け出したと言っても、ただ病院の玄関前に出ただけなのに、空気がすごくおいしくて、開放感で、とてもいい気分。テンションが上がって、もうちょっとだけ行こう!と車いすを走らせたら
 

「ガタン!」
 

なんと、うっかり段差を降りてしまいました。ほんの2センチ程度の段差で、彼は片足を使えたのでなんとか戻れたのですが、まともに動くのは右腕のみという状態の私は、そのわずか2センチが超えられず。「このままじゃ看護士さんに怒られる!」とパニック状態になりながらも、ぐるぐるそのあたりをまわって、段差のない箇所をピンポイントで発見!なんとか帰れましたが、世の中の段差の多さを実感した出来事でした。
 

ステッキを使うようになった今でも、段差の多さは日々感じます。私は、普段は階段を上り下りできるようになりましたが、調子の悪いときは今でもその”一段”が途方もなく高く感じるときがあります。すべての段差がなくなればいいとは言いません。でも、せめて公共の場や病院くらい、もっと段差の少ない場所になったらいいのになぁと思います。
 

それでも毎日楽しんでいた入院生活

 

苦しいこともたくさんあった入院生活でしたが、それをなぜ乗り越えられたかというと、3つのことが挙げられます。
 

1つ目は、できることに感謝をしたこと。
 

できないことを数えていたらキリがありません。それより、「できること」「してくれたこと」に着目してみましょう。生きていること、話せること、目が見えること、水を飲めること、看護師さんが面白い話をしてくれたこと、母がごはんを食べさせてくれたこと。きっと、今の状況も、ちょっと前向きに考えるようになるはずです。
 

2つ目は、目の前のことに集中したこと。
 

「退院したらどんな生活が待っているのだろう」「学校はちゃんと卒業できるかな」「また歩けるようになるんだろうか」なんて考えていたら、きっとどんどん負のスパイラルに陥ってしまいます。それより、目の前のことに集中しましょう。
 

私は、あのとき入院していた誰よりもリハビリ室にいた自信があります。リハビリの先生たちが楽しい人たちだったということもありますが、1か月後の心配をするより、まずは目の前のリハビリに集中!1か月後のことを考えるのは1か月後でいいんです。まずはからだの回復に、今日やれることに集中しましょう。
 

3つ目は、日々の変化に気づき、成功を実感したこと。
 

ほんの小さなことで構いません。毎日「今日は管が1本抜けた」「今日は昨日より2センチ高く足をあげられた」その積み重ねを楽しむことです。
 

ある程度回復期になると、目に見える変化は減ってきます。でもそんなときは、1週間前の自分と比べてみてください。昨日と今日では変化がないように見えても、1週間で比べると、ちょっと成長していたり前進していたりすることがあるはずです。この嬉しい変化に敏感になり、積み重ねていきましょう。
 

最後に伝えたいこと

 

交通事故に遭った場所が実家からも当時自分が住んでいたアパートからも程遠い場所で、近くには誰も知り合いがいない状態だった私は、入院中、本当につらいことがあったときは、mixiの日記を書きました。
 

ひとりで悲しくなるときも、インターネットを通して、友人たちが励ましてくれる。それは私にとってとても心強いものでした。あのとき励ましてくれたみんなにありがとうを言いたい。そして、もし、今入院中の誰かがこれを読んでくれていたとしたら、この記事がその誰かの少しでも励みになれば、幸いです。

記事をシェア

この記事を書いた人

楓友子

21歳のときに交通事故に遭い、脊腰椎骨折、大腸破裂などの重傷を負い、杖が必要な生活となる。市販の高齢者向けの地味な杖を使うのが嫌で、2011年9月、24歳で独自ブランド「Knock on the DOOR」を立ち上げ、自身で装飾をした杖のインターネット販売を始めた。自分が嫌いで死にたいと思っていたが、事故を通じ「生きてるって奇跡なんだ」と知り、いのちへの考え方が180度転換。日本で唯一のステッキアーティストとして活動するかたわら、「生きるをもっと楽しもう」というメッセージを伝える活動も行っている。