交通事故で頸髄損傷になった私が最初に感じた死の恐怖から迫られた選択

健常者としてどこにでもいるような普通の女の子として過ごしてきた私、伊藤ユカ。そんな私がある日、交通事故に遭ってから人生は一変。『頸髄損傷』によって車いす生活になりました。
 


 

事故から1週間後に受けた手術。その後の合併症で一般病棟からICU(集中治療室)行きになった私。
 

交通事故で頸髄損傷になった私が最初に感じた死の恐怖、呼吸困難。
https://plus-handicap.com/2017/05/8511/
 

ICUに入っても、痰の調子は相変わらずでした。ただ、私のいたICUと一般病棟の違いは、ナースステーションと病室が一体化されているような造りだということ。
 

仕切りのすぐ隣には他の患者さんがいるようで、処置をしている音が聞こえました。少し離れた場所では、事務作業や次の処置の準備などをしているスタッフの気配。こういった気配が感じられるだけでも、安心感は格段に違うものです。
 

心電図などもつけられているので、万が一、痰が詰まって声が出せなくなっても、モニターのアラームが作動し、意識が飛ぶ前にスタッフが向かってくる様子が見えました。すぐ対応してくれていることが分かる。何も起きていなくても見回ってくれて、別の作業をしながらも視線がこちらに向いているときがあることが分かる。ここ数日間「いつ死ぬだろう」と不安で仕方なかった私は、ここへ来て初めて安心することができました。
 

事故に遭って運ばれて以来、毎日何時間も付きっきりで看病してくれていた家族は、ICUのルールで面会に時間制限があり、1日に数回、数分しか入れませんでした。でもそのおかげで、母に無理なお願いをせずに済んだし、娘が目の前で死にかけている姿を何度も目にしていたので、ICUに入ったことで母の心労が少しは軽くなったのかもしれません。
 


 

最初は「ICUなんて…」と思ったけれど、やっと安心して眠りにつくことができたし、「ICUに来て良かった」とさえ思えるようになっていました。
 

さて、私の合併症の肺炎の治療法。
 

X線撮影(レントゲン)では、通常ならほとんどが空気を含む肺胞は、X線が吸収されずに透過するため、画像上は黒く写ります。でも私のX線画像では、片肺は痰で白く写り、ほとんど機能していないと担当医は言いました。
 

ICUに整形外科の主治医がやってきて、私の口に小型の機械をくわえさせ「精一杯、吹いてみて」と言いました。どうやら肺活量を見ている様子。頸髄損傷の後遺症として、肺活量は正常値の半分ほどに減少してしまうのですが、片肺がほぼ機能していない分、そのときの私は一般的な成人女性の半分のさらに半分、1/4の数値しかありませんでした。
 

最初の方針としては、鼻と口をすっぽりと覆うタイプのマスクを装着し、人工呼吸器を使って肺の機能を取り戻す方針だったと思います。どういった機械か、その場で簡単に説明してくれた記憶があります。これはICUにいた呼吸器系にすごく詳しい看護師さんが勧めてくれた方法でした。
 

「ちょっと慣れるまでは大変だと思うけど…」
 

そう言われながら装着させられたマスクからは、装着する前からすでに勢いよく空気が出ていて、マスクをすると患者の吸気を検知し、息を吸うときには設定された圧まで送気され、吸気時に肺を広げやすく補助してくれるという機械でした。
 

これがまた非常につらくて…
 

肺を元のサイズに広げるためにこの機械をつけているので、現時点で吸い込める空気量より、少し多く送り込まれます。私にとっては「これ以上もう入らない!」というほど空気を送り込まれ、「これ以上もう体内に空気ないから!!」というほど空気を吸い取られる感覚。腕が動かないので、マスクを看護師さんに装着してもらいますが、呼吸のタイミングが合わないと軽い酸欠状態になり、慣れるまでクラクラしていました。
 

呼吸がうまくできないことでパニック状態だけれど、体のどこも動かせず、鼻も口も覆われ、声も出せないので「苦しい」と訴えることもできず。ただただ、自分がマスクに順応するように気持ちを落ち着けるしかありませんでした。
 

もちろん、痰が詰まればマスクを外して排痰し、またマスクを装着するので、やっとマスクに慣れてきたところでまた振り出しに。その繰り返しでした。前回の記事で痰が詰まって水に溺れたような感覚になったと書きましたが、数日後、今度は高圧な空気に溺れかけていました(笑)。
 

そんなことをしている一方で、救急病棟の担当医は『気管切開』を勧めていました。
 

気管切開というのは、気管とその上部の皮膚を切開し、その部分から気管チューブを挿入する気道確保方法。要するに喉を切開し、そこから呼吸ができるようにする装置を入れるというもの。確かに気管切開をすれば、呼吸も確実に確保でき、痰の吸引も入れっぱなしになっている管から定期的に行えばいいものなのですが、この方法には家族も主治医も反対していたようです。
 

家族は、
「女の子だから、傷ができる行為は1つでも少なくしてあげたい」と。
 

整形外科の主治医は、
「首も手術しているから、また新しい傷を作って感染症が起きたら大変だから切開はしたくない」と。
 


 

でも私はこの夜、気管切開を反対してくれていた看護師さんの勤務時間が終わって帰ったあと、苦しい排痰の時間を過ごし、救急病棟の医師にこう言われます。
 

「挿管しよう。苦しむのはもう嫌でしょ? 挿管してる間は薬で眠らされちゃうし、起きたときには良くなってるから楽だよ」と。
 

挿管とは、よく医療ドラマなどに出てくる、口から気管チューブを挿入する気道確保方法。気管切開と違い、口から入れるので傷はできません。
 

苦しい時間を過ごした直後、体力的にも精神的にも疲れていた私に、『楽になれる』という言葉。
 

「じゃあ…する」
 

少し悩んだけど、挿管することになりました。
 

口を閉じないようにマウスピースをはめられ、スプレータイプの麻酔を口の中に噴霧され、何とも言えない苦さに驚いているうちに管を入れる準備をされ、医師はモニターを見ながら管を進めていくのですが。
 

麻酔なんて全然効いておらず、喉付近で何度もえずき…医師も何度も挑戦し、やっと喉を通過してくれても、ここ数日で何度も気管支鏡をしているせいか、「気管支が腫れて見えにくい」などと言われ、おまけに気管支鏡のカメラに溜まっている痰が付着して視界を遮るようで、カメラを拭くために、せっかく涙を流しながら喉を通った気管支鏡を「抜かれた…!!」…という衝撃を3度くらい繰り返し、ようやく担当医の「よし入った!!」という声と共に私は眠らされ、意識がなくなりました(笑)。
 

理由までは聞けませんでしたが、今までの気管支鏡は眠らせてくれたのに、挿管のときは「管が入ったことを確認するまでは眠らせられない」と言われたことだけ覚えています。
 

あんな思い、もう二度としたくない…。
 

挿管もしたことだし、次に目覚めたときには今の苦しい日常から解放されると思っていた私ですが、数日後、いろいろな意味で驚愕することになるのです。
 

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伊藤 ユカ