壮絶な過去を受け容れるためのキーワード「死生観」と「勘違い」

客観的に見ると壮絶な過去を持っていても、本人は意に介さず楽しく生きている。例えば、中卒で、父親が4人いて、兄弟も10人いて、継父から包丁で刺されて、50社転職して、立ち上げた会社をつぶしたという経歴の持ち主。彼に対して、多くのひとは「大変だな」と感じたり、「過去のこと聞いていいのかな」と躊躇したりしますが、当の本人は「どんどん過去のこと聞いてください」や「僕は不幸のデパートですからね」とあっけらかんとしている。このギャップはどこから生まれるのでしょうか。
 

先日、Plus-handicapで主催したイベント、「壮絶な過去でも意外と楽しく生きてるひとの共通点って?〜自分の過去を活かして、自分の仕事を創る〜」では、3名のパネラーを中心に、来場頂いた40名の皆さまとともに、「過去の受容」をテーマに議論を重ねました。
 

20140315
 

今回パネラーとしてお話し頂いたのは次の3名です。
黒沢一樹さん
中卒で50社転職経験のある育ってきた家庭環境も複雑なNPO理事長
広瀬眞之介さん 
元ウツヒモニートの会社経営者
楓友子さん
交通事故で歩くのが不自由になったステッキアーティスト
 

3人の共通点は「死生観」の確立。死と向き合ったときの心模様。

 

パネラーの3人には自身の過去の中に死と向き合った瞬間がありました。黒沢さんは5階から飛び降りたもののバイクのシートがクッションとなり死に切れなかったり、広瀬さんはウツ等の原因からリストカットを繰り返したり、楓友子さんは車同士の正面衝突の交通事故から生還したり。死と向き合ったそれぞれの過去ですが、共通点は「今は生きている」ということです。
 

黒沢さんと楓友子さんの場合は「死のうと思った/死ぬ手前の経験をした」という過去から「生かされている」という発想に至ったと言います。自分が生きている意味が何かあるかもしれない。その意味を考えていくと、自身の過去に囚われるのではなく、今をどうやって生きるかという視点に切り替わったと言います。反対に広瀬さんの場合は「いつ死んでもおかしくない」という状況から「どうせ生きるんだったら後悔したくない」という発想に至ったと話していました。
 

「死」と向き合った瞬間に、対の状態にある「生」を意識することがあります。命を失うかもしれない状況に触れてしまったからこそ「今をどうやって生きていくか」という発想にたどり着きます。例えば、百田尚樹さんが書いた「永遠の0」のように、死が切り離せないストーリーを読んだとき、純粋に感動し、自分の生き方を考えさせられ、モチベーションが高まるのは、死を感じるという一種の疑似体験の結果なのかもしれません。
 

「生きている意味があるのかもしれない」や「生きるのであれば後悔したくない」というように自身の死生観が確立したときに、ひとは過去を簡単に受容できるのかもしれません。「生きる」ということは現在の活動です。「生きる」ことに焦点を当てることは、すなわち現在に焦点を当てることになります。現在に焦点を当てれば、過去に囚われる必要はなくなるのです。また、3日後・1週間後に「生きている」保証はどこにもないので、今を一生懸命に生きることが自分の軸となるのでしょう。
 

パネラーの3人。左から広瀬さん、黒沢さん、楓友子さん。
パネラーの3人。左から広瀬さん、黒沢さん、楓友子さん。

 

「勘違い」が自己受容への近道。

 

今回のパネラー3人の共通点としてもうひとつ挙げられるのは「自分自身が壮絶な過去だと思っていない」ということです。他者評価では壮絶でも、自己評価では壮絶ではない。このギャップは、本人が意図している・していないにせよ、周囲から見れば「勘違い」しているように見えることから生まれています。
 

この勘違いは、心理学の理論にある「ABC理論」で説明できるかもしれません。ABC理論は「状況(Activating event)は信念/固定観念(Belief)によって解釈され、結果として感情(Concequence)が引き起こされる。この感情が行動に影響する」というものです。例えば、上司に叱られたという状況に対し、また叱られた・自分は無能だと解釈し、憂鬱になる。その結果、仕事に意欲が湧かず、出勤できなくなるといったものです。パネラー3人は、過去の状況への「解釈」が巧い(ポジティブに解釈できる)のだと考えられます。
 

ヒントは「未来志向」にあるかもしれません。「起こってしまった過去は変えられない」という基礎があれば、変えられる現在に目を向けられます。上記で書いたような死生観を持ち合わせていればなおさらです。どれだけ壮絶な過去を抱えていたとしても、現在にさえ目を向ければ問題はないと考えることが出来れば、よりよい現在を作り出すための行動を選択でき、さらに、その行動を積み重ねていけば、明るい未来が待っているという考え方。パネラー3人はおそらく無自覚的に、一瞬でこの考え方を実践しているため、周囲は「勘違い」していると捉えてしまうのだと思います。
 

ポジティブに状況を解釈できるようになるためには、「この状況をポジティブに解釈するとどうなるだろう」と自問自答を繰り返す経験を増やすしかないでしょう。3回でできるようになるひともいれば、100回かけても無理なひともいるかもしれません。それは個人差、性格の差でもあります。ただ、ひとは何度も繰り返し練習をすることによって、スキルを身につけていくもの。地道に積み重ねていくことが近道です。
 

3人はあくまでもサンプルでしかない。

 

イベントでの3人の意見から導かれたキーワードは、「死生観」と「勘違い」ではないかと考えています。より詳細に言えば、「死生観の確立」と「状況をポジティブに解釈できる巧さ」です。壮絶なという言葉を文章では使っていますが、壮絶であろうとなかろうと過去は存在していますし、過去の延長線上に私たちは生きています。自分の中で引っかかる過去があり、それが今の自分の足を引っ張っているのであれば、その過去を受容する必要があります。
 

過去は他人から見れば些細なものもあれば、大変なものまで様々です。つまり、自分にとって引っかかっている過去も、他人からの評価は様々なのです。もちろん、周囲の方の意見が参考になることはありますが、最終的には自分で向き合うしかありません。
 

パネラーは最終的には自分自身で過去と向き合い、今を生きています。ただ、結局はパネラーの意見もひとつのサンプルに過ぎませんし、今回の記事もサンプルのひとつです。答えはひとつではないので、うまくサンプルを活用し、自分なりのトライアンドエラーを繰り返して頂ければと思います。
 

※今後もイベントは定期的に企画して実施したいと考えております。皆さまにお会いできることを楽しみにしております。

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。