パラリンピックが盛り上がらない理由と佐村河内氏問題には共通点がありそうな気がする

ソチパラリンピックが閉会(2014年3月16日)を迎えました。金メダル3個、銀メダル1個、銅メダル2個という成績は、日本勢の躍進を感じました。みなさんは今回のパラリンピックに関して、どのような感想を持たれたでしょうか?
 

・おもしろかったよ。
・障害に負けず頑張っている選手に勇気をもらった。
・今まで見たことのなかった競技種目に出会えてよかった。
 

いろいろとご意見はあると思います。しかし、率直な感想としては以下のようなものが大勢をしめるのではないでしょうか?
 

「えっ!?そんなこと言ってもよくわかんないよ。そもそもそれほど興味ないし。」
 

本音ベースで言うと、これが一番誠実な答えかもしれません。現段階では私もスポーツを趣味にしていないので、競技性云々はよくわかりません。たしかに、自分と同じような障害者たちがスポーツに真剣に取り組んでいる姿は感動しましたし、その中でも、メダルを獲得した選手、惜しくも敗れた選手、棄権をしてしまった選手たちの悲喜こもごもには、心を打たれました。また、自分の障害人生を重ねてしまうものもありました。
 

しかし、スポーツ競技として見たとき、パラリンピックに共感できるかというと、大きな「?」が生まれます。これは選手たちの競技レベルについて言及しているわけではありません。私が感じてしまうのは「よく知らない障害者がスポーツをやっているが、その内容は、健常者の競技と比べると“どうしても”見劣りする部分もある」ということ。「障害者の世界では凄いことだよね」という限定感が生まれるということです。
 

同じ障害者である自分がこのように思うくらいですから、健常者目線で見ると、もっと顕著に感じてしまうのかもしれません。しかし、表立ってそう言ってしまうと非人間的に思われてしまうので、お茶を濁しながら「応援しています!」と体裁を整えているひとが多いのではないかと考える私は考え過ぎなのでしょうか。
 

パラリンピックの認知度(言葉は知っていても競技は知らない)は低く、競技自体の歴史が浅いものもあります。加えて、普段の活動等は取り上げられず、いきなり競技大会本番。放送(ダイジェスト)では、選手が障害を負った背景やそのスポーツを始めた理由等にも特に触れられずに、競技のみに焦点が当てられています。今のように取り上げられている状態だと、”あえて”見る必要があるのかと感じてしまいます。見ようという気持ちまでたどり着きにくい。このままだと”共感”という領域まで至らないのではと思います。
 

情報が氾濫している現代社会において、人が興味を持つ理由は”共感”です。人は”共感”して初めて行動するものです。特に予備知識がなく福祉的な視点だけでパラリンピックを見る健常者は、むしろレアケースなのかもしれません。
 

話は少しそれますが、昨今話題となっている自称・全聾のピアニスト佐村河内氏の問題について、五体不満足でおなじみの乙武洋匡さんは次のように語っています。
 

「聴き手が何を求めていたのかってところだと思うんですよね。耳が聞こえる人が書いたのか、聞こえない人が書いたのかによらず、素晴らしい作品は、素晴らしいんだと思うんですよ。」(一部抜粋)
http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-3304.html
 

「耳の聞こえない人が楽曲を書いた」という付加価値に踊らされたマスコミや聴衆に対しての批判。先天性の障害を持って生きてきた乙武さんには、「障害者を特別扱いせず普通に扱ってほしい」という気持ちがあり、それを逆手に取った佐村河内氏へ痛烈な批判を込めていると感じます。
 

私も乙武さんの観点には共感しますし、一面の真理が込められていると思います。ただ、人は作品(対象物)のみで判断することはほとんど不可能で、作品を創りあげた人間の背景情報を加味しながら、作品を評価する生き物です。情報が少なかった時代であれば、作品だけで評価されることもあったと思いますが、現代は情報が氾濫しています。その中で見つけてもらうには「作品(対象物)+関わる人間の背景情報(ストーリー)」なのです。
 

私自身、佐村河内氏についてはもっと糾弾されるべきだと思っていますが、パラリンピックと佐村河内氏という、同じ障害者関連についてのトピックには共通項があるのではないかと感じるのです。
 

パラリンピックがもっと盛り上がるためには、各競技者や団体等の地道な活動は前提にありますが、スポーツを行う障害当事者自らの情報発信への姿勢が大事でしょう。障害当事者がスポーツを始めた理由は、どれもドラマチックだと思います。競技への没頭や日常生活の忙しさから、どうしても発信作業は後回しになりがちですが、社会や多くのひとに共感してもらうためにはアピールすることが重要ですし、そこに着目するメディアがあってもいいと思います。障害者スポーツをやっているひとりひとりが一緒になってパラリンピックへの興味喚起を作っていく流れが、一番ストーリーが込められた共感を生みやすいのだと考えます。
 

2020年には東京パラリンピックが開催されます。そこへ向けたスター選手の登場も重要になってくるでしょう。マスコミが商業主義でつくりあげた人物ではなく、障害者サイドから世に送り出していけるアスリートの発掘が進めば、共感値はより高まります。
 

パラリンピックは盛り上がらない、なかなかマスコミに取り上げてもらえないと簡単に諦めず、原因は何か?どうすればいいのか?という視点を持って、社会全体で取り組んでいきたいものです。Plus-handicapでも一助になれるよう、さらに進化を遂げていきたいと思います。
 

最後に、私もスポーツを始めたいのですが、特にやったことがないので何をやってよいのかわかりません。おすすめがあれば、どなたか教えてください。よろしくお願いします。

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この記事を書いた人

堀雄太

野球少年だった小学4年生の11月「骨腫瘍」と診断され、生きるために右足を切断する。幼少期の発熱の影響で左耳の聴力はゼロ。27歳の時には、脳出血を発症する。過去勤めていた会社は過酷な職場環境であり、また前職では障害が理由で仕事を干されたことがあるなど、数多くの「生きづらさ」を経験している。「自分自身=後天性障害者」の視点で、記事を書いていきたいと意気込む。