福知山線脱線事故から10年。過去を受け容れた方々の言葉が刺さる。

事故はいつ誰の身に起こるかは分からない。自分の命がそこで終わるかもしれないし、自分の家族や大切なひとの命がそこで終わるかもしれない。未来は自分の力で切り拓くものだという自己啓発的な言葉はあるけれど、未来をすべて自分の手で決めることはできない。事故による突然の人生の終了は絶対に嫌だ、何としてでも避けたい。
 

昨日、4月22日より始まった「わたしたちのJR福知山線脱線事故ー事故から10年展」を見て、私自身に湧き起こってきた感情は「生きたい」と「自分の手で人生の終了を決められればいいのに」というものでした。自分の死を自分では選択できないもどかしさ。人間は永遠の命を追い求める生物なのかどうか分かりませんが、死をコントロールできないというのはなかなか苦しいと感じた空間でした。
 

今から10年前の2005年4月25日。JR福知山線脱線事故は兵庫県尼崎市のJR福知山線塚口ー尼崎間で発生しました。走行中の快速電車が制限速度を大幅に超えてカーブに進入し脱線。線路脇の9階建てマンションに激突し、乗客106名と運転士が死亡、562名が負傷した事故です。当時20歳だった私は、連日連夜のニュースを見て、電車に乗ることを億劫になったことを覚えています。
 

事故からちょうど10年。「私たちが知らない事故現場の姿を東京で見る機会があれば、書籍や報道とは違う形で事故について考えるきっかけが生まれるのではないでしょうか」という1通のメールから始まった展覧会。冒頭に述べた死生観、そして過去の完了の意義を考えるきっかけが、この展覧会にはありました。
 

福知山線展チラシ
 

 

10年という年月が長いものなのか短いものなのか。この10年の間に事故に遭ったひとがどのような想いを巡らせていたのか。展覧会初日にあったトークショーとそのやりとりで聞いたお話は、非常に興味深いものでした。
 

自分の中の葛藤として、死者が出た車両に乗っていたひととその他の車両に乗っていたひとは違うという区別が当初ありました。この展覧会の発起人の木村さんに「当事者でない人間がイベントをやってもいいのか」と聞かれたとき、事故から数年のときだったらダメって答えてたかもしれません。でも今は受け止め方が変わったんです。事故のことが伝わっていないという想いがある。見たり体験しないと分からない。何百時間話しても分からない。見てもらいたい、伝えたいなという想いが湧いてきたんです。(事故被害者:小椋さん)

 

事故に遭わなかったら?とよく聞かれるけれど、そのifは想像できないんです。だって事故に遭ったことが自分の人生だから。事故をきっかけに出会えた縁もあれば、出来事もある。それらすべてが自分の人生を作るエッセンスなんです。ひょっとしたら事故は失恋や失敗のようなものの中でめちゃくちゃ大きいものかもしれない。事故をどう捉えていくかは最後まで分からないと思います。(事故被害者:木村さん)

 

自分が体験した事故について、自分の感情の揺らぎを伝えることができ、自分なりの意見を持っている。お2人が話すひとつひとつの言葉には、強さと優しさを兼ね備えているように感じました。当事者は得てして自分の感情に従った言葉の選択と語調になるような感覚を覚えますが、分かりやすく的確な言葉を選んだ会話は、何も知らない非当事者の私たちの心にすっと入ってきました。
 

自分の人生に脱線事故がついて回るのが許せなくて、「脱線事故の被害者」というフィルターを通して見られるのが嫌でした。だから、自分から積極的に脱線事故の被害者とは言いませんでした。ただ、先日、事故からここまでの10年について綴った本を出版したんですが、事故についての意味付けが私の中でしっかりできるようになったんだと思います。(事故被害者:岡崎さん)

 

展覧会とは別の機会にお会いした事故被害者の方の言葉も非常に力強く、また、自分の素直な気持ちを吐露していることも印象的でした。自己開示しながら、自分の心情を飾らない言葉で伝えてくれることは、嬉しくもあります。
 

3名のお話も含め、他者から見れば悲観的になる現実から一歩ずつ歩んできている方々は、自分が置かれていた状況を客観的に、かつ相手目線に立った言葉で語ります。客観視できるかどうかが、重要な岐路かもしれません。脱線事故という大事故をくぐり抜け、その話を他者に語る。そこまでにはたくさんの葛藤の連続があったことは想像に難くありませんが、自分の過去を自分なりに完了しているんだろうな、そしてその度合いが客観的な言葉に乗り移るのだろうなと感じます。
 

Plus-handicapが焦点にあてる「生きづらさ」も、その緩和や解消には「完了」が鍵になるのだろうなと改めて感じることができました。展覧会は26日まで(東京都豊島区駒込)です。
 

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。