「いつかは子どもが欲しいね」
夫とその話をしたのは、私が26歳、結婚して2年ほど経った頃でした。その当時、夫は会社員で私は起業してまだ1年ほど。お互い仕事が楽しくて、だけど先なんて全然見えなくて。とにかく目の前のことに必死になる日々でした。
そんなある日、夫と二人で将来について話し合う機会があり、「いつかは子どもが欲しい」ということで二人の意見が一致しました。
今思えば、それまではなんとなく子どもの話はあまり深くしないようにしていたような気がします。仕事が楽しくて後回しになっていたというのもありますが、やはり一番は私の身体のことが気がかりだったのだと思います。
私は大学生のときに交通事故に遭いました。腰椎骨折、脊髄神経損傷、大腸出血等々…。その事故の後遺症のため、現在も杖が必要な生活を送っています。出産に関しては、事故当時、主治医から「子供は産めるだろう」と言われていたものの、本当に産めるのか。産めたとして、育てられるのか。不安はたくさんありました。
子育て生活実現のために出した3つの選択肢
「ステッキ生活」と一言で言っても、いろんなステッキ生活があります。ステッキが手放せない人もいれば、体調の悪いときだけ使う人もいますし、使うステッキの種類も様々あります。
私の場合は、外出時は毎日ステッキを使います。また腰椎骨折の影響がありコルセットも使用しています。そんな私にとって、育児に関しては特に”抱っこ”と”移動”が不安でした。
徒歩2分のスーパーでキャベツを買って帰ってくるだけで腰が痛くて、帰宅後少し横になる生活をしていたくらいです。生まれたときから3キロ前後ある赤ちゃんを、日々大きくなるわが子を抱っこできるのか。
また、ベビーカーを使って移動するというのも不安がありました。仮に平らなところはベビーカーをステッキ代わりに歩行補助にするにしても(推奨されている使い方ではありませんが)ちょっとでも段差があると私にはベビーカーを持ち上げてその段差をクリアすることができません。
「私ひとりで子育てするのは無理。子どもが欲しければなにか工夫をしなければ。」
その当時、夫は週5、6日で朝7時から夜10時頃までいない日々。お互いの実家は遠く新潟と北海道。何を変えたら子どものいる生活を実現できるだろうかと考え、私たちは以下の3つの選択肢を出しました。
①住む場所を変える
②収入を変える
③生活スタイルを変える
まず①の「住む場所を変える」というのは、どちらかの実家に帰るということを想定していました。両親の助けを借りながら子育てをするというわけです。
しかしお互いの実家は、新潟(上越)と北海道(道東)。ステッキ生活をしている私にとっては、豪雪か氷かを選べと言われているようなものです。また車の事故に遭った私にとってはトラウマがあり車の運転はしたくないのですが、各々の故郷は車が無いと生活がとっても不便な田舎でもあります。さらに当時起業したてだった私には、田舎に帰るというのはビジネスチャンスを逃してしまうような気もしていました。
なるべくなら①の選択肢はとりたくないな…ということで、次の②「収入を変える」を考えました。これは「ベビーシッターや幼稚園などを気兼ねなく使えるだけ収入を増やす」という意味です。
お互いに「たくさん稼ぐぞ!」と仕事に対するモチベーションを上げる要因にもなりますし、自分たちも好きな事(仕事)をしながら子育てもできて、この選択肢はアリな気がしました。ただ正直、私たちはあまりこの生活をしているイメージを持てませんでした。
お互い朝から夜遅くまで働いて、その間何かしらのサービスを利用して子どもを誰かにみていてもらって…。それが私たちの目指す理想の生活なのか、確信が持てませんでした。
次に③「生活スタイルを変える」を考えました。これはつまり、「2人で一緒に子育てをする生活」という意味でした。
家で一緒に子育てをしながらそれぞれ仕事もする生活。私一人では子どもと一緒にスーパーに買い出しに行くのすら難しいですが、夫と一緒に三人だったら可能です。家で仕事をしながら一緒に子育てというのは、理想的にも思えましたが、当時会社員で営業をしていた夫が家で仕事をするというのは、今のキャリアを捨て、イチから始めることになります。
どの道を目指すべきか。あるいは4つ目の選択肢となる「子どもを諦める」を選ぶべきなのか…。悩む私に、夫はあっけなく「どうせなら理想を目指そう」と言ってくれました。
「二人で一緒に子育てできる生活を目指そう」と。
そして私たちはそれに期限を設けました。私が30歳になるまで、理想を追い続けよう。それでダメだったら、そのとき方向転換をしようと。
そしてその話し合いから半年後、夫は会社を辞めました。
理想を目指す道のりは、決して穏やかではありませんでした
それから私たち夫婦の「理想を目指して試行錯誤する生活」が始まりました。夫は何度も職を変えました。自分でビジネスを起こしてみたりもしました。正社員にならないかというお話も他方からいただきましたが、それもすべて断ってきました。
現実は、失敗の連続でした。これが例えば孫正義氏だったら最初から分析して計画して最良の道を最速で進んでいけるのかもしれませんが、私たちは「まず行動」タイプで、やってみてから「やっぱりこれは違う」「これだと理想の生活には遠い」と気づき修正する…の繰り返し。
はたから見たら、夫はただの変人だったと思います。あるいは「仕事の続かない今どきのダメな若者」と思われていたかもしれません。友人にも親兄弟にも理解されず、それでも私たちはただ私たちの理想の生活を求めて動いていました。
あの話し合いから数年が経ち、私が29歳の誕生日を迎えた頃、私たちはもう限界を感じていました。理想を目指して歩んではいるものの、前に進んでいるのではなくただ横ばいに動いているだけなのじゃないか、理想には近づいていないんじゃないのか、そんな気持ちになり諦めそうになったとき、半ばやけくそ状態で私はひとり京都に行きました。
友人に会いに行っただけのつもりが、そこからなんとポンポンと話が進み「京都でゲストハウスを運営しないか」というお話をいただきました。
市ヶ谷の日高屋で夫と2人でゲストハウスのオーナーに詳しく話を聞いた日を忘れることはないでしょう。オーナーがトイレに立ったときに「どう思う?」と夫に聞いたら、彼は「やろう」と即答。
それから二カ月後、私たちは京都に引っ越しました。
あのとき描いた”理想の生活”
今、我が家には生後2か月の娘がいます。
京都市内でゲストハウスを二店舗運営していますが、掃除は基本アルバイトに任せて、夫は主に家でゲストへのメール対応やウェブ管理などをしています。今は育休ということで活動を制限していますが、営業代行のお仕事もしています。私も今はステッキアーティストのお仕事をお休みしていますが、今後徐々に再開していく予定です。
現在の我が家の、とある1日を紹介します。
朝、娘の泣く声で目を覚まし、授乳&朝ごはん。夕方まで夫は家で仕事、私は家事育児。夕方1~2時間ほど私のカフェタイム。私は絵を描いたりステッキの新商品のデザイン画を描いたりして、スーパーで食材を買って帰る。夫が夕飯を作ってくれている間、私は授乳。夜ご飯後、娘をお風呂に入れたら今度は夫のカフェタイム。彼はカフェで主に事務作業やメール返信などをしているそう。夫の帰宅後、就寝。
ここまでの道のりを振り返ってみて、一番良かったなと思うことは、最初に夫と”自分たちの将来像”を共有できたことです。身体的な不安も含め、どういう生活をしたいのか、そのために何をクリアしたらいいのかを共有した状態で「あれがゴールだ、さぁ行こうか!」とスタートしたので、途中誘惑があってもモンスターが出てきても毒キノコにやられても、道を外れるということはなかったように思います。
私たちもまだまだ日々試行錯誤です。喧嘩もたくさんします。子育て生活には、子どもを授かる前には想像もできなかったことがたくさんあり、その都度軌道修正をしながら進んでいます。
辛くなることも不安になることもありますが、総じて言えるのは、この生活を選んでよかったということ。娘のいる今の親子3人生活がとても幸せであるということです。