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society
当事者発信が大切だと思っているあなたへ伝えたい3つのこと。
当事者発信には、納得度の高いものや「なるほど」が詰まっているものもあれば、承認欲求の塊のようなものや受け取る側に配慮されていないものもあります。テレビや新聞、講演が中心だった当事者発信は、WEBでも動画でも簡単に発信できるようになり、お手軽になった分だけ、発信者はその存在と発信内容が試されるようになっています。当事者発信において、外しちゃいけないポイントを3つに整理してみました。 -
society
そこには障害者なんていなかった。1年間のデンマーク留学を終えて。デンマーク留学記⑰
2017年12月、エグモントホイスコーレンを卒業する日がやってきました。日本では「障害者」だということに悩み、デンマークに行ってからは「障害ってなんだろう」っていうことに悩み、そして「障害者っていないんじゃない?」へ変わった。たぶんそれは「障害者だから」という言い訳を、障害者にも障害者を取り囲む社会にも許さない国にいたからだと思います。 -
働きづらさ
生きづらさを抱えたひとほど「いい部下」を目指したほうが楽になれる?! 江口克彦『部下の哲学 成功するビジネスマン20の要諦』を読んでみた。
世の中にあふれている自己啓発本やセミナー、WEBサイトのコラムなどでは「リーダーを目指そう」「自分らしさ」「自己実現」などのメッセージが発信されています。しかし、生きづらさを抱えたひとたちが「リーダーを目指す」ことは果たして現実的なのでしょうか。「自分らしさ」を発揮することや「自己実現」を身近に感じられるのでしょうか。 -
society
「なぜ?」という問いが奪う自己肯定感と自己評価。
道ばたで3歳くらいの男の子がお母さんに「なんでそんなことするの?!」と怒られている。いたずらでもしたのかな?子どもは「ごめんなさい」と泣きじゃくって謝っているけれど「なんでママを困らせるようなことするの?!」とお母さんは追及。「なんで?」と連続で聞かれても答えられないよね。お母さんを納得させられるような理由なんてない。 -
society
生きる価値ってなに?可視化できるの?「人」と「価値」とを結びつけること自体が難しい。
私が障害者支援業界に身を投じた年の7月26日に、相模原障害者施設殺傷事件が起きました。この時から、人の「生きる価値」とは何ぞや?とずっと考え続けています。業界柄、人権研修や差別に関する講演会など、人を尊重することの大切さや虐げることの愚かさを教授して貰える機会がありますが、私自身で考え、結論づけるしかないと分かりました。 -
society
どの物差しで自分の価値を測るのか。すべては物差し次第。
例えば、どのような人を健常者といい、また障害者というのか。それは結局、都合よく決められた物差しで区別しているに過ぎないのではないでしょうか。そこには他者から決められた物差しもあれば、自分で決めつけてしまっている物差しもあるでしょう。その物差しを変えれば、誰だって障害者のカテゴリに入ってしまうこともあるのではないでしょうか。 -
society
支援者になってつくづく感じた、自分のコミュ力の不甲斐なさ。
「”ございます”もいらない」障害者施設に勤務している私が配属当初、利用者のひとりに「おはようございます」と挨拶をした際、上司に注意された言葉です。ここだけ切り取ると大きく誤解されるので経緯をさらっと。私が配属されたフロアは、自閉症・自閉傾向のある方で構成されています。利用者一人ひとりに様々なこだわりがあり、そのうちのひとりに「挨拶のこだわり」があります。 -
human
「障害者」ではなく「障害を持つひと」に変わった。エグモントで学んだこと。奥山修平さんインタビュー。デンマーク留学記⑯
青春真っ盛りだった頃、体育祭で騎馬戦をした日、首から下が動かなくなった。だけど、今はそんな日々も思い出すのに時間がかかる。173㎝の身長を車椅子にのせ、春のポカポカした陽気とマイナスイオンを常に身体中の細胞から発しているような雰囲気の奥山修平さん。今年の一月からエグモントホイスコーレンに留学している彼に、障害について、そしてデンマークと日本についてお話を伺いました。 -
society
医療が意外とバリアフリーじゃない
住居、教育、雇用、交通機関など、障害者を取り巻く社会の課題は多岐に渡りますが、その中でも忘れてはならないのが医療です。これは「高度先進医療をいつでもどこでも誰でも受けられるように」というような、たいそうな話ではありません。風邪を引いたらすぐに近所の内科に行けるとか、予防や早期発見のために定期的に検診を受けられるとか、そういった身近な医療の話です。 -
孤独感
『酔いどれ詩人になるまえに』『苦役列車』ー孤独は贈り物ー
今回ご紹介する映画は『酔いどれ詩人になるまえに』と『苦役列車』です。かつて私の中に「孤独」という感覚がない時期がありました。もしかしたら多くの人がそうかもしれません。子供のころの全能感の延長のような、自分の信じる価値観が絶対的に存在しており、それに従って行動することが全てだと自信をもって言えた時期でした。