『酔いどれ詩人になるまえに』『苦役列車』ー孤独は贈り物ー

こんにちは。新名庸生です。今回ご紹介する映画は『酔いどれ詩人になるまえに』と『苦役列車』です。
 


 

『酔いどれ詩人になるまえに』はアメリカ人作家ブコウスキーの小説『勝手に生きろ!』(原題:Factotum)を、『苦役列車』は日本の小説家 西村賢太の芥川賞受賞の同名小説をそれぞれ映画化した作品です。
 


 

もし何かにトライするなら 徹底的にやれ
でなきゃ やるな
恋人や妻を 失うかも知れない
親戚や定職や― 正気すらも
3、4日メシに ありつけないこともある
公園のベンチで凍え 留置場にブチ込まれることも
また冷笑され― 徒労や孤独も味わうだろう
 

だが孤独は贈り物だ
ほかは忍耐力のテストだ
いかに本気かが試される
それらを越え― 拒絶や確率の低さを ものともせず―
やり遂げた時のすばらしさは格別だ
 

もし何かにトライするなら 徹底的にやれ
最高の気分に浸れる
世界は自分と神々だけになり 夜は火と燃える
最後に笑うために ハードルを突き破れ
それだけが価値ある戦いだ
 

これは『酔いどれ詩人になる前に』のラストで朗読されるブコウスキーの詩『Roll the Dice』です。
 


 

かつて私の中に「孤独」という感覚がない時期がありました。もしかしたら多くの人がそうかもしれません。子供のころの全能感の延長のような、自分の信じる価値観が絶対的に存在しており、それに従って行動することが全てだと自信をもって言えた時期でした。
 

しかし私はその後、期待と現実との間にギャップが生まれ始め、どうしようもなくそのギャップの深さに前に進めなくなり、かといって引き返そうにもだいぶ一人で歩いてきたために帰り道も見失い八方塞がりだとしか思えなくなったとき、自分を支えていた価値観が見る見るうちに崩れ、自分という存在が社会と隔絶し、宙ぶらりんになったのを感じました。
 

前方には闇しかなく、どこに向かって何をすればいいのか全く分かりません。そして何の根拠もなしに独りよがりの価値観で突っ走ってきた過去の自分を呪いました。何とか精神の安定を多少取り戻せたとき、私は「普通であること」に過敏になり、自分が世間の「普通」とずれていると感じると猛烈に不安や孤立を感じるようになりました。
 

それでも本当にやりたいこと、目指したいものが再び見え始め、腰を据えてじっくり取り組み、事をなそうとすれば一人で思い悩み試行する時間が必然的に生じます。その時かつての絶望がトラウマとしてよみがえり、どうしても二の足を踏んでしまいます。そのような時にブコウスキーのこの詩が勇気を与えてくれます。
 


 

そしてブコウスキーと同じようにどん底の生活の中で文章を書いてきた作家に西村賢太がいます。私は『苦役列車』を読んだのを皮切りに、当時出版されていた西村賢太の小説を瞬く間にすべて読みました。それらはブコウスキーと同様、孤独を全身で受け止めながらも力強く存在する生き様として心の支えになっています。
 

何度も言うように、根の本質もさることながら、更にそこへ他者と交じわるに一種の諦観と恐れと云ったものが後天的に生じ、それをかかえたままの状態で人格形成期を経ててしまった彼には、所詮精神的には百人の友よりも、一杯のコップ酒の方がよっぽど心の支えとなるようでもあった。(西村賢太『苦役列車』)

 

人生を棒に振るつもりでやりたいことをとことんやる。それに勝るものはないですね。(公募ガイド2016年8月号 西村賢太インタビュー)

 

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【ストーリー】

『酔いどれ詩人になる前に』

ヘンリー・チナスキー。”自称”詩人。売れない詩や小説を出版社に送り続けながら、その場しのぎの仕事を渡り歩いている。何をやっても続かないその日暮らしの酔っぱらい。でもいつだってチナスキーには、ちょっぴりのユーモアと一杯の酒がある。くそったれな世の中で、湧き上がる詩、言葉がある…。世界中でカルト的人気を誇り、ショーン・ペン、ボノ等数多くのアーティストに計り知れない影響を与えたアメリカ人作家チャールズ・ブコウスキー。アメリカ文学界の反逆児として、最後まで貫き通したクールでパンクな人生と、毒気の効いたユーモアと反骨精神に溢れた作品は、世界中に多くの熱狂的なファンを生み出した。ブコウスキーの分身=チナスキーを演じるのは、「クラッシュ」でアカデミー賞助演男優賞にもノミネートされたマット・ディロン!恋人・ジャン役にはリリ・テイラーが好演。さらに、マリサ・トメイがカメオ的出演でスクリーンに華を添える。監督は「キッチン・ストーリー」で一躍脚光を浴びたノルウェーの俊英ベント・ハーメル。だらしなくていい加減な男・チナスキーを、温かいまなざしで描き、その生き様を愛おしく浮かび上がらせる。
 

『苦役列車』

1986年。中学校を卒業して以来、孤独な日々を過ごしていた北町貫多(森山未來)は、19歳の今、日雇い労働で稼いだ金をあっという間に酒と風俗に費やすようなその日暮らしをしていた。ある日、職場に専門学校生の日下部正二(高良健吾)が入ってくる。一緒に過ごすうちに、貫多にとって日下部は初めて友達といえるかもしれない存在になる。そんな中、古本屋に立ち寄った貫多は店番をしていた桜井康子(前田敦子)に一目惚れをする。日下部の後押しにより貫多はどうにか康子と友達になる。しかし友達という存在に慣れていない不器用で屈折した貫多の態度により、3人の間に亀裂が生じる……。
 

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