「なぜ?」という問いが奪う自己肯定感と自己評価。

道ばたで小さい男の子がお母さんに「なんでそんなことするの?!」と怒られている。いたずらでもしたのかな?子どもは「ごめんなさい」と泣きじゃくって謝っているけれど「なんでママを困らせるようなことするの?!」とお母さんは追及。「なんで?」と連続で聞かれても答えられないよね。お母さんを納得させられるような理由なんてない。
 


 

代表という立場があるからか「なぜプラス・ハンディキャップをやろうと思ったんですか?」とよく聞かれる。いやいや「なぜ?」って聞かれても…。「面白そうだから」と答えると、あなたはどうせ不満そうな顔をするし、「社会を変えたいんです」と答えると、あなたは「その答えを待っていた」みたいなドヤ顔をするし。僕はあなたを満足させる理由を常に用意しないとダメなんだろうか。ちなみに「面白そうだから」のほうが本音に近い。
 

「なぜ」という問いは、たった2文字で上下関係を作ることができる神ワード。「なぜ」は使ったもん勝ち。その問いを使った瞬間から、私を満足させられるような答えをあなたは用意してねという要求が始まる。
 

「これでどうだ!」という回答を伝えたところで「ふーん」とか「へぇ、すごいね」とか素っ気ない反応しか出てこないんでしょ?安い言葉を使って回答すれば「それだけ?」「もっとないの?」みたいな反応を示してくるんでしょ?ズルい。
 

質問者の期待に応えられるかどうかを試すコミュニケーション手法なので(少なくとも僕はそう感じやすい)対人関係でマウント取りたいひとは「なぜ」を連発すればいいだけ。簡単なこと。
 


 

就活の面接で志望動機を聞かれる質問も同じで「なぜわが社を志望したんですか?」という問いに、面接官が満足のいく回答なんてなかなか準備できない。しっかり準備できているほうが正直怪しい。なるほど!と思わせられるような回答を伝えられるくらい、御社は求人広告・自社サイト・SNS・説明会で効果的かつ分かりやすい情報発信ができているんですか?選ぶ側・選ばれる側という上下関係があるからこそできる、安易なコミュニケーションである。
 

「なぜ私はこんなつらい思いをしているの?」「なぜ私だけこんな体に…」など、生きづらさを感じやすい状況にあるひとは、自分に対して「なぜ」を使う。この「なぜ」は過去の元気だった・幸せだった自分から、今の自分に対しての問いである。過去との比較の中で生まれる問いは、自己肯定感を削っていくための行為。「よせばいいのに」という行為である。
 

「なぜ」という言葉ほど、相手を弱らせ、自分のポジションを得ることに効率的なものはない。そして、自分自身との対話で「なぜ」を使うことはどれだけ自虐的なことなのだろうか。
 

どうしても「なぜ」を使ってしまうなら「どうやって」という未来の行動を尋ねられるように、発想を切り替えることを提案したい。英語で言うならば「why」ではなく「how」だよねということ。英語にする意味は特別ないのだけれど。
 


 

「どうやって」は、質問する側・回答する側どちらにとっても、現状を認めているという合意が取れた状態である。現状を認めた上で未来の行動を聞いているのだから、少なくとも否定的ではない。また、行動を共に考えようとしてくれる問いなので、応援者としてのポジションを表明してくれている。
 

「なぜ」は考えを聞くものであって評価しづらく、「どうやって」は行動を聞くものであって評価しやすい。いわば定性評価か定量評価かという違いが生まれやすいからこそ、質問者に意見を言われても納得しやすい。
 

さらには「なぜ」は過去を聞くものであって、それに対する意見は自己肯定感を奪うにちょうどよく作用してしまう。「どうやって」は未来を聞くものであって、それに対する意見は自己効力感(自分はできそうか)を高めることに発揮される。たとえネガティブなコメントであっても、改善すればそれだけ良い未来が描きやすい。
 

冒頭のお母さんであれば「やってしまったこと、起こってしまったことは仕方ない、これからどうするの?」と考え、子どもに分かりやすく尋ねるのが大人な振る舞いで、就活の面接であれば「わが社にどう力添えしてくれますか?」「あなたが役に立てそうなことは何ですか?」と聞くほうが無難である(「how」だけじゃなく「what」が増えた)。
 

相手に対しても、自分に対しても「なぜ」を連発するのはあまりおすすめしたくない。もし皆さんのまわりにそんなひとがいたら、そっと距離を置くことをおすすめするし、もし自分がそんな傾向だったら「どうやって」と聞けるように行動を改善したほうが、人生、楽になるはずである。
 

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。