当事者発信が大切だと思っているあなたへ伝えたい3つのこと。

最近、小学校や中学校からの講演依頼が増えてきました。学生が相手なので、テーマは「障害者理解」の要望がほとんど。障害をもって生まれてきた自分の経験や考えなどを学生に話すことができるのは、幸運なことです。
 

障害者が障害者について語ることは、当事者発信というジャンル。当事者しか持ち合わせていない事実を伝えることによって、今まで知らなかった世界を知り、自分事として考えてもらう。古くは戦争経験者、近年増えてきたテーマでいえば、ひきこもりやLGBTが挙げられるでしょう。
 

以前はテレビや新聞、講演が中心だった当事者発信は、WEBでも動画でも簡単に発信できるようになりました。このPlus-handicapというメディア自体もそう。お手軽になった分だけ、発信者はその存在と発信内容が試されるようになっています。
 

今までの経験を踏まえ、当事者発信が大切だと感じている方々に伝えたいことをまとめてみました。当事者発信には、納得度の高いものや「なるほど」が詰まっているものもあれば、承認欲求の塊のようなものや受け取る側に配慮されていないものもあります。Plus-handicapとしての自戒を込めて、外しちゃいけないポイントを3つに整理してみました。
 


 

1. 明るく、楽しく、元気よく。

 

当事者発信のテーマは、そのほとんどが重たいものであり、ネガティブな印象を抱かれやすいものです。例えば、私のテーマである「身体障害者」について講演をする場合には、大変そう、困っていそう、なにか手伝ってあげなきゃといったイメージが共有されている状態から始まることが多いです。
 

そのイメージ通りのまま、障害があることは大変だ、つらい、周囲から理解されないといったことを悲壮感たっぷりに話せば、説得力が増す反面、「障害者=かわいそう」といったレッテルをより強固なものにしてしまいます。
 

講演の機会では、講演者は当事者の代表としてその場に立っています。いわば「身体障害者代表、私」のような。
 

そして、自分が話したことが、聞く側すべての最新のイメージとして刷り込まれます。明るく話せば、明るいイメージを抱かせ、辛そうに話せば、辛そうだなというイメージを抱かせる。それは「身体障害者って、そんなひとたちなんだ」という印象へとつながります。当事者の代表として話すのであれば、どちらがいいのでしょうか。
 

もちろん、テーマによっては明るく伝えるほうが、かえって偏見や不可解さを生むかもしれません。そこはケースバイケース。判断軸は、発信後の受け取り手の心模様を想像し、意図を持って発信しているかどうかです。
 

もし、自分や自分の大切なひとが身体障害者になったとしても、何とかなるんじゃないか。受け入れることもできるんじゃないか。だって、あの人がそうであったように。いち身体障害者として講演しているときの私の役割です。前向きな気持ちを喚起する当事者発信が大切であり、それが発信者の責任なのです。
 

2. 伝えるべきは感情ではなく、事実である。

 

「大変だったのねという類いの涙を流させてしまったら、その講演は失敗」というのは、個人的な信条。自身が抱えているネガティブな要素を御涙頂戴に変換することは実は簡単で、自分がどれだけ辛かったか、それをどう乗り越えたかを時系列通りに整理し、感情を込めて伝えれば、ある程度はすぐに演出が仕上がります。
 

しかし、当事者発信の目的は、認知拡大であり、社会の改善。その目的を果たすために、より多くのひとに知ってほしい、考えてほしい話題を投げかけることが発信者の仕事であって、目の前の誰かに涙を流してもらうことは優先事項ではありません。
 

足が不自由だとコレが困るのか、トランスジェンダーの方はこんな悩みを抱えるのか、グレーゾーンの方を取り巻く環境はこんなにもシビアなのか。世の中に転がる困りごとを事実ベースで伝え、認知を促し、配慮項目や検討項目を考える時間をつくる。これは事実から訴えたほうが効果的です。
 

事実を把握した上で、説得力を増すための感情論は問題ないと思いますが、順序を間違えては意味がありません。感情むき出しの発信は、受け取る側もどっぷりと疲れてしまいます。
 


 

3. 違うテーマへの配慮を忘れない

 

当事者発信は、障害者やLGBTなど自分が属するテーマの発信が主となるため、他のテーマに言及することはほぼありません。ただ、障害者が社会で一番困っているわけでもありませんし、LGBTだけが偏見を持たれているわけでもありません。
 

他者との違いを知り、その違いに寛容になる。困り事を知り、必要に応じて配慮できる社会をつくる。当事者発信は、一人ひとりの実例が違うだけで、伝えるべきメッセージの本質は変わりません。
 

自分が発信するテーマは、あくまでも、社会にあるいろいろな生きづらさや困りごとの数々の一例に過ぎないということ。自分とは違う境遇にいて、違う痛みや苦しみを感じている方もたくさんいるということ。
 

この意識が抜けてしまうと「私のほうが困っている・大変だ」という「生きづらさ合戦」が始まり、承認欲求にまみれた当事者発信が続いてしまいます。他のテーマに対する尊重、共通点や違いの伝達までできると、社会を主語とした気づきを与えられるチャンスが巡ってきます。
 

余談になりますが、以前、ある講演会後の懇親会で、障害者の社会運動家の方が「お前、ホモなんじゃないの?キモい〜」と茶化していた場面に遭遇しました。当人間の関係性が分からないので、一概に指摘できませんが、自分のテーマの理解を促す裏で、他所のテーマを蔑視するような言動をしていては意味がありません。当事者発信を行うひとは、その言動や行動にも気をつける必要があります。
 

当事者発信は「あなた」についての発信でしかないということ

 

当事者発信は、相手を感動させるためのものでもなければ、自身の困難さへの承認や共感を集めるものでもありません。自分も含めた多くのひとにとって、暮らしやすい未来をつくるための情報発信であり、効果的な手段のひとつです。そして、情報を受け取る側にとって、受け取りやすい形で届けることが大切です。
 

当事者発信は、その方法や伝えるメッセージを誤ってしまえば、違う差別や偏見を作り出すきっかけになってしまいます。発信者が当事者性をうまく管理し、客観性を担保できないならば、当事者発信はやらないほうが賢明。あなたにとっては必要であっても、他者にとってはありがた迷惑かもしれません。
 

当事者とは「あなた」自身の人生の当事者であって、障害者やLGBTといった属性すべての代表者ではありません。この事実と折り合いをつけながら、当事者発信を進めていくことが求められます。このバランスをいかにとっていくか。私たちもまた、常に考え続けなくてはなりません。
 

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。