障害者が作った商品を売る。そこに必要なのは「想い」以上に「戦略」でしょ?—施設の片隅から思う。

「アール・ブリュット(art brut)」というものに触れるようになりました。フランス語で「生の芸術」。一般的には「障害者が創る芸術」と解釈されていることもあります。
 

私が勤務する障害者施設には、毎週「絵画」の時間があります。利用者全40名のうち約半数が、食堂や自分の席で絵を描くこともあれば、クレイアート(粘土の芸術)に取り組むこともあります。それらは区の展示会場などでお披露目するだけではなく、障害の有無を問わない作品展や全国公募のコンペにも出展され、中には入選を果たした作品もあります。
 

自身の顧客ともいえる利用者の方々が創作活動をしているならば、その中身を感じてみたい、たくさんの人に広めたい、グッズなど商品化したものが売れてほしいという想いは強く、ここ一年は職場に展示された作品を眺めたり、外部の展示会に足を運んだりしています。
 

ただ、正直な感想を言うと、現時点ではそれらの良さがイマイチ分かっていません。美術、図工、ついでに技術家庭科など、モノを作る、描くことすべてが大の苦手な私にとって、芸術鑑賞というのは実に恥ずかしく、難しいものです。
 

かつて、棟方志功展を観に行ったときも、作品そのものではなく経師(きょうじ。絵や字を表装する屏風のこと)にばかり目が奪われたり、山下清展に至っては「これなら子供がその気になれば…」くらいに思ったりと、芸術の価値・良さを理解する力がありません。
 

実際、私が唯一、直感的に「この絵、好きだな」と思った利用者の作品は、他の一般作品と並び立つ展示会に出品されたことはありません。
 

また、現在の環境が、利用者のあらゆる作品に対して、「いいねえ!素敵ねえ!素晴らしいわねえ!」と盲目的に賞賛しなければならないムードがムンムンとしていて「で?実際は?本当のところはどうなのよ?」という警戒心が募り、客観的あるいは商業的な尺度を欲してしまう悪循環に陥っていることも、素直に作品と向き合う前の壁になっています。やや言い訳気味ですが。
 

 

アール・ブリュットとは少し異なりますが、障害者の作品をデザインしたモノや、障害者が作り出した商品がもっと売れるためにはどうすれば良いかと常に思っています。芸術センス同様、小売り経験のない私にとって、この課題に対しても焦燥感があります。売上は0ではありません。でも、その大部分は利用者家族と職員ほか関係者が購入したものです。
 

身内でカネを回すことはとても大切なことだと思います。ただ、施設の利用者が作った商品(職員のチカラによる部分が大きいとはいえ)の、見せ方、売り方、商品のセグメントを考えず、販売を促進するための時間・人員管理には触れずに、モノが売れて欲しい、利用者の工賃をアップしてあげたいという雰囲気だけが蔓延していることに、ちょっとした狂気性を、僅かに、しかし、確実に感じています(書いてしまった…)。
 

作品やモノを多くの人に知ってもらう、利益を上げる。それは「障害者」でなくとも、誰もが悩み苦しんでいるお題目のハズで、簡単に答えが出るワケがありません。
 

現時点で私が居る業界、障害者支援・障害者側に対して漠然と求めていることは、戦略性です。ダイバーシティやノーマライゼーションという言葉に逆行する感覚、マイノリティであることを利用する図太さに向き合う。だって、それが、商売なのだから。「障害者の」とか「障害者だから」という文言をただ温情的、御涙頂戴的に使うのではなく、利用するならば、どう利用するのか。そのロジックが必要なのです。
 

作品や商品の価値・品質・センスで世間と競えるのならば良いのでしょうが、それらを有している天才肌のアーティストや大企業だって、そこから先の戦略に悩み抜いているはずです。障害者は販促で活用できるリソースのひとつです。
 

個人的には「アール・ブリュットだから目にした」とか「障害者施設の商品だから買った」というきっかけが感受性の起点となって、そこから他の芸術作品や雑貨類全般への興味が広がっていくという考えの方が一周回ってロマンがあり、ダイバーでシティな感じがします。その契機となるくらいの芸術性のある作品、価値を感じられる商品を作ることが前提となるはずですが。
 

こんな偉そうなことを綴った肝心の私は何してんの?という話。普段の業務と並行して、私自身が障害者のアクションを広める為の具体案に向き合うことにしました。まずは、個人サイトをWixで作成し始めたのですが…早速、難しく、そして、重い。誰か、助けてください。
 

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この記事を書いた人

エトウ アキラ