生きづらさを抱えている人の中には、相談相手がいない、誰に相談すればいいのかわからないと感じていることも多いのではないでしょうか。もしかしたら、過去に誰かに相談したけど解決せず「相談なんてするだけ無駄」と思っている人もいるかもしれません。
私も人に相談するのは苦手だし嫌いです。「なんでも相談してね」とか言ってくる奴はもっと嫌いです。
プラス・ハンディキャップの問い合わせフォームには、毎週のように様々な相談が送られてきます。記事を書かせてほしい、自分を取材してほしい、援助してくれる機関を紹介してほしいなど。中には「就職先を紹介してほしい」というものもあります。文面も丁寧に書かれているものもあれば、上から目線で横柄な態度のものもあります。内容は様々ですが、どれも、私たちプラス・ハンディキャップへの相談です。
知らない人だからこそ相談できることもきっとある
相談というと、気心の知れた人に神妙な顔で話すものをイメージするかもしれませんが、直接の面識がないからこそできる相談もあると思います。
私たちのもとに送られてくる相談の問い合わせは、まさに面識がないからこそできる相談であり、問い合わせフォームには「誰にも相談できずに悩んでいる」「これまでほとんど誰にも話したことがないけどPlus-handicapで書きたい」などの内容がつづられていることもあります。
私自身「なんでも相談できる相手」というのはいません。この内容の相談ならこの人にしようという目星はある程度つけていますが、自分のことならなんでも相談できるという人は今までの人生でいたことはないし、必要だとも思いません。
親友なんていなくてもいい。適度な距離感の心地よさ
「友達なんていなくても死なない」を信条の一つにする私としては、友達とか親友と仲間というのは、いたらいいなという程度の存在です。幼少期から友達が少なく、休み時間は一人で過ごすことも多かった私は、気付けば自分と人との間に一定の距離を保つようになっていました。
大学生から社会人になりたての頃は、一定の距離感を保たないと人と接することができない自分が嫌になったこともありました。ただ、今ではこの性格が逆に私の悩みを軽減してくれている気がしています。
それは、一定の距離を保つことで、逆に相談がしやすいのです。親密な関係ほど、忘れたい過去なども知っているものです。そういった過去を知っていることが逆に相談をしにくくするという経験がある方も少なくないと思います。
一定の距離感を保っていれば、踏み込んでほしくない部分には踏み込まれずに相談することもしやすいのです。
「ここから内側に入ったら殺す」というゾーンをつくる
適度な距離感で相談するのはそれほど難しいことではありません。「ここまでは入っていいけど、ここから先は絶対に入ってこないでね」という(心理的な)ゾーンをつくればいいのです。私は勝手に「ここから内側に入ったら殺すゾーン」と呼んでいます。
逆に言えば、そのゾーンに入ってこない相手であれば、誰であっても相談相手になり得ます。距離の近さよりも、その人の専門性や属性、共通の知り合いなどによって相談相手を使い分けます。
相談相手が欲しい、いないと言っている方は、もしかしたら「そんなゾーン関係なくすべてを打ち明け、理解してくれる存在がほしい」と思っているのかもしれませんが、私は、そんな存在は自分自身以外にはいないと思っています。
自分の核となる部分は最終的には自分しかわかりません。だから、相談相手にすべてわかってもらえるわけがないのです。相談相手にやってもらえることは二つ。解決手段を提示してもらうことと、共感してもらうことしかありません。
このうち、私は共感についてはあまり求めていません。共感してもらうことで心理的に楽になる、安心できることはありますが、悩みは解決しないことが多いからです。共感するならカネをくれです。
時には、敢えて踏み込ませてみると発見があるのかも
「ここから内側に入ったら殺すゾーン」を持っておくことは非常に大切です。ただ、たまには、数年に一度でいいからそのゾーンを開放してみることも、ときには重要だと思います。
年月とともに自分が変化し、自分が大切だと思ってこだわっていたものが、実は大切ではないと気付くこともあります。また、今はもうこだわる必要がない、他の人に知られても大丈夫になっていることもありえます。
私は意識的ではなく、初めて会社を辞めるときにこのゾーンを開放することになりました。今思えば自暴自棄になっていただけとも思います。ただ、そのおかげで「ここから内側に入ったら殺すゾーン」は以前よりは小さくなり、他の人に気軽に相談できる内容が増えてきました。
友達なんていなくても死なないし、相談相手がいなくても生きていくことはできます。ただ、気軽に相談できる人がいた方が楽に生きられる気がするのです。