あたしたちのカミングアウト

文化的な生活を送るうえで「自分」という存在は多くの仮面を身につけなければいけない。何も、出生の秘密だとか、患っている病の話だとか、同性愛であることを隠して異性愛のように振る舞うだとかに限った話ではない。普段、お母さんに見せる顔と職場で上司に見せる顔が違うというそれだけのことをあたしたちは普通にやってのけているわけだから、どうってことはない。
 

20160607③
 

カミングアウトとは、例えば、あたしはゲイであることを偽って生きていきたくはないと宣誓することである。
 

とは言ったものの、正直な所、あたしはゲイであることをカミングアウトすることに何ら支障はない。というか、カミングアウトするほうがどうかしているようにも思っていた。
 

だってあたしって、立ち居振る舞い、身のこなし、話す言葉もいちいちガーリィなんだもの。バレないのがおかしいし、誰かに聞かれた時も答え合わせでしかない。だから、同性愛者のカミングアウトはあたしにとってはどうでもいいことである。
 

同性愛者が苦手な人は勝手に去っていくし、もしもそういった人と関わらなくてはいけない時は、こっちには引け目に思うことは何もないのだ。あちらが勝手に、あたしが殿方とチュッチュラパパしてるのを想像して、ウゲェと思っているだけの話。勝手にどうぞ。人の頭の中にまで干渉はしたくない。
 

中には「付き合ってる相手のことを女に言い換えて話すのがきつい」なんて言う人もいるけれど、幸か不幸か、20代を一度も恋愛することなく終わろうとしているあたしにとっては対岸の火事である。同性愛も異性愛も関係ない。いないものはいないのだ。「誰かいい人がいればねぇ」なんて言ってれば、話はそれで終わってしまう。別に女性を紹介してくれたって構わないのよ。付き合うかどうするかは、あたしが決めればいいんだから。
 

カミングアウトにとって親が障害になるという話だけれど、親に対してそんなにベラベラと自分のことを話すほうがおかしいんじゃない?と思う。子を産むことが親孝行とか言うけれど、世の中に独身の異性愛者がいくらでもいる。異性愛者に産まれてさえいれば、親に子どもを見せられると思うなんて、前時代的ですらあると思う。結婚だってできるかどうかわからないのに。
 

だから本当に、ゲイであることをカミングアウトすることが、焼きそばの話ほどにどうでもいい話である。そして、私が他人にカミングアウトをする必要があることは、別にある。
 

20160607②
 

少し前に、ほんのちょっと気持ちがこじれてしまって、体に影響が出てしまった。今でも、何時間寝ても体がだるく、酷い時はトイレに立ち上がることも困難になる。頭痛が止まらず、電車から降りて体力を戻さないと立っていられない時がある。
 

それが、本当に人に言えないのだ。自分でも笑ってしまうくらい、恥ずかしくて人に言えない。軽蔑されるかもしれない。気を遣われるかもしれない。精神を病むなんて身体を動かしてないからだとか、精神病院にかかるから余計に悪くなるんだとか言われるかもしれない。そんなことをあたしは毎日毎日自分に言い聞かせている。自分を追い詰めるのはいつだって自分だ。自責を繰り返してる状態のあたしに、本当のことを話して誰かに受け入れてもらおうだなんて余裕はない。
 

もちろん、わざわざ人にカミングアウトするということは、不幸自慢のようだし、ヒロインぶってるように思われるのも嫌だ、というのもある。人に話せば解決するわけでもない。
 

だから、出勤が遅れたり突然仕事を休むことも、適当な理由をつけてごまかしてしまう。薬の影響でアルコールを摂れなくなってしまってからは、飲みの誘いもこなくなった。こうやってひっそりと病に立ち向かっていくのであろう。と、あたしはそんなことを思っていた。いつ死んでもいいように、部屋を掃除する回数も増えた。
 

そんな矢先、久しぶりに誘われた友人との飲み会で言われたことがある。気の強いあたしたちは、怒ってるわけでもなく罵詈雑言を吐き出し、あんなセックスもさせてくれない男と何年も付き合ってどうするんだとか、あたしが言う通りに生きた方が何百倍も得をするはずだとか、気の強い者同士で、姦しく飲んでいた。そこでふと、あたしについては何か物申すことはないのか、と問い詰めてみた。戦いのゴングを鳴らし、相手の酷評にカウンターパンチを喰らわせようとしていたあたしに返ってきたのは、意外な言葉だった。
 

「あんたは充分にがんばってるし、今が辛い時だってこともわかってるし、言いたいことはなんにもないよ。むしろもっと弱音を吐かないあんたを見てるこっちがつらい。」
 

そんな風な言葉だったと思う。目から鱗だった。精神が捻り曲がって通院してることは話してはいたが、まさかそんな風に思われていたとは。気が強いから、その場で泣き崩れることもなければ枕を湿らせて眠りにつくこともないけれど、そう言えばあたしは誰かに甘えるということが苦手なのだった。
 

それに気づいてからは幾分か、気持ちが楽になった。きつい時は弱音を吐いたらいいんじゃない?ということも考えるようになり、それを機に、病気のことを人に話すことも抵抗がなくなった。
 

「あたし、気持ちがすごい頑丈だから、全然気づかなかったんだけど、ひょっとしたら精神を病んでしまってるみたい。試しに医者に行ったら薬を処方されて、それを飲むと幾分か気持ちが楽になるのよ。だからあたしは精神病院に通ってるの。」
 

20160607
 

カミングアウトをする、ということは、人に甘えるということに近いかもしれない。あたしたちは強く生きてるけれど、弱みを当然持っていて、人に頼らないと生きていけない。傷つけられるリスクを背負ってでも、誰かに甘えることができる幸せには代えられない。
 

同性愛であることをカミングアウトする人たちもそうなのだろうか?
わかってくれる人たちの前で、鎧を脱ぎたいのだろうか。
 

人間はたくさんの仮面を被って生きていて、仮面をいくら剥いでもまた仮面が出てきてしまう、玉ねぎみたいな存在だ。だから、変えられない部分を知ってもらうことで、ぐらぐら揺れる自分の価値観を確立させることができる。他人なしには、自分は成立しないのだ。
 

今を生きづらく暮らしている人たちにとって、カミングアウトをするということは、世界に自分の居場所を確保するための戦いだ。甘えたい時に弱音を吐ける港を探す旅でもある。
 

この経験があったからこそ、あたしは「ゲイであることをカミングアウトする派」の人にも優しい気持ちを持てるようになった。彼らにとって、ゲイであることは弱みだったのだ!
 

もしあたしがカミングアウトをされる側の場に立たされる時は、決してそれを否定せず、無理に詮索もせず、自分の感じたありのままの精一杯の返事をするようにしよう。それが受け入れられない真実だとしても「幸せになってね」と心から言える素敵な人間の仮面を被りたいものだ。
 

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