医療が意外とバリアフリーじゃない

住居、教育、雇用、交通機関など、障害者を取り巻く社会の課題は多岐に渡りますが、その中でも忘れてはならないのが医療です。
 

私は障害当事者として、医療こそ誰にでも平等であってほしいと思っています。これは「高度先進医療をいつでもどこでも誰でも受けられるように」というような、たいそうな話ではありません。風邪を引いたらすぐに近所の内科に行けるとか、予防や早期発見のために定期的に検診を受けられるとか、そういった身近な医療の話です。
 

障害者はそもそも心身に何らかの不調を抱えていますので、健康管理はとても重要です。充実した日々を送るためには、もともと持っている疾患を悪化させたり、新たに他の疾患を抱えたりせず、障害があるなりの健康を維持していくことが不可欠です。
 

また、障害に引っ張られて他の病気が悪化してしまうこともあるので注意が必要です。例えば私の場合だと、脳性麻痺で筋力が弱く、肺活量も小さいため、痰を出すのが下手です。そのため、風邪を引くと咳が長引いて肺炎を引き起こしてしまうことがあります。咳を伴う風邪の場合は特に、早めの受診・服薬が必須なのです。
 


 

では、現在の日本は、誰にとっても医療を受けやすい環境が整っているでしょうか。
 

まず、車椅子ユーザーの視点からすれば、残念ながら病院というのは意外とバリアフリーではありません。特に、日常の医療を担うような街中のクリニックには、入口に段があって車椅子では入れないところもまだまだあります。もちろん、入口も院内もバリアフリーで、車椅子でスムーズに行ける病院もありますが、「探さないと、ない」ということでは困ってしまいます。
 

車椅子ユーザーである私が病院を選ぶ際は、診療科、家からの通いやすさ、診療時間などに加えて「車椅子で入ることができる」という条件が大きなウエイトを占めます。そして、それはネットの情報では判断できない場合が多いので、電話で問い合わせる手間がかかります。
 

病院に「医師免許を持っている人はいますか?」と問い合わせる必要がないのと同じように、バリアフリーであるかどうか問い合わせなくて済むのが理想ですが、現状はそうではありません。
 

例えば、家から一番近い内科だと、入口にスロープのない段差があるため、風邪を引いたときには遠くの病院まで行かなければならないことがあります。また、Aクリニックは先生の評判が良いけれどもビルがバリアフリーではない、Bクリニックは診療はあまり信頼できないが設備的には問題ないという場合、仕方なくBクリニックに行かざるを得ません。「物理的なバリアがあるために、健常者に比べて病院の選択肢が狭められてしまう」という状況は、車椅子ユーザーにとって不利益です。
 

とはいえ、入口や院内の移動に関しては、以前よりもたしかにバリアフリーになったと思います。
 

しかし、病院はアクセスが可能でさえあればそれでいい、というわけではありません。診察や検査もすべてスムーズにおこなうことができて初めて、本当のバリアフリーと言えるのではないでしょうか。
 

廊下などはたしかに広くなってきました。

 

バリアフリーというと、段差解消や通路の幅など、移動に際してのバリアの除去に目が向きがちですが、重要なのは移動の先にある目的(例えば「治療を受ける」というような)が達成されることです。目的を達成するうえで困難が生じる状況は、バリアフリーとは言えません。
 

私が最近課題と考えているのは、病院の検査です。車椅子ユーザーが病院で検査を受けるのは、正直なところ結構大変です。
体験談を三つ書いてみます。
 

●体験談①レントゲン
 

私が以前勤めていた会社では、会社の指定病院で健康診断を受けることになっていました。
 

その病院では、レントゲンを撮るときに背もたれや肘掛けのない椅子に座らなければなりませんでした。私は自力で移乗できず、背もたれがないと座位を保持することも難しいため、技師さんに抱えてもらって椅子に座り、体を支えてもらっていました。
 

慣れない人に移乗を介助してもらうのは、どうしても不安が付き物です。また、技師さんは撮影の邪魔にならない場所に立っているため、私の体をがっちり掴んで支えるというわけにはいきませんでした。自力で姿勢を保つことが難しく「椅子から転げ落ちるのではないか」と不安に駆られることは、とても怖いものです。
 

ベッドに寝た状態や車椅子に座ったままでレントゲン撮影が可能な病院もありますが、大きな病院が必ずしもそうだとは限りませんし、この健康診断のように自分で病院を選べない場合もあるものです。
 

●体験談②歯科のレントゲン
 

私が通っている歯医者は「ベビーカーや車椅子で入れます」と謳っています。診察台への移乗もスタッフが快く手伝ってくれますので、普段はそれほど困ることがありません。
 

しかし、レントゲンを撮ることになったときは、やはり大変でした。レントゲン室は狭く、入口に段もあるため、車椅子ごと入ることはできません。それで、入口の手前から母とスタッフに抱えられ、レントゲン室の椅子に座らせてもらいました。介助者一人で私を抱えたまま段を上がるのは難しいのですが、狭いので介助者が何人も入ることができず、かなり不安定な状態での移乗でした。また、レントゲン室の椅子が背もたれのない小さな丸椅子だったため、体を支えられていても姿勢が安定しませんでした。
 

レントゲンの結果やそのあとの治療がどうというより、「とにかくレントゲンを撮るときが怖かった」という記憶が強く残っています。移乗の際に感じた「床に落ちるかも」という恐怖は鮮明です。
 

自力でレントゲンの撮影場所に立てない。

 

体験談③婦人科の検診
 

私は30代後半の女性です。自治体から助成が出ることもあり、定期的に子宮けい癌検診を受けています。
 

女性の方はよくご存じの方が多いと思いますが、産婦人科の診察台は特殊です。脚を乗せている部分が診察時に機械で自動的に開くようになっているので、座面が狭いというか、おしりから腿まで広く受け止める造りにはなっていません。
 

まず移乗が大変で、母と先生と看護師さん総出です。そして、移乗後、背もたれを倒されるまでは姿勢が安定しません。脚を乗せている部分の隙間から、おしりが落ちそうになります。また、私は股関節が硬く、機械で脚を開くことができないため、看護師さんに脚を支えてもらいます。私の場合はそれで検診が可能なのですが、障害などで私以上に開脚が難しい人はどうしているのだろうと疑問に思ったりもします。
 

これら3つの体験談で出てきた病院は、いずれも入口や院内の移動は特に支障がなく「バリアフリーの病院」です。
 

しかし、そこで検査を受けるのは容易ではありませんでした。厳密に言えば、大変だったのは私ではなく介助者なのですが、私(つまり当事者)が感じた恐怖というのは無視できないものであると思います。
 

たしかに、上記の検診はどうにか受けることができましたが、何人もの手を煩わせるうえに、台などから落ちるかもしれないという恐怖を味わうとなると、健康の維持・管理に重要な検診から足が遠のいてしまう車椅子ユーザーもいるのではないでしょうか。
 

これは、個々の病院の問題ではなく、医療全体の課題でしょう。医療の進歩とは、難病の治療方法が開発されることだけではないはずです。誰もが安心して日常の診察、治療、検査を容易に受けられるようになることも、ぜひ重要視されてほしいと考えます。
 

こういうベッドへの移動もたいへん。

 

ここまでは病院のハード面について書いてきましたが、もちろんソフト面のバリアフリーも不可欠です。
 

数年前、精神的な不調を感じた私は、ネットでいくつかの心療内科をピックアップし、車椅子で入れるかどうか電話で問い合わせることにしました。
 

1軒目で「院内はフラットなので大丈夫だと思う」との回答を得ましたが、ビルの入り口も段差はないか聞くと「分かりません」と言われてしまいました。「いま、見てきます」でもなく「何かあればお手伝いします」でもなく、一言「分かりません」と。
 

精神的なエネルギーが充足していれば、心折れずに2軒目に電話していたのでしょうが、そのときの私は何だかもう嫌になってしまい、心療内科を受診する気が失せてしまいました。物理的なバリア以前に、病院の姿勢として、車椅子ユーザーの来院を想定していないのではないか、私に対して門戸が開かれていないのではないかと感じ、見放されたような気持ちになりました。
 

そもそも、メンタルクリニックを必要としているときというのは、エネルギー切れで心が折れそうな状態であることが多いのです。「そんな病院はこっちから願い下げだ!」とか「そんな病院ばかりじゃないはず」などと考える気力がないわけです。そういうとき、私のようにたった一言に大きなショックを受けて、医療を遠ざけてしまうことはありえます。
 

幸い、そのときはしばらくして自然に調子が戻りましたが、病院に行かないことで状態が悪化していた可能性もあると思うと、あの経験を軽視することはできません。
 

いまの私はそれほど頻繁に病院に行くわけではありませんが、これから年齢を重ねるにつれ、医療のお世話になることが増えるでしょう。いままでは経験しなくて済んだ検査や治療を受ける必要も出てくるかもしれません。そうなったときも、障害ゆえに不利益をこうむることなく、安心して医療を受けることができるのでしょうか。不安を抱えつつ、今後の医療環境に期待もしています。
 

記事をシェア

この記事を書いた人

桜井弓月