男らしさは男を守ってはくれない。

男性にとって今がどんな時代かと問われたら「男性が素手でライオンと闘っているような時代」と私は答えると思います。男性が男性であるという理由で、生きづらさや困難を抱えうる時代だという意味です。
 

そういうふうにいうと「女性の方が課題は多いし生きづらい!」とおっしゃる方がいらっしゃると思います。そう思います。男性と女性の大変さを比べてみたとしたら(単純な比較ができない面もあるとは思いますが)女性の方が大変だと思います。
 

ただ「女性の大変さを100と表現した時に、男性の大変さも70か80くらいはある」ということを言いたいのです。「男性だけが大変だ」とは言っていないし「男性のほうが女性よりも大変だ」とも言っていません。「『女性の方が大変だ=男性は何も大変ではない』は誤りだ」と提言したいのです。
 


 

世の中には女性をサポートしたり、エンパワーしたりする運動や活動が多数存在し、女性の大変さがクローズアップされています(これはとても重要なことであり、もっともっと充実していってほしいと思っています)が、それと表裏の関係で男性には男性の大変さが存在します。
 

ただ「男性の大変さ」と言われたとき、多くの方たちが瞬時にイメージできるほど、この問題は一般的になっているでしょうか?男性の問題は女性の問題であり、女性の問題は男性の問題。男性の問題を解決することで、男性の生きやすさだけでなく女性の生きやすさにも結び付いていくと考えています。
 

「男は外で働いて、女は家を守る」という在り方が社会の多数派だった時代、いわゆる性別役割分業の時代は、圧倒的に「稼げること」が男らしさとして象徴されていました。学齢期が終わったら勤め先に就職して必死に働いて給料をもらって。やがて結婚して家買って車買って子どもを育て上げて。それがその時代における「普通の生き方」でした。
 

この普通の生き方を維持するために、終身雇用や年功序列制賃金という制度が存在し、一度就職してしまえば、よほど変なことをやらない限り、定年までずっと同じところで働くことができ、給料は勤続年数に応じて上がっていきました。しっかり働いて勤め先に貢献する・税金を払う・稼いだお金で家族を養う。それが男性の生き方でした。
 


 

この時代(今現在もたいして変わりませんが)、企業の経営陣や政治の中枢にいる人たちは圧倒的に男性。「男性は下駄を履かせてもらっている」「女性にはそれ以上高く上ることのできない(=男性と対等になることができない)ガラスの天井が存在する」といった表現がありましたが、そういった表現の存在と男性が企業や政治の中枢にいることは無関係とは言えないでしょう。
 

今、この平成の時代はどうでしょうか。終身雇用も年功序列制賃金も企業ではだんだんと無くなってきていますし、給与水準も下がり続けていますし(※)、長く続いた景気の冷え込みなどの影響で正規職員のポストの絶対数も減っていますし、ワーキングプア層も増えています。強力な格差が今は当たり前のものになっています。
 

(※)国税庁の「民間給与実態統計調査」によれば、30代後半の男性の年収は、1997年当時589万円でしたが、2013年には499万円にまで下落しています。
 

昭和の時代に男性の標準的な生き方とされた「結婚して家買って車買って子どもを育て上げて」というものが、勝ち組の生き方になる時代が来ています。そういった状況でも、まだまだ主たる稼ぎ手や外での労働を期待されるのは男性だし、重大な決断を下し、その決断に責任を取る役目も男性に期待されています。
 

一人ひとりの事情は異なるので一括りにはできませんが、現在では仕事も育児もできるイクメン像を求められ、妻の社会復帰もうまく支えられるような役回りまで実施するとなると、どこまで万能にならなくてはいけないんだと感じてしまいます。私はこのことを指して「男性が素手でライオンと闘っているような時代」と言いました。
 


 

かつて男性が男性であるという理由で、また一家の長として外で働いてお金を稼いで家族を養ってくれるという理由で尊敬を集め、その結果としてもらえていた「社会を挙げた男性のための社会保障」のようなものはもうありません。にもかかわらず、男性に期待されるものは大して変わっていません。厳しい時代の中で男性も武器を持たない状態で闘っています。かつての「男らしさ」が今の時代の男性を苦しい立場に立たせているけれど、その男らしさは今の時代の男性を守ってはくれません。
 

そもそも「男らしさ」ってなんなんでしょう。改めて考えてみると「男らしさ」というものが随分と曖昧なもののような気がしてきます。それでも日々の中で何かの折に触れて「男らしい」「男らしくない」という言葉を口にした経験は誰しも一度くらいあると思います。人は何をもって、男らしい・男らしくないと感じるのでしょうか。
 

男性だって本来は色々な人がいるはずです。私が取り組んでいる「男性保健」の大事なメッセージの1つは「メンズダイバーシティ(男性の多様性)」です。
 

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この記事を書いた人

柳田 正芳

1983年神奈川県生まれ。大学時代に「大学生が大学生に性の知識を届けるインカレ団体」の事務局長。卒業後、一般企業での就業を経て紆余曲折ののち、大学時代の経験をもとに「若者の性のお悩み解決をする団体」を起こす。活動を進める中で「日本の男性の生きづらさ」に気づき「男だって生きづらい」を解決する活動も立ち上げたり、産婦人科の病院や自治体で「夫婦のコミュニケーション」をテーマにしたワークショップの講師業などもおこなっている。