生きづらいひとのそばにいるひとの生きづらさ。

体が不自由でもどかしい、精神的に参っていてしんどい、病気の症状が辛くて苦しい。生きづらさの背景も様々あれば、引き起こされる感情や心情も表現にすれば様々。本人以外、その生きづらさは分かりませんし、周囲のひとたちが代わることもできません。
 

「俺はこんなに苦しいんだ!」「私の気持ち、理解できる?」そんなこと言われたって相槌は打てても、理解なんてできず。言われれば言われるほどに、無力感が募り、距離が広がり、こちら側の首がだんだんと絞められていくような感覚。生きづらさは派生、連鎖していきます。
 

生きづらさを感じている本人に、なかなかこの気持ちを伝えることはできません。伝えたところで倍になって負の力が返ってくるか、よりネガティブなスパイラルに追い込んでしまうか。「障害を持っている旦那がさ」とか「ウツの同僚がさ」とか他者に相談したところで「大変だね」と言われるのが関の山で、本当に欲しい回答はもらえずじまい。
 

孤独感や孤立感、無力感に距離感、増える負荷とストレス。生きづらいひとのそばにいるひとの生きづらさに対して、解決の手を差し伸べてくれるのは誰なのか、何なのか。
 

こんなことを言えば、生きづらさを抱えているひとの中には、自分の存在を責めるひともいるでしょう。また、この構図を分かっているうえで、変えられない自分自身の状態をもどかしく、恨めしく思うひともいるでしょう。
 

ただ、残念ながら、本人の生きづらさが解消しないかぎり、周囲のひとに派生していく生きづらさが根本的に解消することは難しく、むしろ、本人のそれがなくなっても、周囲には残っている可能性すらあります。
 


 

もし、生きづらさを抱えている本人が、少しでも何かするよと提案してくれるなら「そこまで優位性を築こうとしなくてもいいですよ」と伝えたいかもしれません。
 

「俺のほうがしんどい」「私のこと理解できますか」というような何気ない一言は、生きづらさという世界観の中での優位性を導き、相手に「俺なんて大したことない」「私には到底理解できない」という状況、一種の敗色ムードを作り上げます。そして、言われる回数が増える度に、もう分かったから…それ以上言わないで…という具合にダメージが増幅します。
 

この状況はさながら強大な防御力を導く魔法のようで、壁の厚さ、距離の遠さを感じて、こちらから容易には近づけなくなってしまいます。本人にその気がないことがほとんどだと思いますが、無意識だからこそ言えません。
 

たしかに本人の生きづらさを前にすれば、周囲の生きづらさなんてあってないようなもの、小さなものかもしれませんが、たとえ小さくても100対0ではなく、80対20のような差異である以上、互いに存在しています。
 

「理解してほしい」と願っている側の無理解は割としんどいものであって、この無理解に関する生きづらさがなかなか言えない社会は、寛容ではないなと感じます。
 


 

例えば、ウツで休職者を出した職場があったとして、休職者が任されていた仕事を割り振られることになった同僚は愚痴のひとつも言えないのでしょうか。愚痴ることの良し悪しは別として、自分自身の心情を吐露できる機会がないと、生きづらさは連鎖してしまうかもしれません。
 

また、例えば、ゲイだと友人にカミングアウトされて、そんな自分を分かってほしいと言われたとして、言われた側の精神的な動きや揺れは、自身で解決しなくてはいけないのでしょうか。「他のひとには言わないで」なんて言われれば、その心模様は自己完結させなくてはいけません。
 

ここに捌け口がないことが、生きづらさの派生に「待った」をかけられない要因のひとつであると直感的に考えています。生きづらいひとのそばにいるひとの生きづらさは、我慢するもの、抱え込むもの、口外してはいけないものなのでしょうか。
 

あなたも生きづらい、わたしも生きづらい。生きづらさ自体、みんなが抱えているものであり、特定の誰かが抱えているものでもありません。特別なことではなく、誰しもに降りかかるものです。その現実を本人も周囲も把握できれば、生きづらさの総量が減るのではないでしょうか。
 

他者のことを考えられないくらいに生きづらいというひとがいることも事実です。ただ、もしちょっとだけでも周囲が見渡せるようになったなら、相手を気遣った一言をかけるだけでも、派生する生きづらさを食い止めることができるかもしれません。
 

記事をシェア

この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。