障害者への配慮に模範解答はない。だからこそ当事者側にも寛容さが必要なのではないか。

「自分自身の障害が完全に把握できるわけじゃないんですよね。今の自分の言動や行動が、この場において良いのか悪いのかという判断がつきません。だから困っているんです。」
 

これは、先日、発達障害を抱えた方とお話ししたときに発せられた一言です。たしかに発達障害を含む精神障害を抱えたひとにとって、自身の障害をどこまで認識できているのか、他者に説明できるのかというのは、非常に難しいことです。これは障害の種類や程度によっては、精神障害だけに限らないことでしょう。
 

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「では、あなたの障害への配慮は何が必要なんですか?」
 

先ほどの一言の後、もしこのように尋ねたとしたら、相手からは何と返ってくるのでしょうか。自分自身の障害を完全に把握できていないのであれば、必要な配慮も完全には把握できていないはず。例えば、リスト化された配慮項目を渡され、今のところはこれですねと教えてもらえれば、いろいろと対応可能だとは思いますが、それがない状況であれば、配慮する側も配慮される側も手探り状態で進めなくてはなりません。
 

障害者差別解消法が制定されたことで、様々な場面で障害者に対する合理的配慮が今後求められるようになります。職場や学校で「障害に配慮してほしい」と言われれば、受け入れる側は配慮しなくてはなりません。法律の有無に関わらず、本質的には至極真っ当なことだと思います。ただ、当事者自身が適切な配慮をあまり認識できていない中で、一方的に配慮を求めてしまうと、トラブルの原因になってしまうだろうなという懸念があります。
 

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例えば、障害者雇用の現場において、障害者社員が退職する主な理由のひとつに「障害への配慮不足」が挙げられます。もちろん、配慮不足をもたらした企業側の責任は重たいですが、何を配慮してほしいか伝えきれているのか、当事者自身が予期していなかった配慮ポイントが発生していないか、そもそも企業に求めていることは障害が原因のものなのか、といった障害者自身の責任を考えることも大切な着眼点ではないでしょうか。
 

何を配慮してほしいか伝え切れていない、予想外の問題が起きた、障害が原因ではない配慮を求める(障害を盾に意見を主張する)といったことの一部でも起きていたならば、配慮不足の責任を企業側にすべて押しつけるのは、なんとなく違和感が残ります。これは職場に限ったことではなく、人間関係すべてに起こり得ることだと思いますし、それで対等なのだと思います。
 

ある障害当事者が、自身の障害を8割程度しか把握できていなかったとしたら、他者は最大でも8割しか知りえることはできません。相手に完全に伝えられるとは考えにくいので、正確には8割以下でしょう。本人の障害すべてに対応された合理的配慮を準備することは到底無理な話です。満点回答を目指すのであれば、配慮する側の想像の域で準備することになりますし、そこには失敗とミスが付き物なはずです。
 

同じ障害であれば、同じ配慮をすればいいわけでもありません。同じ障害が原因で車いすを利用している障害者でも腕力の違いによって上れる/上れないスロープが存在するならば、同じ配慮でいいわけではありません。つまり「障害者への配慮」は模範解答のないものです。
 

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障害者は、その障害が引き金となって困難が発生しているのだから、配慮を求めるのは当然なことです。ただ、その配慮に模範解答がないのであれば、配慮する側の失敗やミス、配慮不足に対しては、時に笑って許したり、時に理路整然と指摘したりと、寛容な態度で受け答えすることが大切なのだと思います。障害が理由で起こる困難さによって精神的に余裕がないということもあると思いますが、配慮は人間関係の一環と考えれば、寛容さがあったほうがポジティブです。
 

もしかすると、障害者は法律ができたことで配慮される存在になった分、恵まれているのかもしれません。ただ、障害者はずっと配慮される側にいるわけではありません。身近に、例えば、育児中である、親の介護が必要である、メンタル不調を来しているといった方々がいたならば、配慮する側に回ることだってあります。配慮は交換されるものです。
 

自分自身しか見えないときは仕方がありませんが、ほとんどのひとが何かに困っているのが課題先進国の日本。自分が配慮する側に回ったときのことを考えてみると、自分にとって暮らしやすい社会への一歩が開けるのかもしれません。その鍵のひとつは寛容さなのではないでしょうか。
 

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。