ゲイが女性を好きになる曖昧さ

高校生の頃からゲイであることをカミングアウトし始めたことは、以前の記事(「カミングアウトすれば生きやすい!?」)でも書きましたが、大学に入ってからのカミングアウトも、それなりに緊張を伴うものでした。同じ学科の友だち、サークルの友だち、バイト先の同僚や先輩、それぞれに対して関係を作りながら、少しずつ様子を見て告げていく日々でしたが、幸いなことに強い拒否反応を示された記憶はありません。
 

一方で、当時の僕はゲイだと言いながら、セクシュアリティが揺れていました。中学や高校の頃も同様なのですが、女性に対する恋愛感情は抱けていて、でも男性に強い興味もあり、男性の友だちを好きになることもあれば、女性の友だちを好きになったりもしていました。もしかしたら、女性に対して恋愛感情を持たなければならないと、同性愛感情を抑圧していて、錯綜していたのかもしれませんが、あの頃はどちらも恋愛感情だという認識でした。当時の僕を知る人は、僕の性的指向が分かりづらかったのではないかと、今になって思います。
 

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大学に入って3年目(留年したので学年としては2年)のとき、マスコミ志望者が集まる講座を受講するようになりました。学部を超えて新たに出会う人ばかりだったため、いつものように関係性や相手のキャラクターを見極めながら、カミングアウトをし始めます。その輪の中に、見た目が派手で、発言も風変わりな女性がいました。講座を受講しているメンバーの中でも、彼女を含めた数人はとてもよく一緒に過ごしていて、色々な話をとにかくたくさんしていました。いつしか僕は彼女に強く惹かれるようになって、僕はゲイだと伝えているのに、彼女は僕がゲイだと知っているのに、つき合うことになりました。
 

もはや遠い記憶なので、どれくらいの期間つき合っていたのか憶えていないのですが、短かったのは確かです。僕にとっての僕らの障害はやっぱりどうしてもセックスにあって、乗り越えられないことに僕はとても傷ついていたし、彼女を傷つけていたと思っています。そもそも、まだきちんと自分自身を受容できていない時期でもあったので、セックスのことに限らず傷つけていたとは思いますが、そのような時間を重ねて最終的に僕は、身体の関係を持てないのはやはり恋愛感情ではないからだと思い込みます。
 

そして、彼女を好きになる直前まで長く好きだった男友だちへの恋愛感情を引きずっているのだという思考に逃げて、それを理由に別れました。おそらく僕が彼女を最も傷つけたのは、彼女との関係に向き合わず、一方的に逃げたことだと、かなり時間が経ってから思うようになりました。
 

今思えば、彼女との関係は共依存だった部分が大きいのですが、それでもあれは恋愛感情でした。そしてここ数年で改めて思うのは、おそらく、女性に対する恋愛感情は今でも持てるのだということ。身体の関係に至れないために抑制は利いていますし、男性へ向けた感情と比較すれば強くはないのですが、ゼロではないと思います。だからどうする、ということはありませんが、その曖昧さを自分自身で許容しても良いのかなと、考えるようになりました。
 

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あるゲイの友人は、女性と恋愛をして結婚しました。あるゲイの友人は、ストレートだと思い続けて20代半ばにさしかかった頃、ゲイだと自覚したと言います。あるストレートの知人は、男性とのセックスを経験して、改めて異性愛者だと認識したそうです。
 

性はグラデーションだと言われていますが、様々な人の体験を耳にする度、それを実感します。そして自分の曖昧さにも気づかされ、曖昧であることに寛容さを覚え始めます。きっと性に限らず、世の中の事象や人々の曖昧さを受け入れていく先に、多様性を認める社会が待っているのかもしれません。

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この記事を書いた人

網谷勇気

1978年東京生まれのゲイ。学生時代より、カミングアウト済みのノンケ友だちと、ゲイの友人たちとを繋ぐため「友だちの友だちと友だちになる」飲み会『バブル』を定期的に開催。2005年より運営を組織化し、飲み会をイベント化する。2006年、NewsweekJapanゲイ特集の表紙へ出たことをきっかけにゲイであることをフルオープン化。2008年よりゲイとしての活動を抑えていたが、2014年にバブルの組織を再編成、2015年「大切な人へのカミングアウトを応援する」NPO法人バブリング設立。