視覚障害者と健常者がガチで勝負できるボードゲーム「アラビアの壺」

視覚障害を持った方でもプレーできるボードゲーム「アラビアの壺」を遊んできました。
 

アラビアの壷①
 

アラビアの壷は、音が鳴る壺が3種類それぞれ3つずつ用意されており、3×3のマスの中で壺の位置を移動させ、タテ・ヨコ・ナナメのいずれかの一列に、同じ音の壺を揃えた人が勝つというシンプルなゲームです。
 

上から見ると・・・
上から見ると・・・

 

ゲームデザイナーの濱田隆史さん(濱田隆史デザイン事務所代表)が制作し、今年の11月より発売開始しています。ゲーム開発会社で働いていた濱田さんは、視覚情報に頼ったステレオゲームに限界を感じていた頃、ボードゲームのおもしろさに出会い(特にドイツのボードゲーム)、視覚障害のある人と健常者(晴眼者と同意です)が一緒にプレーできるゲームが出来ないかと考え、「アラビアの壺」の開発をスタートさせました。
 

アラビアの壷の制作者、濱田さん。
アラビアの壷の制作者、濱田さん。

 

「アラビアの壺」を体験した感想を述べますが、以下の3つのポイントに集約されます。
 

1.音と手触りを大事にするおもしろさ
 

順番が回ってきたプレーヤーは壺を振り、音を確かめます。「シャカシャカ」「コロンコロン」「チリンチリン」などと音が鳴るのですが、かなり素朴です。しかし、素朴である分、聴覚や触覚などがより刺激されます。
 

ゲームのみならず視覚を重視したモノが溢れる昨今、視覚以外を重視したゲームに触れることは心地よい疲労感がありました。視覚障害者向けのゲームの「体験」という意味で遊び始めましたが、率直に刺激ある時間を過ごすことが出来ました。「視覚障害者向け」と名目上はなっていますが、障害の有無に関係なく、子供から大人まで多くの人が楽しめるゲームです。
 

2.音を記憶して配置することの難しさ
 

壺を振って音を確かめるだけでなく、同じ音の壺を一列に揃えるために配置を入れ替えるというプレーがあります。確かめるか入れ替えるか、自分に手番が回ってきたときにできることは、どちらかひとつです。
 

全然揃わない。この壷の音、何だったっけ。。。
全然揃わない。この壷の音、何だったっけ。。。

 

これがなかなか難しい。元々物覚えがあまりよろしくないのですが、この「音を覚える」という作業は思っていた以上に困難で、結局、私は一回も揃えることはできませんでした。耳で覚えるというのは、目で覚えることとまた違った感覚を使うものだと感じ、視覚障害を持った方々が生きている世界を、わずかではありますが感じ取ることができました。
 

3.見えないからこそこだわる「ゲームの世界観(物語性)」に感激
 

「見えない部分だからこそデザイン性(作品が持つ世界観)に力を入れたい」というのは濱田さんの言葉。自分が見えないからこそ、自身の見た目にこだわる方が多いと濱田さんは仰っていました。製品や商品に関しても、細部についてしっかりと説明すると、喜ばれることが多いそうです。「周囲の人間から無駄ではないかと言われるぐらいに細部のデザインにこだわりたい」という言葉に心が震えました。
 

ゲームの舞台を「アラビア」にした理由も、中東に何度か足を運んだ経験を活かしつつ、彼の地が持つ独特な雰囲気をゲームに盛り込みたかったからだそうです。視覚障害者の方にゲームにのめり込んでもらうためにも、世界観をきちっとつくることが重要です。これは健常者と何ら変わらないことでしょう。私の印象としては、濱田さんはそれらを難しく考えるというよりは、自らが楽しんで考えているようでした。
 

自戒の意味を込めて書きますが、「見えないから何でも一緒だろう」という安易な考え方、これは非常に失礼な話ですし、自分の想像力を狭めることにもつながってしまうと痛烈に感じました。
 

あ!ゲーム盤の裏に世界地図が!細部へのこだわりです。
あ!ゲーム盤の裏に世界地図が!細部へのこだわりです。

 

「視覚障害者も健常者もゲームを一緒にプレーすることによって、両者が一緒に盛り上がる。対等だからこそ会話が生まれる。そんな風景を作りたい。」という濱田さんの言葉通り、アラビアの壷には、目が見える・見えないは関係ありません。目が見えることによって余計な情報が入り、不利になる可能性もあります。また、ゲームを通じて会話が弾んだことも事実です。障害者と健常者が同じルールの下で、共通に楽しめるものの重要性はとても共感できます。
 

良いこと尽くしのような「アラビアの壺」も、倒れにくい壷への改善、より分かりやすい説明書の執筆など、まだまだブラッシュアップが進んでいくそうです。先ほども書いたように、「(使う本人が見えない)障害者が使うからデザインまで考えが及んでいない」ということが、日本には少なからず存在していると感じており、その啓蒙活動まで濱田さんの視野には入っています。
 

一工夫として、壺が倒れないための仕切りが付けられます。
一工夫として、壺が倒れないための仕切りが付けられます。

 

障害者事業に関わる人の中には、ご自身や家族が障害を抱えているケースがあります。しかし、視覚障害者向けのグッズを制作するまで、家族や友人などに障害者は一人もいなかったという濱田さんには、決して悪い意味ではなく、驚きました。自分で事業を始めてから、視覚障害者の友人が増えていったそうです。これからの時代のデザイナーやクリエイターの在り方として、障害者が使用することを前提条件とし、内包された状態での製品開発が自然なことになるのかもしれません。
 

アラビアの壺:http://arabianotubo.com/

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この記事を書いた人

堀雄太

野球少年だった小学4年生の11月「骨腫瘍」と診断され、生きるために右足を切断する。幼少期の発熱の影響で左耳の聴力はゼロ。27歳の時には、脳出血を発症する。過去勤めていた会社は過酷な職場環境であり、また前職では障害が理由で仕事を干されたことがあるなど、数多くの「生きづらさ」を経験している。「自分自身=後天性障害者」の視点で、記事を書いていきたいと意気込む。