指導困難校におけるキャリア教育の理想と現実

半分仕事、半分趣味で高校のキャリア教育に携わっています。趣味というと高校生や関係者から怒られそうですが、趣味といえるくらいにキャリア教育の現場では毎回新しい発見と学びがあります。
 

対象は高校のなかでも指導困難校といわれる学校や定時制高校などがメインです。生徒が自分の席に座っていなかったり、遅れて入室してきたりなんていうのは当たり前で、日本語がまったく理解できない外国籍の生徒や、自分の名前が漢字で書けない生徒もいます。
 

授業は基本的に2人1組。1人がメインもう一人がサブという役割分担で、どちらも授業前に最低でも丸2日の研修を受けています。それでも、授業が崩壊状態になってしまったり、ほとんどの生徒が理解できない状態に陥ってしまってしまうこともあるそうです(幸い、私はまだそこまで崩壊した状態には直面していませんが)。
 

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「私の思っていた高校生とは違う」といって、一度現場にデビューしても、以後現場に出ることがほとんどなくなってしまう方もいるそうです。事務局の方の一人はそんな状況について「講師のみなさんは良い学校出ている人が多いですから、こんな状況を想像もしたことがないんだと思いますよ。」と言っていました。
 

文字で書くと凄い状況のように思えますが、かつてのドラマ「スクール・ウォーズ」のような状況ではありません。どちらかというと、先生や大人に対して敵意をむき出しにしているケースは少なく、大人に対して無反応・無関心な生徒が多いのが特徴です。中には非常にまじめな生徒や頭の回転の早い生徒もいます。そういった混沌とした状況の中での授業は何度やっても緊張しますし、毎回「50分一本勝負」という気持ちで教室に乗り込みます。
 

キャリア支援を標榜する団体の方の中には「どんな生徒でも1対1で真剣に向き合えばきっとわかってくれる」とか「すべての子供には無限の可能性がある」と言っている人がいますが、そんなのは現実を見ていない、ただの理想論だと思います。実際の現場では50分、あるいはせいぜい100分の中で、大人の言うことに興味がない生徒に対してメッセージを残していかなければならないのです。そして、その実績が認められて徐々に生徒と向き合う時間を増やすことができるのです。しかも学校の予算的にもそんなに多くの講師を迎えることはできません。限られた条件の中で人生に関わるようなメッセージを残す、それがキャリア教育に携わる人間の使命だと思います。
 

また、中には「40人いたらその中の5人くらいの意識に強く残せればいい」という意見の方もいます。一定レベル以上の理解力がある生徒ばかりの学校ならいいでしょう。でも指導困難校ではそれではダメなのです。普段は授業なんてまったく聞かない、興味がない。そういう生徒に対してメッセージを残せなければ講師が来た意味なんてありません。「何%かの生徒の心に残せれば良い」なんていう甘い考えなら現場にくるべきではないと思います。
 

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日本の相対的貧困率はOECD加盟国の中で4番目に高く、上昇傾向が続いています。指導困難校の生徒は家庭が生活保護を受けていたり、親族が水商売で生計を立てているケースも少なくありません。金銭的にも決して恵まれているわけでなく、家庭の事情から大学進学をあきらめるケースもあります。一方で、キャリア支援をする側は親の経済力のおかげで私立の中高一貫校を出て、奨学金も借りずに大学を卒業した人なんてことも少なくありません。育ってきた環境が全く異なるのです。
 

教育機会に恵まれていた人ほど、それに気付かず「日本の教育はおかしい」と言って教育に携わろうとする。そんな傾向がある気がします。教育は伝える側の自己満足でいいはずがありません。でも、多くのキャリア教育で伝える側の自己満足になっていないだろうか?キャリア教育が趣味の人間として、自戒の念も込めて知っていただきたい現実です。
 

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この記事を書いた人

井上洋市朗

「なんか格好良さそうだし、給料もいいから」という理由でコンサルティング会社へ入社するも、リストラの手伝いをしてお金をもらうことに嫌気が差し2年足らずで退職。自分と同じように3年以内で辞める若者100人へ直接インタビューを行い、その結果を「早期離職白書」にまとめ発表。現在は株式会社カイラボ代表として組織・人事コンサルティングを行う傍ら、「生きづらい、働きづらい環境を変える方法」についての情報発信を行っている。