生きづらさを生み出しているものは何か。Plus-handicap × 遊識者会議 【講演レポート】

5月9日〜11日にかけて実施された「遊識者会議」。社会の常識や固定概念、古い価値観を乗り越え、自分らしさや多様性のある社会について「遊び」的な発想で講演やワークショップをしていくというイベントに、Plus-handicap編集長の佐々木が登壇してきました。テーマは「生きづらい日本の真の問題は、どこにあるのか?」。なかなか難しいお題を承りましたが、生きづらさの原因と解決策をお話ししてきました。当日120分話してきたことを5分以内であらすじが分かるようにまとめてみました。
 

遊識者会議①
 

社会と生きづらい系当事者との間にある誤解

 

街中で見かけるバリアフリー設備と言えば?と聞くと、スロープや点字ブロックという答えを受け取ることがあります。もちろん正解です。階段よりスロープがあったほうが移動には便利ですし、目の不自由な方には点字ブロックは必須です。しかし、私のように両足が不自由でそれぞれ義足・装具を履いている障害者にとっては、スロープより階段のほうが歩きやすい場合もあり、また、点字ブロックが車いすの移動のバリアになるという場合もあります。
 

生まれつき両足が不自由な私にとって、日常生活で一番困ることは何か?と講演の際に伺いました。移動・靴・着替え・夏の暑さなど様々な回答を頂きましたが、私の回答はコチラです。
 

当日、どどんと出したスライド(遊識者会議スタッフ撮影)
当日、どどんと出したスライド(遊識者会議スタッフ撮影)

 

SEXをする限り、必ず「初めて」が存在します。初体験もそうですし、パートナーとの初めての営みもそうです。「初めて」の際には、自分の肉体やパーツに対する恥ずかしさが生じたり、葛藤やいじらしさがあったり、様々ありますが、私のように「両足不完全」と診断されている障害を持っていると、その両足を見られることへの「恥ずかしさ」、こんな足でごめんなさいという「申し訳なさ」が生まれます。これは障害が理由で生まれる余計な雑念です。
 

社会が思っている当事者への配慮や知識と、実際に当事者が抱えている問題や悩みというのは食い違っていることがしばしばなのです。これは障害者の世界だけに限らず、LGBTやニートなどの若者の問題もそうでしょう。児童養護施設の世界も「明日ママ」の議論が生まれたことは、その食い違いがあることの証明とも言えます。食い違いがなければ解決策は見出しやすいため、生きづらさは改善に向かいます。しかし、食い違いがあるからこそ、生きづらさは存在し続けているのだと思います。
 

比較しなければ生きづらさは生まれない

 

Plus-handicapで記事となっているカテゴリは、障害者・早期離職者・ニート・難病患者・アトピー・ハーフ/外国人などといったもの(詳しくは検索欄を)。これが生きづらい系当事者にあたります。人間何かしらの生きづらさはあるよ、という意見はその通りだと思いますが、分かりやすい当事者の例で考えてみたいと思います。
 

障害者の場合、健常者と比較し、身体・精神・知性といったもののいずれかが欠損していることで障害者と認定され、また生きづらさを有します。つまり、障害者には健常者という対立軸があります。早期離職者であれば、企業で辞めずに働き続けている人が対立軸になりますし、ハーフ/外国人であれば、純日本人が対立軸になります。
 

当日の様子
当日の様子

 

生きづらさは「比較」していることが発端です。健常、一般、常識、普通。そういった概念との比較によって、自分が欠損していたり、不満だったり、うまくいっていなかったりといった事実と感情が生まれることで発生するのです。「比較」さえしなければ「生きづらさ」は生まれないと言えるかもしれません。
 

冷静に考えてみると、先述の健常や一般といった概念はいつ生まれたものなのでしょうか。「ちょうど今」でしょうか。これらは過去の価値観の積み重ね。結局「生きづらさ」は過去の社会通念との比較に過ぎないものなのかもしれません。2014年という時代の中、私たちが考える当たり前や幸せは、いつの時代の考えや価値観をベースに考えているのでしょうか。
 

変わるべきは社会?当事者?

 

「生きづらさ」を生み出しているのは、社会と当事者の間にある食い違いと、過去の価値観をベースにした比較という2つなのだと考えています。
 

生きづらさの構造(2014年5月時点の感覚的考え)
生きづらさの構造(2014年5月時点の感覚的考え)

 

食い違いに関しては、双方が歩み寄るしかありません。社会は、自分の価値観や思い込みといったフィルターを一度外した上で、当事者の声に耳を傾けたほうがよいでしょう。事実と感情は別。まずは事実の把握が大切です。反対に当事者側は社会が興味を得やすいような情報発信をすることが大切です。例えば、障害者の世界にある「社会に対して合理的配慮を求める」なんて言葉は、興味のない人にはさっぱり届きませんし、意味が分かりません。広告的な視点を持ち、興味喚起を起こせる情報発信が必要でしょう。
 

過去の価値観を外すには、主語を自分に変えて意見を発信、行動を起こすことが大事だと考えます。よくあるキャリア論に「いい高校を出ていい大学を出ていい企業に勤めると幸せ」というものがありますが、これが根強い理由は、確率的に高いだろうという読みのもと、こう言っておけば外す可能性が低いだろうという打算があるからです。社会がそういう方向性だからという感覚がベースにあるということは、100%自己責任の意見ではないということです。この積み重ねが「普通」や「常識」といったものを生み出していき、その裏側で生きづらさが進行していくのです。
 

「究極的に利己を積み重ねないと利他の精神は生まれない」という言葉を最近使うことがありますが、生きづらいと感じている人は、もうちょっとワガママに、自分にとっての幸せという軸で考えるだけで、何かが大きく変わるのかもしれません。
 

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。