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human
古いものを手放すと、新しい流れに変わる
私がはじめて「大きな流れ」を感じたのは、病気になったときでした。仕事ができないくらい体調が悪くなってしまい、転職活動を始めると再び悪化してしまう負のループにハマっていた頃です。「大きな流れ」は、人によっては「運」だとか「運気」だとか呼び方はありそうですが、私はこの表現のほうがしっくりきます。 -
society
私の偏見が生まれたきっかけ、なくなったきっかけ。知的障害者に対して。
小学生の頃、プールで泳いでいた私は、その中でおしっこをしている男の子を見かけました。彼は知的障害がある子どもでした。本当におしっこをしていたかどうかは定かではありませんが、私の頭の中に「知的障害者はプールでおしっこをする。汚い。」という言葉が深く刻まれました。そして、いつしか「知的障害者は汚い」という単文だけが残りました。 -
society
生きづらい奴に告ぐ!つべこべ言わずにお金を貯めろ。
「好きなものはお金です。嫌いなものは夢と希望と仲間とご縁です。」私がソーシャルビジネス界隈の集まりなどで自己紹介するときに使っている決まり文句です。この自己紹介は「あいつヤバい奴だ」と一切近寄ってこないひとと「ちょっと面白い奴がいる」と話しかけてくれるひとをバッサリと二分できるのでけっこう便利です。 -
human
義足の中が熱中症。え?サンダルって涼しいんですか?
サンダルを脱ぎ捨て、足の指先を伸ばしている女友達に「ねえ、サンダルって涼しいの?」とふと聞いてみた。きょとんとしながら「え、涼しいけど?」と聞き返されたけれど、それは僕にはまったく分からない世界。義足に装具にと、夏でもそれぞれの足にブーツを履いているような状態だと、生足にサンダルという涼しげな格好を経験したことがない。 -
society
今、日本でいちばん生きづらいのは「おっさん」かもしれない
「おっさん」と聞いてどんなイメージを思い浮かべるでしょうか。きもい、うざい、ださい、くさい、かっこ悪いなどなど、ネガティブなイメージが強い方も多いと思いますが、そのイメージは人それぞれで構わないと思います。ただ、周囲からおっさんと認知されている人たちは、今の日本で、実は一番生きづらいひとたちなのではないかと思うのです。 -
lifestyle
加点方式で生きるほうが、人生よっぽど楽じゃない?「たら・れば」からの脱却。
「◯◯じゃなかったら」というタラレバ的な発想は、理想の自分を100としたとき、現在の自分がどれだけできていないかと数え、減点していく考え方です。自分の過去や経験、身に降りかかった不幸ごとを変えることはできません。自分に向かってタラレバを使い始めると、どっと心が疲れます。それはすでに自己否定が始まっているからです。 -
society
体育会系は生きづらい?ウザイ上司は体育会系?ひとくくりで語ることの怖さと愚かさ
皆さんは、体育会系と聞くと、どんなイメージを抱きますか。良いイメージだと、根性がある、体力がある、協調性がある、就活に有利とか。悪いイメージだと、上下関係が厳しい、先輩には絶対服従、理不尽さに耐えるなどでしょうか。体育会系出身として感じるのは、そのどちらも正しくて、だからこそ「体育会系は生きづらい」と思うのです。 -
society
発達障害だからといって、他者理解の努力を放棄していいんですか?
「あなたに他人の気持ちを分かれというのは、背の低い人に向かって高い棚のものをとれというようなものです」今から約1年半前、私は主治医から「発達障害があるから」ということを理由に、福祉の仕事をすることは諦めたほうがいいと示唆されました。私はそれに猛反発しました。私は自分の生き方で、主治医の言葉に反抗してやろうと決心をしました。 -
human
誕生日は「親に感謝する日」なんて言うひとがいるけれど
先日誕生日を迎えました。SNSなどで受け取る誕生日メッセージがこんな僕にも幸いなことにいくつか届きました。とてもありがたく、そして嬉しい限りです。しかし、最近ではだいぶ見かけなくなりましたが「親に感謝しよう」とか「生まれてきてくれてありがとう」とか、そんなメッセージを見ると、何とも言えない気持ちになるときがありました。 -
society
友達なんていなくても死なない。相談相手なんていなくても生きていける。だけど、いたらいたで楽かもしれない。
生きづらさを抱えている人の中には、相談相手がいない、誰に相談すればいいのかわからないと感じていることも多いのではないでしょうか。もしかしたら、過去に誰かに相談したけど解決せず「相談なんてするだけ無駄」と思っている人もいるかもしれません。私も人に相談するのは苦手だし嫌いです。「なんでも相談してね」とか言ってくる奴はもっと嫌いです。