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「生きづらさは、自己責任」じゃないとしても。
「自己責任」や「自助」というワードに対して、嫌悪感を抱く人は多いようです。生きづらさは、他人や環境が影響していたり、今の社会的課題の犠牲になっていたりします。そうやって考えると、生きづらさの原因が100%自分にある人は、ほぼいないのではないでしょうか。 -
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突然クリスチャンになった友人に嫉妬した私が抱える『何者かコンプレックス』
「クリスチャンになったんだ」それは突然の告白でした。この時、Aはとても清々しい表情でした。Aとは高校時代に放課後の教室で「お互い、人生どうなるんだろうねぇ…」と薄暗い不安に満ちた気持ちでつぶやいたことを、今でもはっきりと覚えています。 -
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「親」について”みんなで”考える機会も必要だと思う
高校の同級生と会ったら子どもの写真を見せられて「可愛いだろ」と言われました。「可愛いね」と返したら「子どもがいないヤツは」マウンティングが始まりました…ああ、めんどくさい。そんなマウンターを見ていて、高校時代に「うちの親父ムカつく!」と言っていたのと同じ”親父”になってるやんとツッコミたくなりました。 -
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人間関係は「GIVE & TAKE」で回っている。
自分の振る舞いや態度によって誰かに迷惑をかけているかもしれない。そんなことを思っている方には「ギブアンドテイク(Give & Take)」の発想が大事です。「これをやってくれると助かるから(Take)その分、これはやるね(Give)」と考えるだけ。持ちつ持たれつとも言えますし、役割分担とも言えます。 -
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「当事者発信」に必要な2つの役割。陽気な僕らと皮肉な誰か。
事故や病気によって障害を負ったひとなんかに、生まれつき障害があるひとのことなんてわかるはずなんてない。ただ、これは逆もしかりで、生まれつき障害があるひとに、事故や病気で障害を負ったひとのことなんて、わかるわけはない。 そもそもは、他人をわかるだとか、理解するだとかがおこがましい話。 -
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よりみちをする人は、生きづらくないんじゃないか。
生きづらさを感じていると、頭の中は自分の悩みでいっぱいになります。自分のことにエネルギーを割いているときは、他の人を思いやる余裕はありません。大変なときは、余白やアソビのない状態になってしまいます。自分のことでいっぱいいっぱいになると、客観視ができなくなります。 -
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よりみちしたから出会えた、ありのままの私
私は大学4年生になろうというタイミングで「退学したい」と親に打ち明けた時がありました。その頃の私は体調が悪くて大学の授業にもほとんど出られず、その後の将来について不安しかなく、何より「ストレートで大学を卒業して就職する」という「普通、みんなが進む道」から外れることが怖くてしょうがなかったのです。 -
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「相手の要求を叶える人は、やさしい」という幻想
困っている人を見ると「なんとかしなきゃ!」という居心地の悪さを感じ、目が合えば、自分に助けを求められている気がして。わたしはそんなピリピリした空気が嫌いで、無言の圧力に耐えられませんでした。 「相手の要求に応えることが、いいとは限らない」と知ったのは福祉の仕事を始めてからでした。 -
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「歩けなくなる未来」を悲観しない3つの理由。
自由に歩けなくなるかもしれない。動けなくなるかもしれない。障害があるから、障害さえなければ、なんて考えに陥ってしまいそうなところ。個人的にも諦めることが増えてきた実感はある。なのに、これからも人生は楽しそうだなと思ってしまう。これは経験と考え方の問題であって、メンタルが強いわけでも、強がっているわけでもない。 -
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生きづらさをキャラクター化して、自己流のトリセツを作ってみた
「生きづらさをキャラ化するとしたら、どんな見た目と性格をしているだろう?」と、ふと思いました。「いや、急に何?」と思われるかもしれませんが、感情ってなんとなーく形や色がついていませんか。悲しみと聞いたら青色や涙、怒りは赤や炎といったように。ところが生きづらさは、人によって思い浮かべる色や形がちがうのではないでしょうか。