“頑張る”が助長する生きづらさ

生きづらさ界隈には”頑張る”という言葉がはびこっています。
 

障害があっても頑張る。
差別や偏見に負けずに頑張る。
仲間のために頑張る。
 

などなど。
 

中には「頑張っている姿に感動した」とか「私の頑張っている姿を見て欲しい」なんて人もいます。メンドクサイ人たちですね。だから私は”頑張る”という言葉があまり好きではないのです。
 


 

“頑張る”ことに意味はある

 

本人が自分の意思で頑張ることを否定するつもりはありません。たとえどんな結果になったとしても、頑張った本人が頑張ることの中に意義を見出すこともあるでしょう。
 

私も自分が頑張ることに自分自身で意味を見出している一人です。
 

私は趣味でマラソンをやっていますが、どれだけ頑張っても今からオリンピック選手になることはできないでしょうし、マラソンを走ることでお金がもらえるわけでもありません。だからといって練習すること(=頑張ること)に意味がないとは思いません。
 

練習を頑張って自己ベストが更新できればうれしい。「頑張ったご褒美」と言って飲むビールは格別に美味しい。そんな風に”頑張る”ことで人生が豊かになることもあると思います。
 

自分で目標を決めて頑張ることや、頑張る基準を自分で定めて取り組むことは悪いことではありません。私は頑張ることに意味はあると思っています。
 

“頑張る”は自己完結させろ

 

頑張ることに意味はあるのに”頑張る”という言葉があまり好きではない理由は、頑張ることを自己完結させられない人たちがいるからです。
 

頑張ることを自己完結させられない人たちとは、”頑張る”ことを他者に求めたり、”頑張っている自分”を認めて欲しいと言ってみたりする厄介な連中です。
 


 

他者に“頑張る”を求める人たち

 

他者に”頑張る”を求める人たちの例としては親や教師、会社の上司などがわかりやすいでしょう。心から相手を思うからこその「頑張って」という言葉や感情が存在することは重々承知していますが、自己満足のために他者に”頑張る”ことを要求している人たちがいるのも、また事実です。
 

例えば勉強しない子どもに対しての「もっと勉強頑張りなさい」や、勤務態度が怠慢な部下に対して「もっと頑張って仕事をしろ」なんて言葉は典型的です。
 

“頑張る”ことを求められた側がまったく頑張りたいと思わないのであれば、他者が求める”頑張る”は迷惑でしかありません。
 

“頑張る”を他者へのアピールにつかう人たち

 

他者に”頑張る”ことを求めるのではなく、”頑張っている自分”が認められることを要求する人たちもいます。
 

私たちプラス・ハンディキャップの元にも問い合わせフォームを通じて「私はこんな生きづらい状態でも頑張って生きています。こんな私のことを知ってほしいので取材してください。」とか「生きづらさを抱えながらも頑張って生きる自分のことをより多くの人に知ってもために記事を書きたい。」なんて連絡がたくさん来ます。
 

生きづらさを抱えながら頑張っている姿を見て勇気づけられる人もいるかもしれません。頑張っているあなたを応援してくる人も見つかるかもしれません。
 

その一方で「私の方がもっと大変で、もっと頑張っている」と思う人や「この程度で頑張っているなんて甘えだ」と思う人もいるかもしれません。
 

頑張っていることをアピールするのなら、どちらの反応であったとしても受け入れる覚悟はありますよね?
 

覚悟もなく”頑張っている自分”だけは受け入れてほしいなんて思っている人もたまにいるので困ります。
 


 

結果を出すために”頑張る”のか?アピールするために”頑張る”のか?

 

“頑張る”アピールをする人たちの中には、アピールすることが目的になってしまっている人たちがいます。
 

宿題はきっちりこなすのに成績が上がらない生徒、誰よりも練習量が多いのに補欠にもなれない部活のメンバーなどは、もしかしたらアピールが目的になってしまっているのかもしれません。学生時代の部活における私はそのタイプでした。
 

本人が頑張っていることそのものが楽しいのなら否定はしませんが、多くの場合は今よりも良い結果を出すために頑張っているのだと思います。
 

頑張っているのに結果がでないのであれば、頑張る方向性が間違っているのかもしれません。頑張る量が足りないのかもしれません。
 

頑張っているのに認められないのであれば、そもそもなぜ認められたいのでしょうか?認められることで何が変わるのでしょうか?あなたの”頑張る”と周囲の”頑張る”は本当に一致しているのでしょうか?
 

結果を出すために頑張っているのであれば、もっと頑張らないで結果を出す方法を考えた方が良いかもしれません。頑張っていることをアピールしたいのであれば、アピールの方法、対象、ツール、タイミングを考えた方が良いかもしれません。
 

どうせ頑張るなら目的に応じて効率的に頑張った方が良くないですか?
 

頑張るか頑張らないかは個人の自由

 

私自身はできる限り頑張りたくない、ものぐさな人間です。
 

人間関係がうまくいかないと関係改善のために頑張るのではなく関係を断ってしまうこともあります。趣味のマラソンはストイックにタイムを追求するわけでなく、レースを走って打ち上げで盛り上がればOKです。
 

頑張るか頑張らないかは一人ひとりがそのときの状況に応じて決めればいいものだと思います。頑張るか頑張らないかで結果が大きく変わることもあります。頑張っても頑張らなくても大して結果がかわらないこともあります。どちらになるかなんて誰にもわかりません。”頑張る”と結果の因果関係なんて案外、不透明なものだと私は考えています。
 

だから、一人ひとりが”頑張る”ことを他者に強要せず、他者へのアピールにもつかわず、自己完結させてほしいなぁと思うのです。
 

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この記事を書いた人

井上洋市朗

「なんか格好良さそうだし、給料もいいから」という理由でコンサルティング会社へ入社するも、リストラの手伝いをしてお金をもらうことに嫌気が差し2年足らずで退職。自分と同じように3年以内で辞める若者100人へ直接インタビューを行い、その結果を「早期離職白書」にまとめ発表。現在は株式会社カイラボ代表として組織・人事コンサルティングを行う傍ら、「生きづらい、働きづらい環境を変える方法」についての情報発信を行っている。