肩書きにこだわる生きづらい人たち

株式会社の代表取締役、社団法人の理事、中高生向けキャリア教育の講師、ランニングレッスンのコーチ、市民ランナー。一見共通点のなさそうなこれらはすべて、私の今の肩書きです。
 


 

人を肩書きだけで判断してしまう残念な人たち

 

名刺交換をするときは”代表取締役として”が多いですが、中高生向けのキャリア教育の時間では最後の最後まで会社の代表をしていることは言いません。ランニングレッスンのときには受付や雑用的なこともするので、アルバイトや学生に間違われることもあります。市民ランナーのチームでは最年少に近いので周囲は人生の先輩方ばかりです。
 

同じ私という人間であっても、肩書きが違うと不思議なもので周囲の態度も変わります。それを「当然だ」と思う人もいるかもしれません。でも、私は「くだらない」と思います。
 

初対面の人でも、最初は私に対してタメ口で「井上君」と呼んでいた人が、私が代表取締役と知った途端に敬語に変わり、呼び方が「井上さん」になるなんてことは珍しくはありません。なぜか40代以上のおっさんに多い気がします。正直、マジでむかつきます。
 

そういう人たちは結局、人を肩書きでしか見ていないのです。
 

肩書き至上主義という生きづらさ

 

肩書きでしか人を見ることができない人はむかつくと同時に、かわいそうだとも思います。本人もきっと自分の肩書きにぶらさがって行動している人だからです。
 

嘘かホントか知りませんが、定年退職して企業の役員や部長といった肩書きがなくなると、厄介者扱いされて家にも社会にも居場所がなくなる人もいるなんて話を聞きます。定年退職するまでに慕ってくれていた部下や信頼してくれていた関係者は、一人の人間を慕っていたのではなく、肩書きを慕い、肩書きを信用していたのです。ひとたび肩書きがなくなってしまえば、その人には慕われる力も信用される力もないのです。
 

肩書きを盾にして生きるのは楽です。私も講演やセミナーで年間100件以上登壇しているので、周囲は「先生」と呼んでくれることもあります。その環境に甘んじようと思えば甘んじることもできますが、そんな状況だからこそ、私は肩書きにこだわらないようにしています。先生と呼ぶのもやめるようにしてもらっています。年齢に関わらず基本的に誰に対しても「さん」付けで呼んでいます。相手が大学生でも大企業の社長でも「さん」付けです。
 

そうでもしないと、気付かぬ間に自分が肩書きだけを頼りに生きる人間になってしまいそうで怖いのです。
 

自分が肩書きにこだわらない生活をしているからこそ感じるのは、みんながもっと普段から肩書きにこだわらないで生活すれば、もっと生きづらさは減るのではないかということです。
 


 

肩書きという物差しに執着する人々

 

肩書きというのは物差しの役割を果たしています。課長より部長が偉い、部長より社長が偉いという物差し。年収500万より年収1000万が凄いという物差し。この物差しは一定の範囲内では有効ですが、範囲外では特に意味がありません。わがままで有名な社長も家庭では奥さんに頭が上がらない、年収1000万プレーヤーも趣味の世界ではド素人で先生に叱られるなどがいい例でしょう。
 

ただ、一定の範囲内でのみ有効なはずの物差しを、他の場所に持ちこもうとする人たちもいます。それが、先ほど紹介した肩書きだけで人を判断する人たちです。
 

なぜ、本来は物差しが有効ではないはずの場面でも肩書きという物差しを使いたがるのか?
 

それはおそらく、肩書き以外の物差し、例えば人間的な成熟度であったり、精神的な余裕度であったりという定量化や明確な基準が難しい物差しで測られると、自分の優位性がなくなることが怖いのだと思います。なんて残念な人たちでしょう。
 

肩書きを外すか、複数の場所で様々な肩書きを持つ

 

肩書きなしでも人から慕われる、信頼される、評価される。そういう人になるためには普段から肩書きを外しておくか、複数の場所で肩書きを持つべきだと思います。
 

最近は複業という言葉もあります。「副業」ではなく「複業」。複数の組織や立場で業をなすということです。
 

複業までいかなくても仕事以外の場所でのコミュニティを持つことも、肩書きを外して一人の人間として評価してもらうにはいい場所でしょう。肩書きを外して生きていくには、肩書きが通用しない世界に飛び込んでみるのが一番手っ取り早いのです。
 

私の場合であれば市民ランナーの世界があてはまります。経営者であることなんてマラソンには何も関係ありません。さらに、市民ランナーには経営者も多いので、私みたいなちっぽけな経営者の肩書きは何の価値もありません。
 

ランニングコーチのお手伝いも同じです。参加者の人はランニングを学びに来ているので、そのほかの情報はどうでもいいのです。参加者にとって大切なのはランニングについて多くのことが学べるかどうかです。
 

ある程度の肩書きバイアスは仕方ないけど、できる限り気にしない社会へ

 

肩書きがダメだと散々書いてきましたが、ある程度は肩書きによってバイアスがかかるのは人間だから仕方のないことです。「何を言っているか」よりも「誰が言っているか」によって説得力が変わることはよくあることです。
 

肩書きが必ずしも悪ではありません。ただ、一つの肩書きにこだわって、肩書きだけで偉そうにする人、えばる人、人を馬鹿にする人だけはいなくなってほしいと思うのです。
 

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【日時】
11月13日(火) 19時半〜21時半(開場19時)
 

【場所】
EDITORY神保町2階 イベントスペース
東京都千代田区神田神保町2-12-3 安富ビル2階
 

【参加費】
2000円
 

【申し込み】
https://linktoeditoryvol2.peatix.com/
 

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この記事を書いた人

井上洋市朗

「なんか格好良さそうだし、給料もいいから」という理由でコンサルティング会社へ入社するも、リストラの手伝いをしてお金をもらうことに嫌気が差し2年足らずで退職。自分と同じように3年以内で辞める若者100人へ直接インタビューを行い、その結果を「早期離職白書」にまとめ発表。現在は株式会社カイラボ代表として組織・人事コンサルティングを行う傍ら、「生きづらい、働きづらい環境を変える方法」についての情報発信を行っている。