言葉を多く知っているほうが、何かと生きやすい。

年末に、とある集まりに出たときに、やけに突っかかってくる知り合いがいて。そのうち気づいたんだけど、突っかかってくる言葉が3つしかない。
 

「生意気」「ムカつく」「バカ」
 

改めて「語彙って大事だな」と考えていたときに、この記事を読んだ。
 

 

昔、何の漫画か忘れたけれど、「子どもは頭が痛くても『お腹が痛い』と言う」なんてセリフがあり。当時は「んな訳ないだろ…」と思ったけれど、今なら「ちょっとわかるかも」とも。
 

たぶん言葉の捉え方が違うのかもしれない。
 

「お腹が痛い」は「お腹」と「痛い」、2つの言葉が含まれた短文だけど、子どもだとまだ「お腹が痛い」が体調不良を表すひとつの言葉なんじゃないか。そう考えてみると「お腹が痛い」も「間違えている」とは言いがたい。
 

子どもは印象で伝えてきても、大人が意味を汲み取ればいい。ただし、大人になると印象で伝えることは難しい。大人相手だと具体的な内容をつかもうとしてしまい、まぁ伝わらない。幼稚にすら聞こえてしまうし、人によっては「察しろ!」と相手のせいにしだすかも…
 

生きづらさを感じているひとは「なんか上手くいかない」と思っていることがあるのかなと思っているけれど、その「なんか」ってまさに印象かなと。だから「なんか」を具体的にしてみるとどうなるんだろう。
 

何が、どうして、上手くいかないのか。
そもそも、なぜ、それを、上手くいっていないと感じるのか。
 

「なんか上手くいかない」というざっくりな感じが「わかって欲しいんだけど、わかってもらえなくて悔しい」とか「欲しいものがあるけれど、買えるだけのお金がない」とか、理由がわかるだけで「だから、上手くいかない」にできる。
 

具体的に言語化する、より適した言葉を探すことが「なんか上手くいかない」を切り抜けるポイントなのかもしれない。
 

「何かを為し遂げようとするものは手段を考え、何もしたくないものは言い訳を考える」ということわざがあるけれど、もし「どうにかこうにか上手くいくようにしたい」と思うのであれば、原因を掴んで手段を考えればいい。
 

生きづらさの真ん中にいて、感情に押し潰されそうな人には言いづらいけれど、感情にのみ焦点を当てているだけでは何も解決しないと思う。解決するには言葉の力が必要。
 

言葉を知っている
 

最初の突っかかってくる知り合いの話だと、何か僕のことが気に入らない理由があるんだろうけど、本人がそこを掘り下げてくれなければこちらも解消のしようがない。
 

「物言いがムカつく」なら物言いを改善するだけの話だし「態度がムカつく」なら態度を変えればいいだけの話。ただ「何かムカつく」だけなら「知るか」って話。具体的に言語化するのは、人間関係のトラブルも一緒。
 

結局、困りごとを解決するためには共通しているんじゃないか。
 

相談も似ていて、誰かに相談しづらいのはどうしたら伝わるのかが難しいから。相談を受けづらいのは、相手が望む言葉を探すのが難しいから。こんなことよく言われたりしませんでしたか?
 

「話を聞いてもらいたいだけだったのに!」
 

言葉を多く知っているほうが、何かと生きやすいのかもしれない。
 

生きづらさの原因に家族との人間関係も多いけれど、例えば、親兄弟姉妹と仲が悪い場合、そもそもの発端を思い起こしてみる。
 

そのときに、誰の、何が、どうして、どう思ったのか。
納得がいかなかったのか、傷ついたのか、悲しくなったのか。
そして、どうしてその感情になり、どういう行動を選んだのか。
 

コーチングの先生は「自分の人生を棚卸しすると良い」という表現で話してくれた。過去にこんなことがあって、自分はどう思ったのか、なぜそう思ったのかをひたすら分解していく。分解とは言葉を選ぶこと。
 

言葉を知っている
 

自分のことで言えば、アスペルガーだと判明してからいろいろ分解してみた。
 

なぜ人を不快にさせる発言をしてしまうのか、そもそもどうしてそんな発言を思い付くのか、そういうときはどう言えばベストなのか、または「言わない」でも上手くいく方法はあるのか。「どうにかしたい」と思ったので、原因を掘り下げてみた。
 

その一方、相手に責任を負わせるような、言い訳のように変えるとどうなるのか。
 

なんでこんなことで不快に思うのか?この人はバカなんじゃないか?この会社しか知らないからか?社会経験が少ないからか?
 

原因を相手に見つけようとしてしまっていたことに気づく。
 

もう一度言うけれど「言葉を多く知っているほうが、何かと生きやすいのかもしれない」。
 

ただし、言葉を知ることは、話を聞いたり、読んだり、考えたりするインプットのほうが重要で、その上で喋ったり書いたりするアウトプットが必要。この2つはイコールにはならなくて、それぞれに磨かなくちゃいけない。
 

アウトプットだけ磨いてしまうと「原因を相手側にあるように見せるのが上手く」はなるが、原因を特定、排除することが難しくなる。
 

だから、生きづらさを感じるなら、「自分の話を聞いて聞いて!」よりも「自分はなぜ生きづらさを感じるのか」を内省するほうが良いんじゃないかなと思う。
 

記事をシェア

この記事を書いた人

未読メールが12万を超えました