可愛い・綺麗と言われても、鏡に映る私の顔はいつも醜かった。醜形恐怖の生きづらさ。

「可愛い」「綺麗」「美人」「魅力的」と言われて、みなさんはどんな気持ちになりますか?
 

嬉しい、照れくさい、自信が湧いてくる。容姿を褒められると、そういった感情が湧きやすいと思います。
 

私は小さいころから容姿を褒められることに縛られて生きてきました。今も「可愛い」「綺麗」という言葉は、下手したら昔以上に、緊縛師も舌を巻くほどの巧妙な手技で、私を縛りつけています。
 


 

周囲の大人が言う「可愛い」を純粋に信じていた時期がありました。
 

それが崩壊したのは、中学1年生の頃。クラスの男子の中で、私はクラスでキモい女子ランキング5位にまさかのランクイン…。
 

今なら「お前らの顔は私にランク付けできるほどのものかっ!?」と吐き捨てることができますが、そのときはショックのあまり、放心状態でした。
 

中学校を卒業すると、私は地元の友だちが一人もいない高校に入学しました。自分の服装や髪型を自由に決められる高校だったので、私は一気に自分のイメージを変えました。
 

そのおかげで、周囲からは徐々に「可愛い」「綺麗」と言われるようになりました。正直、最初は信じられなかったし、そう言ってもらえて嬉しいな、ぐらいの気持ちでした。
 

見た目が変わると、こちらに対する周りの反応、特に男子からの対応や視線が不思議と変わってきます。
 

私のことを馬鹿にしていた先輩が駐輪場で声をかけてきたり、まったく話したことのないクラスカースト上位だった中学の同級生や、他校の子が人伝いにメールアドレスを聞いてきたり。
 

笑って対応しつつも、心の中では鼻先で笑っていました。
 

中学の頃と違い、こちらに対して丁寧な態度をとったり、臆病に振る舞ったりする彼らを、私はカッコ悪いと思い「お前らのことなんか絶対に相手にしない」と決めていました。
 

高校三年間はずっとそんな感じで、私は徐々に自分に自信をつけていきました。
 


 

自分の容姿に対する価値観がおかしくなっていることに気づいたのは、大学1年生の夏頃。いつもどおり鏡の前でメイクをしてると、なぜかうまくいかない。
 

なんか……気持ち悪い……。
 

自分の顔がおかしい。まるで、順調にはめていたジグソーパズルのピースがすべて不一致だったと気づいたときのような、それまで完成へ向かっていたものが一気に崩壊していくような感覚に襲われました。
 

それは顔だけではなく、体も髪も何もかもでした。
 

自分の容姿がいびつで、醜いものに思えて仕方なく、とにかく首から上をどうにかしようと、化粧品を買い漁りました。
 

美容室に行って、化粧をして、カラーコンタクトを入れて、それでやっと落ち着く。でも今度は体が気になって仕方ない。自分の姿を少しでも良くしたい一心でダイエットを始める。そんな日々でした。
 

「自分の顔がおかしい」と友だちに胸のうちをぽろっと打ち明けたことがありました。
 

「なんか変わったこと考えるんだね」と返され、容姿について誰かに相談しないと決めました。顔について悩んでいると他人に打ち明けることは、ものすごく恥ずかしいように思えたからです。
 


 

その頃には、チューイングや過食嘔吐を繰り返していました。モデルやアイドルのグラビアを見て、自分がいかに醜いかを毎日確認しました。
 

彼氏に「◯◯が一番可愛いよ」と言われた夜は、彼の好きな女優の水着写真を見て「嘘つけ」と泣きました。
 

不思議なことに、自分の醜さを確認して、自分自身を責め、傷つけ、罰すると安心しました。心の痛みは、ある意味依存性が強いもので、一度痛みを感じると、どんどん自分を追い込むことを考え、その痛みで最初の痛みをかき消しました。
 

こんな状態にあっても、私はリストカットと整形だけはしませんでした。リストカットは皮膚に跡が残るからもっと醜くなる、整形は失敗したときに人生が終わると思っていたからです。
 

それでも私のことを「可愛い」「綺麗」「美人」「魅力的」と言うひとたちがいました。そう言われるたび、息が詰まり、胸が押しつぶされるような怒りと悲しさがありました。
 

私の世界では、私が世界で一番醜い。他人に何を言われてもお世辞や皮肉に聞こえ、責められているように感じました。
 

言った相手にとっては褒め言葉でも、私にとっては私の容姿を評価する言葉だったからです。特に男性にヘラヘラ笑いながら言われるのが一番辛かった。どうしてなのかは分かりません。でも、とにかくその場から逃げ出すほどに辛かった。
 


 

何か明確なきっかけがあったわけではありませんが、今は自分の容姿を受け入れられるようになりました。
 

当時、ネットで見つけた「醜形恐怖症」という言葉を最近ふと思い出し、懐かしく思うくらいには受容し、自分の価値観を再構築できているはず。
 

それでも、たまに容姿を褒められると、心の一部がギュッと縮こまり、距離をとりたくなります。私の容姿について触れないで欲しい。容姿について触れられることが、自分の存在価値の基準になってしまうことが怖いんです。
 

たまに、可愛いも綺麗もブスもいない世界があれば、それはどんな世界だろうと考えることがあります。それはきっと、自分の容姿で悩んでいるひとたちの生きづらさが軽減される世界、のはず。
 

私は、私の世界だけでも、そういう世界にしていきたいです。
 

記事をシェア

このライターの執筆記事

  1. 妊娠、出産はおめでたいだけじゃない。流産を経験して初めて知ったこと。
  2. 可愛い・綺麗と言われても、鏡に映る私の顔はいつも醜かった。醜形恐怖の生きづらさ。