生きづらいのはどっちだ? 障害VS失恋ブルー

2013年7月20日、Plus-handicap主催として初めてのイベント、「Plus-handicap Session よりよく生きるためのコツ」を実施しました。冒頭部で私は、Plus-handicapが目指す先についてお話ししたのですが、私が伝えたかったことは「自分にとっての生きづらさは何か。何が生きづらいのかを明らかにしましょう」ということです。
 

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付き合っていた彼女に振られた。絶望の淵に追いやられるような気持ちになった。
同じ頃、知らないおばちゃんに「足が不自由なの?大変でしょう?」と言われた。
「いや、大して大変ではないんですけど」と反論した。
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この2つは、20歳の夏の同時期に私自身が体験したことです。
 

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その瞬間瞬間において「つらいなあ」と感じる価値基準は変わっていきます。障害者として不自由さを感じながら生きることに「つらい」と感じることはありますが、彼女に振られた瞬間は明らかにそちらのほうが「つらい」。言い換えれば、中長期的に見れば「障害による不自由さ」のほうが「つらい」のでしょうが、短期的に見れば「失恋による傷心」のほうが「つらい」のです。
 

これはモチベーションとテンションの違いにも似ているかもしれません。動機や意義であり、心の内から涌き上がるものモチベーションと、気分や感情の波であり、身体から一時的に引き上げられるテンション。
 

※参考リンク先① 意外と知らない「テンション」と「モチベーション」の違い
※参考リンク先② 人間力養成講座 テンションとモチベーションの違い
 

生きづらさにも、「本質的に抱えている生きづらさ」と「一時的に抱えている生きづらさ」があるのだと思います。自分の力だけで変えられないものは前者、自分の行動次第で変えられるものは後者なのではないでしょうか。私の身体障害は前者であり、失恋ブルーは後者です。また、前者は一生をかけて向き合っていくもので、後者は瞬間瞬間で向き合っていくものでしょう。生きづらいと感じる波は、後者のほうが実は大きいかもしれません。
 

過去と環境、他人は変えられませんが、未来と自分は変えることができる。自分自身にとっての生きづらさを整理する上でも、この軸で考えていくと、解決できる生きづらさと解決できない生きづらさが現れてきます。振られたという過去は変えられませんし、粘ったものの彼女に見限られた僕は他人を変えることはできませんでした。結局、自分自身を立て直し、未来を切り拓いていくことが大切ですし、その結果、素敵な奥さんを見つけられたことは事実です。
 

Plus-handicapには「様々な生きづらさ」や「生きづらい状況にいる人たち」が登場します。それらは事実に則ったものですし、ライターひとりひとりが、どうすれば解決できるのか、どのような行動をとっていけばいいのか、何が問題点なのかといったことを、ひとつひとつ丁寧に織り込んでいます。自分にとって興味深いテーマもあれば、まったく箸にも棒にもひっかからないテーマもあると思います。ただ、それでいいんです。自分の生きづらさを見つけるきっかけを作る、事例・事実・人から打ち破るきっかけを見出す、そのために活用して頂ければ嬉しいなと思っています。
 

先日のイベントにお越し頂いた皆さん、本当にありがとうございました。今後も定期的に開催していきます。次の機会に皆さまにお会いできることを楽しみにしております。
 

ちなみに、私は障害を生きづらいと感じることがなかなかありません。好きな靴が履けない、スキニーなズボンが履けないというときに一時的な生きづらさを感じることはありますが。自分自身の障害が本質的な生きづらさにつながっていないことは、いつかの記事で明確にしてみたいと考えています。
 

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。