「生きづらさ」はなぜ生まれるのか? メオトーク × Plus-handicap 編集長対談。

世の中にあふれる様々な「生きづらさ」を伝え続けてきた『Plus-handicap』。今回は、編集長の佐々木がゲストの方と「なぜ生きづらさが生まれるのか」をあらためて考えてみることに。お相手は、夫婦のためのライフスタイルマガジン『メオトーク』編集長の山川譲さん。二人の視点から考える「生きづらさ」についてお届けします。
 

佐々木(写真左)と山川さん(写真右)
佐々木(写真左)と山川さん(写真右)

 

『メオトーク』編集長の山川さんは発達障害の疑いがあり、『Plus-handicap』編集長の佐々木は生まれつきの身体障害者。同じ「障害者」という括りの中で生きている2人は「障害者だから生きづらいというわけではない」という共通の意見を持っています。
 

では、生きづらさは生まれる理由、背景にあるものは何なのでしょうか。
 

生きづらさの原因は「自責」か「他責」か

 

佐々木 僕らがPlus-handicapで3年半近く伝えてきた「生きづらさ」の中には、◯◯障害があって生きづらい、24時間365日痛みがあって生きづらいといったものがあります。生きづらさを抱えていらっしゃる方々の多くは、周囲の無理解を嘆いたり、社会に改善を求めたり、なんとなく生きづらさの原因を「他者」や「外」に求めるように感じています。
 

山川 僕は「他責(他者に責任を求める)」のほうが生きやすいと思います。何でもかんでも他人のせいにすればいいから、自分はすごく楽じゃないですか。それに比べて「自責(自分に責任を求める)」の人は辛いんじゃないかな。周囲の人とのちょっとした違いを感じたときや、上手くいかないことにぶつかったとき、人っていろいろ考えるようになりますよね。生きづらいと感じるには何かきっかけがあって、そこから自分を責め始めることで生まれるのかもしれない。本来は「自責」って自分を責めるという意味ではないですけど。
 

佐々木 山川さんの言葉を借りると、生きづらさを感じる人は自分と向き合ったり自分を追い込んだりすることで、自ら「生きづらいゾーン」に入っていく人なんでしょうか。
 

山川 自責の念に駆られる人は、あるところまでは自分の力で頑張ったけど、これ以上やってもうまくいかない、壁にぶつかったことがあるんだと思います。これはあくまでも僕の印象ですが、生きづらさを感じていない他責の人は、周囲から環境を作ってもらっている方が多い。上手くいかなかったのはあの人がやってくれないからだ、あの人のせいだと考えやすい。基本的に人は生きづらさを感じたとき、どうしたら生きやすくなるか、自発的な変化を考える。でも、他責の人は外に理由を求め続ける。その違いが確実にあると思います。
 

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佐々木 かつて生きづらかった人が、今は生きづらくない、生きやすいとすると、自責と他責をうまく使い分けられているということでしょうか。
 

山川 もともと僕は生きづらい人間でした。今はどちらかというと生きやすいほうにいると思いますが、生きづらかったときは全部自責で考えてたんです。仕事が上手くいかないのは自分のせいだと思っていたし、周囲からもお前が悪いと言われていた。だけど、会社を辞めて「あれは僕じゃなくても無理だった」と気づいたら、一気に生きやすくなりました。全部自分のせいにするんじゃなくて、「相手も悪い」くらいの気持ちの逃げ場を作らないと、やっていけないですよ。
 

できないことを受け入れる

 

佐々木 たとえば、「生きづらさ」と「生きやすさ」の二軸で考えたときに、一度自責で考えることを覚えたうえで、その時々の状況や環境に対して、ここは自責で取り組もうとか、ここは他責にして一回切り抜けようとかって上手く使い分けられるようになると良さそうですね。
 

山川 一人の人間にできることなんて限られています。あれもこれも上手くできないのは自分が悪いっていうのは一種の甘えだし、驕りかもしれません。自分にできることをしっかりやって、できないことは後回しにしないと、全部できないまんまで終わります。どうしてもできないことはできないと割りきって、優先順位を決める。これは今やらなきゃいけない、これはなんとかできるってコツコツやっていった結果、できないと思っていたこともできるようになったりするんですよね。
 

佐々木 障害者の障害受容もちょっと似ているかもしれませんね。僕は、生まれつき足が不自由なので、どんなに頑張ったところで、かけっこで一等賞は絶対にとれないってどこかのタイミングで気づいたんです。その瞬間、運動会のかけっこは無理だと割り切る。
 

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佐々木 小学校って足が速いやつがモテるじゃないですか。だけど僕にはそれが絶対に難しい(笑)。そのもどかしさはずっと感じていましたね。ただ、そのもどかしさの先で「別のところで勝負するしかない」っていう前向きな諦めが生まれる。そういう一種の諦めが、生きづらさと生きやすさを分ける一つの要因ではあるかもしれない。
 

山川 その話を聞いて思い出したんですけど、小学校3年生のときに引っ越しをして初恋の子と離れちゃったんですよ。それで、引越し先の小学校に行ったら「僕は頭良くないし運動もできない。じゃあ性格で勝負しないと勝てないじゃん」って切り替わった瞬間があったんです。
 

佐々木 そこからモテモテになったんですか。
 

山川 ぜんぜんモテなかった。
 

二人 (爆笑)。
 

山川 でもなんとなく分かる気がします。これがダメ、あれがダメ、じゃあこれで、って切り替えられるようになることで、自分が変化してきた気もするんですよ。ひとつのことに執着しないというか。
 

自己分析が上手い人は生きづらくない?

 

佐々木 自己分析が上手い人って生きづらくないと思うんです。自分のなかで満ち足りている部分と、満ち足りていない部分を分析できていれば、そんなに生きづらくないなと。
 

山川 そもそも、自己分析をするのは、生きづらさを感じたからだと思うんです。生きづらいと思わなければ、自己分析なんてたぶん必要ないですよ。僕に関して言えば、なんで親が離婚したのかとか、なんでおじいちゃんの家で居候してるんだろうとか、引っ越した先でいじめられて何故この人たちは僕をいじめるんだろうかとか。そういうきっかけがなかったら何一つ考えないですよ。スーパーマリオをいかにノーミスクリアするかしか考えなかったはず(笑)。
 

佐々木 確かに、マリオノーミスクリアについて考えているほうが生きやすいですね(笑)。問題が生じるから、自分自身を分析して乗り越えようとする。主観と客観をうまく行き来できるようになれば、感情と事実を整理できるようになれば、どうすれば自分が生きやすくなるか考えられるようになる、ということですね。
 

山川 基本的にこの社会は生きづらい。そのなかでどうすれば生きやすくなるかを考えているんだと思います。そもそも、生きづらさを感じたことのない人、他人や社会について学ぼうとしない人が生きづらい世の中を作ることに加担しているのかもしれません。
 

佐々木 確かに、一度「生きづらいゾーン」でもがいてみないと、見えてこない社会があると思います。
 

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ギブアンドテイクの思考

 

佐々木 「ギブアンドテイク」って「与え続けることで還ってくる」みたいな意味で捉えられていますけど、「ここまでは譲るけど、ここまでは歩み寄ってほしい」っていう意味があるらしいんです。英和辞書にも「譲り合う」って載っています。僕はその意味がすごく好き。生きづらさを抱えている方の取材に行くと、0か100かという思考の方が多い印象があるんです。「自分もここまでは変わるから、ちょっとだけ歩み寄ってくれないかな?」という感覚だと生きやすくなる気がするんですよね。
 

山川 確かにそうなんですけど、僕も0か100なんです(笑)。いや、0か1か、かな。だから生きづらさを感じていたときに、自分は0か1でしか判断できないから、スイッチをいっぱい増やせばいいじゃんって考えたんです(笑)。これはオフ、あれもオフ、でもこれはオンみたいな。「この人腹が立つ=嫌い」じゃなくて「この人には腹が立つけど、ここは好きだから他のところはいいか」そういう考え方もありなのかなって。
 

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勝ち負けにこだわる社会が生きづらさを創り出している

 

佐々木 親しくしている経営者が、結婚生活が上手くいく三大原則を「勝たない・勝てない・勝ちたくない」って言ってたんですけど、これが去年一番刺さった言葉なんですよ(笑)。でも、これはすごく大事な話で、「0か100か」じゃないですけど、勝つためには例えば自分が強い・正しいという状況を作り、相手が弱い・間違っているという状況をつくりださないといけない。これはなんか違うよね、不毛だよねと思います。
 

山川 今って表面上見えていなくても、勝ち負けにこだわる人がすごく多いなと思います。勝ち負けにこだわりすぎて、0か100かにしたがる。別に50・50でいいのに。「あなたはそういう立場で、状況で、気持ちもすごく分かる。でも、それだけでは上手くいかないから、こうしましょうよ」って提案すると、「いや、そんなのはおかしい」と。「どこがおかしいか言ってください」「おかしいからおかしい」「うん?」みたいな(笑)。
 

佐々木 例えば仮に障害者の某当事者団体が障害者のことを分かってほしい、理解してほしいと言ったとする。「障害者のこと全部わかりました。配慮とか何でもやりますよ!」って今すぐに国民全員が言ったら解決するわけじゃないですか。でも、なんか納得しなさそうな気がする。◯◯理解、◯◯の啓発とかもなんか勝ち負けっぽいんですよね。これは偏見です(笑)。それでいろいろと考えてみたんですけど「今まで理解してなくて申し訳ありませんでした」って言わないと、彼らは満足しないんじゃないかなと思っています。
 

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佐々木 Plus-handicapのイベントでも、仕事柄なのか、お客さんから実は僕これで…私これで…とまるで数珠つなぎのようにカミングアウトされるんですが、僕は「へえー」とか「ふーん」くらいしか反応が示せない。あなたがゲイであったとしても、難病を抱えていたとしても、このイベントが楽しければそれでいいし、ひとは多種多様なんで違いがあって当たり前。でも、そういう反応を示すとすごく物足りなさそうに、僕が聞いてほしいのはもっとあるって顔をされる。他者に対して求めすぎるのも、ひとつ問題かもしれません。
 

山川 僕はよく人から「自分”も”変わっているんです」と言われるんですけど、「僕は自分が変わっていると思ってないですよ」って返すんです。「山川さんは変わってますよ」ってまた言われるんですけど、つまりそういうことかなって。変わっているかどうかって相手が勝手に決めてくれるんで自己申告する必要はないし、変わっていると思われるのって生きづらいんですよ。どうも「変わっている=人と違う」を勝ちと捉えているかたがいるんだなぁって感じますけど、佐々木さんも僕も負け、生きづらいって気づいている気がします。だから、カミングアウトされても「大したことない、変わってないから自信持ってよ」って思うんじゃないですかね。
 

佐々木 僕は自分がモテないときに、負けたなあ、生きづらいなあって思ってましたね。
 

山川 わかりやすくていいなー(笑)。
 

佐々木 「障害者だからモテないのか」と思ったときはありました。そのときは生きづらさゾーンに一回入ったかもしれないですね。でも、障害があるからダメでもないし、障害があるのは個性でも価値でもないんですよ。自分を司る要素でしかない。
 

山川 そのときに境界線を見つけたから生きやすく変わったと思うんです。自分で普通だと考えていると「変わっている=負け」と思われるけど、こう考えてみればギリギリ「普通」と思ってもらえる。変わっていると思われるところも「ちょっと面白い」ぐらいに思われる境界線。境界線さえ掴めれば、ちょうど自分が上手く収まる、生きやすさが見えてくると思います。
 

佐々木 マーケティングと似ていますね。僕はパーティーピーポーには勝てないし、彼らのことを好きな女性への共感性は低い。インドア派の文系肌でややオタク気質、幸薄系の顔のひとがいいと見出して、どうすれば惹きつけられるだろうかって考えていた時期はありました。その結果を請けて「メンヘラホイホイ」って言われましたけど(笑)。
 

山川 ひどい(笑)。今回の対談の締めくくりとしては、ゲスの極み佐々木という結論で良いですかね(笑)。
 

佐々木 ベッキーみたいなハーフ系の顔は好みではないので、ゲス極ではないですね(笑)。「生きづらさ」について意見を交わせて良かったです。本日はありがとうございました。
 

山川 ありがとうございました。
 

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この記事を書いた人

木村奈緒

1988年生まれ。上智大学文学部新聞学科でジャーナリズムを専攻。大卒後メーカー勤務等を経て、現在は美学校やプラスハンディキャップで運営を手伝う傍ら、フリーランスとして文章執筆やイベント企画などを行う。美術家やノンフィクション作家に焦点をあてたイベント「〜ナイト」や、2005年に発生したJR福知山線脱線事故に関する展覧会「わたしたちのJR福知山線脱線事故ー事故から10年」展などを企画。行き当たりばったりで生きています。