「ポケモンGOは子どもがやるもの」と言ってる人が多様性の必要を説く恐さと愚かさ

日本での配信開始前からアメリカでのブームが話題になっていた「ポケモンGo」は新聞やTVでも取り上げられるほどの一種の社会現象にもなっています。と同時に(自称)文化人の方々の中には「ポケモンGO」についての批判を表明している方もいます。
 

初代のポケモンがゲームボーイで発売されたのが約20年前のため、現在の30代前半くらいまではポケモンをやったことがある人は多いと思いますが、それ以降の年代になるとあまり馴染みのない人が多いと思います。私は現在31歳なので、まさに初代ポケモンからやっていた年代です。というか、ポケモンをやるためにお小遣い貯めてゲームボーイを買ったのが小5か小6の頃です。
 

20160801
 

ポケモンGOへ批判的な意見を表明しているのが、現在40歳以上でポケモンと関わったことが少ない世代の方に多い印象を受けるのは、こういった背景もあるのだと思います。
 

ポケモン目当てに観光地や公園に集まる人たちを「迷惑だなー」と思うことも仕方がないことでしょう。私も普段はスマホのゲームアプリはやらないので、ポケモンGOをやるかやらないかは人の自由です。ちなみに私は最初にフシギダネを捕まえました。
 

家までの帰り道でピカチューもゲットだぜ!
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ポケモンの好き嫌いは人によって違いがあって当たり前だとは思いますが、facebookやTwitterなどで一部の方が、
 

「ポケモンGOなんて子どものゲームを大人がやっているのは恥ずかしい」
「いい大人がスマホ片手にゲームなんて情けない」
 

といった意見を述べている方がいるのを見て驚きました。
 

私がSNSでフォローしている方は人材関係のビジネスに携わっている方が多く、普段の投稿内容は「社会は多様性を受け入れる必要がある」とか「ダイバーシティが重要」などの真面目な内容の方が多いのですが、不思議なことに「多様性が重要」と述べている方の中で何名かは、先ほどの「ポケモンGOなんて子どものゲーム」という趣旨の発言をしているのです。この考え方は、実はすごく危険な気がします。
 

多様性が重要と言っている人たちが、
 

「ポケモン = 子どものもの = 大人はやってはいけない」
 

という図式を頭の中に抱えているのです。
 

これは、
 

「障害者 = かわいそうな人 = 助けてあげて当然の存在」
 

と思っている人たちと基本構造は同じです。
 

 

趣味のマラソン練習のために陸上競技場で練習後にサイホーンもゲット!
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私自身の多様性やダイバーシティに関する考え方は過去に書いた「わかりあえないことを、わかる。ダイバーシティという言葉の意味と罠」をご覧ください。要するに何を言いたいかというと「ポケモン = 子どものもの」に代表されるような先入観は多様性の理解と受容においてはマイナスに作用することの方が多いのではないかということです。
 

直感的に「ポケモンは嫌い」と思うことと「ポケモン = 子どものもの = 大人はやってはいけない」と思うことは似ているようでまったく違うものです。前者は個人的な感情ですが、後者は先入観による論理展開であり「自分の考え方は正しい」という思い込みです。そして、自分の考え方は正しいと思っている人が「多様性は大切」とか「ダイバーシティマネジメント」とか言っているのです。これはかなり恐ろしい状況だと思います。
 

「自分の考え方は正しい」と思っている人たちが「多様性」や「ダイバーシティ」という耳障りのいい言葉をつかって、自分の主張を正当化している。だから日本での多様性の理解なんて進まないし、生きづらさもなくならないんじゃないでしょうか。
 

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この記事を書いた人

井上洋市朗

「なんか格好良さそうだし、給料もいいから」という理由でコンサルティング会社へ入社するも、リストラの手伝いをしてお金をもらうことに嫌気が差し2年足らずで退職。自分と同じように3年以内で辞める若者100人へ直接インタビューを行い、その結果を「早期離職白書」にまとめ発表。現在は株式会社カイラボ代表として組織・人事コンサルティングを行う傍ら、「生きづらい、働きづらい環境を変える方法」についての情報発信を行っている。