わかりあえないことを、わかる。ダイバーシティという言葉の意味と罠。

先日、Web授業のSchooにて代表の佐々木と私の2名で「新しいダイバーシティ」というテーマで授業を担当させていただきました。
 

授業中はチャット形式で参加者からの意見や質問が寄せられます。肯定的な意見やご自身のリアルな状況を教えていただく方も多かったのですが、一方で「自分の障害のことをわかっていない」「自分はこんなにつらいのにわかってくれない」という否定的な意見も少なくありませんでした。ただ、私はこれらの意見に対してはっきり言いましょう。
 

「わかるわけないだろ」と。
 

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障害を抱えているというあなた、障害者から「障害者雇用のおかげで大企業で働けるんだよ」と言われたときの健常者の気持ちがわかりますか?
 

地方で仕事がないというあなた、東京生まれ東京育ち、故郷は都会のど真ん中の私の気持ちがわかりますか?
 

「そんなのは詭弁だ。ないものねだりだ。私の方が辛い。私の方が苦労している。」という方もいるでしょう。しかし、私のことがわからないのに、なぜ自分の方が苦労していて大変な状況だと言い切ることができるのでしょうか?
 

ダイバーシティにおいては多様性の受容と活用が重要だということはよく言われます。私もこの意見には賛成です。ただし、多様性を受容するということは、障害者を例にとって言えば、健常者が障害者を受容するのはもちろん、障害者が健常者を受容することでもあります。日本人と外国人であれば、日本人が外国人を受容するのは当然のうえで、外国人にも日本人を受容してもらわなければダイバーシティが実現しているとは言えないはずです。
 

障害者が「AとBについては手伝ってほしい」と言ったのに対して、無条件ですべてを受け入れることがダイバーシティなのでしょうか。私は違うと思います。「Aはできるけど、Bはできない」とはっきり意見を述べることも重要です。反論された障害者も「だったら、Aはしなくてもいいから、Bだけは手伝ってくれ。」と自分の意見を表明する。その議論を繰り返すことで、お互いの落としどころを探っていくと過程こそが重要なのではないでしょうか。
 

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これは障害者に限ったことではなく、男女間、世代間でもそうですし、ワークライフバランス、LGBT、外国人社員といったダイバーシティという言葉に関連して出てくるキーワードすべてに共通しています。
 

社会的弱者と言われる人の主張の場をつくったり、その意見を参考にすることは非常に重要なことですが、そのすべてを受け入れるのがダイバーシティだとは思えません。同時に、自分の意見を言う場を得た途端に、これまでの不満をなんでもかんでもぶちまけ、そのすべてが受け入れられることを望む弱者側の人間がいるとすれば、その人たちはダイバーシティを理解、実現できているとは言えません。
 

すべての人が幸せになる社会を目指すことは素晴らしいことです。ただ、その実現のためには個々人が譲り合う姿勢も必要です。「自分だけは損をしたくない」「自分はこれだけ苦労しているから他のひとより優遇されるべきだ」というような考えを持つ人たちがいる限り、誰もが幸せな社会など実現することはなく、ダイバーシティすら普及していくことはないでしょう。

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