障害を「個性」だなんて言うけれど。

「障害は個性のひとつなんです」
 

そんな言葉を聴衆に訴えかけて、先日の参議院選挙で初当選を果たしたのはSPEEDの今井絵里子氏。彼女の息子が聴覚に障害をもっていることは有名ですが、選挙戦での演説風景で冒頭の言葉を使っていたのは印象的でした。
 

「いやいや個性なんかじゃないし」
 

彼女の演説をテレビで見たとき、毎度おなじみの返答が心に湧き起こりました。「障害=個性」という捉え方が生まれたのがいつかは分かりませんが、私が小学生だった20年前くらいには使われていたように思います。当時、障害者や障害に対して今以上に偏見があったはずなので、この捉え方は新しかったのかもしれません。とてもポジティブだったのかもしれません。ただ私にとって「障害は個性ではない」と思い続けて20年であることもまた事実です。
 

この足を個性と捉えるか否か。
この足を個性と捉えるか否か。

 

個性とは個人・個体がもつ特有の性質や特徴のことであり、個人で言えばパーソナリティー(人格とか性格とか)を指します。
 

近年では、身体障害者の身体的特徴や精神障害者の症状をも、その人の個性であるという考え方も生まれている。いずれにせよ、たとえ客観的には不自由を強いる特徴であっても、それがその人らしさを形成する上で、必要不可欠な要素となっているのであれば、立派に個性の一端と呼ぶ事ができる。(wikipedia|個性

 

誰が書いたか分かりませんが、困ったときのwikipediaに「障害=個性」という点が言及されていることに驚きです。個人的には「立派に個性の一端と呼ぶ事ができる」には恣意すら覚えます。
 

20160118①
 

正直言うと「障害を個性だと捉えること」は一種の気休めだなと感じます。「個性」という言葉を使うことで、障害受容できていない自分の心の置きどころを作っていたり、自分の子どもに障害があるという事実を受け止めやすくするために用いたり。置かれている状況によっては「障害=個性」という捉え方をしたほうがいい場合はあります。しかし、そこには、なんとかして障害者の存在を肯定しよう、肯定しなければという意図が見え隠れします。考え方は人それぞれなのでああだこうだ言う権利はありませんが。
 

また、生まれつきの障害の場合に「障害=個性」という意識が働くような印象を受けます。障害児に対して用いられることが多いように感じられると言い換えることもできます。しかし、当事者からすると、障害受容できているかどうかに関わらず、障害はないほうがよかったと思うことがほとんどなわけで、そんな個性なんて要らないと思うこともしばしばです。この個性は自分で獲得したものではなく、選ぶことができなかったものです。
 

職場でハラスメントを受けて精神に障害を負ったひと。不慮の事故で首から下が動かなくなったひと。ひととの関わりに悩み続け、生まれて30年経って発達障害だとわかったひと。そんな方々に「障害は個性である」なんて、私にはとても言えません。障害を難病やウツといったものに置き換えても、言えません。特徴や属性ではあるかもしれませんが、個性とは言えない。「私の障害は私の個性です」と表現することは個人の自由だと思いますが、「障害は個性です」と障害者の全体論のように扱うことには多くの危うさが残ります。
 

20160303ニュース
 

障害者の「害」の字の議論、「チャレンジド」や「ギフテッド」のような障害者という表現の言い換えなども、「障害=個性」と同じような問題をはらんでいます。私は生まれつき両足が不自由ですが、そんなチャレンジもギフトも受精時に望んでいたとは思いません。「君が障害をもって生まれたことには何かのミッションや意味がある」と言われたことも数回ありますが、そんな意味は求めていませんし、そんなミッションは他所を当たって欲しかったところです。
 

障害者であるという事実は、今後の医療や技術の進歩がない限り、変えることはできません。どのような言葉で表現されようと、その事実を曲げることはできません。
 

人それぞれ何かを抱えている。その前提条件で互いを思いやることができれば、言葉などに頼らずとも、気遣いや気配りのある、暮らしやすい社会になるのではないでしょうか。目の前のひとに障害があろうとなかろうと、自分に障害があろうとなかろうと、過度に気にすることなく、困ったときはお互い様で接することができれば、少なくとも今よりは生きづらくない世の中になっているはずです。
 

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。