「病気を患っていることが外見からでは判断できない」という現実が引き起こす生きづらさ

ぱっと見、普通のひと。でも実は病気を患っていたり、障害を抱えていたり、痛みや痒みなどを耐えていたりという方々は少なくありません。
 

Plus-handicapでライターを務めている脳脊髄液減少症当事者の重光さん。以前取材に応じていただいた多発性硬化症当事者の浅川さん。このお2人の共通点は「病気を患っていることが外から分からない」ということです。外から分からないということは、理解されづらい、伝わりづらいということ。分かりづらさから生まれる生きづらさについて、お2人にお話を聞いてきました。
 

脳脊髄液減少症当事者の重光さん(左)と多発性硬化症当事者の浅川さん(右)
脳脊髄液減少症当事者の重光さん(左)と多発性硬化症当事者の浅川さん(右)

 

脳脊髄液減少症:
外傷性または突発性により発症する脳脊髄液が漏出・減少し、十人十色の症状を引き起こす病気。記憶障害、睡眠障害、免疫異常、全身倦怠、視力低下、光過敏、めまい、吐き気、体中のしびれや痛み等書ききれないほどの症状を引き起こします。
多発性硬化症:
自分の免疫が自分の神経を攻撃して、攻撃された部位が動かなくなってしまう病気。脳や脊髄、視神経のあちらこちらに病巣ができ、様々な症状が現れます。多くの場合、症状が出る「再発」と、症状が治まる「寛解」を繰り返します。

 

そもそも病気が認知されていない

 

脳脊髄液減少症は十数万~数十万人、多発性硬化症は約17,000人(平成24年度医療受給者証保持者数)の患者数がいると言われています。では、この2つの病気を知っているという方はどのくらいいるのでしょうか。実際、取材をしている私自身もお2人にお会いするまで病気の名前すら知りませんでした。
 

浅川さん:多発性硬化症は少なくとも1970年代には病名があって、今は難病認定されています。とは言っても、難病そのものが希少性がある病気なので、そもそも認知されづらいという点はあります。
 

重光さん:最近まで病気の存在自体が議論されていて、相談できる場所はほとんどありませんでした。東京でも2箇所しか治療できず、全国的にも40数箇所だけです。障害者手帳の対象にもなり得ないので、市役所の福祉課に相談しても力になってもらうことは難しいですし、存在自体知らないという方も多いでしょう。脳脊髄液減少症は交通事故や運動による外傷、時には出産が原因でも起こることもあり、症例は多いものなんですが。
 

浅川さん:難病認定されている分、知っているひとは知っているという状態があるのは、脳脊髄液減少症と違うところかもしれませんね。
 

病気は違えど、共通している点は多いと語るお2人。
病気は違えど、共通している点は多いと語るお2人。

 

風邪や腹痛など誰しもが患ったことのある病気であれば、その病気がどんな病気か分かりやすいのかもしれません。もし小学生にも分かるように説明するならばどのように伝えるのでしょうか。
 

重光さん:原因には外因性と突発性の2種類あって、とか詳しい背景は伝えなくてもいいと思うので、僕の場合だと、親知らずを抜いたあとの痛みが24時間365日、脊髄に沿って複数個所、同時多発的に発生している病気と最近は伝えています。
 

浅川さん:私が抱えている症状は痺れなのですが日常で起こりうる事例で説明するほうが分かりやすいので、2時間正座した後の足の痺れがずっと続く病気だよとか説明しますね。多発性硬化症は神経がダメージを受ける病気ですが、私の場合は症状が安定しているので普段は特に気にする必要はないんです。疲労やストレスが引き金となって症状が発生するので、ここまで踏み込んだら怪しいなという気がする時に自分でセーブする必要がある病気ですね。
 

重光さん:僕の場合は、いつも今で精一杯の病気ですね。
 

浅川さん:僕の場合は、朝起きたらどうなっているか分からない病気です。
 

病気が「見えない」から起こる伝わらないもどかしさ

 

脳脊髄液減少症と多発性硬化症。それぞれ、痛みに苛まれている、思い通りに体が動かないといった辛い思いをしていても、周囲にはなかなか伝わりません。病気が見えないものであるが故に引き起こされるもどかしさによって、様々な生きづらさを抱えることがあります。
 

重光さん:僕は治療後2年間くらい寝たきりで、今は症状がひどいときは一日寝ています。できることはスマホをいじるぐらい。頭は働いているのに、痛みで横になるしかない。仕事をしたいという意思はあっても体がついてこないから、周囲からはサボって見えたり、ホントに痛いの?って思われているのではと考えてしまったり。そんな状況が続くことでだんだんと自分はダメだなあという気持ちになっていくことが多いですね。都度気持ちを奮い起こしても、継続した痛みに屈して、ネガティブになるを繰り返しています。症状がずっと続いて痛みがひどいと、なかなか自分自身の現状を割り切れなくなっていきます。
 

浅川さん:例えば目が不自由な方の場合だと、これが苦手だろうなとか、配慮が必要だろうなとか分かりやすいと思うんですけど、自分の場合だと、ある程度病気を説明した上で、こういうことが苦手なんです、リスクがありますと説明しなくてはならない。薬の副作用で突然熱発することがあるんですとか、朝起きたときに体が思うように動かないかもしれませんとか。
 

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浅川さん:また「難病の一種で」というような説明の仕方だと相手が身構えます。「え?もうすぐ死んじゃうの?」という反応を受け取ることもありますし。「先生から病気についてはこのような説明を受けていてね」とかお医者さんの権威を使いながら説明することで、安心感を届けることもありますね。
 

重光さん:相手がなかなか自分の状況を分かってくれないということをなまじ知ってしまったせいか「分かってほしい」という気持ちが強くなっています。自分でもこの痛みが続く状況をどう折り合いをつければいいのか分からなくなってきている。へたれてても、しんどいときも、許してほしい。許しを乞うような気持ちになってきてるのかな。
 

以前、浅川さんを取材した記事では「感情とうまく付き合いながら、状況を論理的に把握する」という浅川さんの考え方をまとめました。「分かってほしい」という感情に対して、浅川さんならばどのように考えるのでしょうか。
 

浅川さん:相手に対する感情はさておき、「分かる」という言葉を極力使わないようにしていますね。難病患者の方へのカウンセリングを仕事として行っていますが、無闇に「分かる」という言葉を使うと「あなたなんかに何が分かるの?」という感情的な切り返しが生まれてしまう。具体的な困りごとがあって、その状況を相手が論理的に理解できていると「分かる」という言葉が使えるのかもしれませんが。私の経験で共感できる部分には共感しますが基本的には感情とは距離を置くようにしています。
 

重光さん:感情と距離を置くというのは大切ですよね。以前、Plus-handicapの編集長にも「病気について知ろうとは思いますが、重光さんの感情面まで理解することは無理でしょう」とバッサリ言われて、案外スッキリしたんだけど、相手に感情まで分かってほしいというのは求め過ぎかもしれないですね。個性という表現がいいか悪いか判断できないけど、個性として認識してもらえるくらいがちょうどいいのかもしれない。脳脊髄液減少症というタグが付いていますというような。
 

病気を周知させる意味

 

お2人の共通点が実はもうひとつあり、病気の認知度を高める、病気を患ってしまったときの情報源を作るための活動を行っていることです。浅川さんは「難病初心者の教科書」を電子書籍で発売していますし、重光さんは同病者の当事者同士が情報交換できるサイトを作ろうとしています。
 

浅川さん:情報が少ないと病気になったときに孤立無援状態になってしまう。特に難病の場合は認知度が低いため、周囲に相談したくてもなかなかこちらが欲しい回答を得られるわけではありません。そこで自力で改善しようと病気の体に鞭打って頑張ろうという感覚があって、実際、僕も自力で情報を集めていました。生活支援や金銭支援といった点を中心に「難病初心者の教科書」ではまとめていますが、病気が分かった頃の自分にとって必要だった情報ですね。
 

重光さん:脳脊髄液減少症の場合、早期発見・早期治療できれば、僕のような状態になる可能性はすごく低くなるんです。知っておけば未然に防げる、対処ができる。そこがサイトを作ろうと思ったひとつのきっかけですね。
 

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重光さん:当事者同士の情報交換ということもテーマにしていますが、基本的に同病者は際限なく続く痛みによってネガティブな心情になっていることがほとんど。病気として認知されていないことで社会的な制度が未発達ですし、治療法も確立されていないので当事者の工夫や知恵を共有することも大事。ただ、SNSみたいに直接やりとりをすると、最後は不幸自慢や他者批判につながるのではないかと考え、直接やりとりせずに情報を持ち寄れる場所・持ち帰れる場所としてサイトを整備していきます。
 

浅川さん:制度を上手く活用する、事例を活かすということができれば、未来への不安も少しは軽くなる。自分の人生を決めるのは自分自身の選択であり、そのために必要なのは情報。今はクラウドファンディングでお金を集めることができたので、全国の中核病院に「難病初心者の教科書」を配布するための準備をしているところです。病気が判明したことで明日への不安を感じている患者さんが、病院のベッドの上で読んでもらえる機会があればと思っています。
 

重光さん:僕はちょうど今、クラウドファンディングに挑戦中の身ですが、当事者同士がゆるやかにつながりをもつことで生活の質の向上に繋がって、当事者の社会復帰の後押しができるのかなと思っています。先日、初めて同年代の同病者に会って、何も気にすることなく話すことができたという嬉しさがあった。自分にとって必要な情報を交換する機会を通じて、自分と同じ境遇の方の存在を知ることが精神的な苦痛の緩和にもつながればなと思います。
 

脳脊髄液減少症当事者同士の情報交流サイトをつくる。 現在、クラウドファンディングに挑戦中です。
脳脊髄液減少症当事者同士の情報交流サイトをつくる。
現在、クラウドファンディングに挑戦中です。

 

情報を数多く持っているということは、自分の人生において何かあったときの保険のようなものかもしれません。それは自分だけでなく、家族や友人といった方々に対しても当てはまることでしょう。当事者でなければ興味が持てないようなことも、頭の片隅に入れておくだけで先々の不安が緩和する。これは大切な観点なのではないでしょうか。
 

毎日際限なく続く痛み、朝起きたらどうなっているか分からない不安。お2人が抱えているものは外からだと分かりません。分かりやすい生きづらさを抱えているほうが配慮は集まりやすいものです。しかし、誰しもが何かしらを抱えているという前提に立って周囲に気を配ることができる社会こそ、生きづらさのない社会に一歩近づくのかもしれません。
 

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。