音と向き合い、人と関わり、得たこと

前回に引き続き、自己紹介にお付き合い下さい。学生の頃より私は、音楽で生きていこうと作曲とライブ、イベント運営に明け暮れていました。「自らが納得でき、作りたい音」と「他者が喜び、お金を払ってくれる曲」が違うことに気づき、音楽は趣味!と納得できるまでに数年を要しました。
 

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その後、前回の記事で取り上げた持病の脳脊髄液減少症の発症を挟みながらも、IT系企業2社を経て現在に至ります。2社目では、完全能力主義のもと全力投球しましたが、サブプライムローン、リーマンショックの余波で社員の首を切っていく会社組織に疑問を感じ、「社員に優しい会社を起業をしたい」と今思えば甘いことだったなと思いますが、漠然と起業することを考えていました。
 

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バンド結成早々にメンバーに誘われたことがきっかけとなり、障害児と関わるようになりました。写真は、知的・発達障害児の放課後施設が行っている週末ボランティアでの運動会の様子です。一緒に二人三脚をしていた自閉症の彼は、早いものでもう高校生です。
 

今でこそ障害福祉現場に身を投じていますが、当初の私は「福祉?ボランティア?自分には関係ない。」といった感じでした。友人を誘った時も、私がボランティアをしていることを信じて貰えなかったぐらいでした。始めの頃は、子ども達へ言葉が通じない、接し方が分からない等、未経験の世界に悩み、時に疲れていました。それでも続いたのは、「親亡き後、子ども達が社会の中で少しでも自立し、幸せに人生を歩んで欲しい」という願いのもと、職員やボランティアの熱意に、ある種の衝撃や新鮮味を感じたからです。人は、他者のために、こんなにも真剣になれるのかと。
 

私自身も回を重ねるごとに、徐々に障害やボランティアに対する思い込みが解け、子ども達との双方向のやりとりができるようになりました。更には、そこにいる自分が、装わず、力まず、自然な状態でいることに気がつきました。結果的に、私は彼らとの関わりから、人生観や人と関わることの楽しさのヒントを貰いました。同時にそのような魅力溢れる場だなと感じつつも、労働条件や賃金等からあくまで職員ではなくボランティアとして一定の距離をおいた関わりに留めていました。
 

そんな中、前職の経験を活かした環境関連の起業を念頭に、“新しい日本を創造するネクストリーダー養成学校”一新塾の門を叩きました。入塾後、改めて自らを振り返ると、子ども達との関わりが今の私に大きな変化をもたらしていたことに気づくと同時に、障害福祉現場の可能性と課題が見えてきました。
 

・彼らには、成長の可能性が大いにある。

・彼らを育成する施設が、今危機に瀕している。

・彼らは、社会を変えるカギを握っている。私自身、それを実感している。
 

この2年、現場に入り、学校・行政・家庭・複数の施設と関わっていくうちに、可能性や改善余地の大きさ、社会からどう認識されているか、制度変更のメリット・デメリット等、より一層実感してきました。障害児者が生き生きと社会生活を送れる社会を目指し、障害児者と関わり手の双方が学び・成長し合える社会を目指したいと考えるようになりました。私たちの活動の様子や障害福祉情報を、両育わーるどFacebookページにて発信しています。
 

音楽活動と療育施設でのボランティアを始めてから、早十数年が経ちました。当初、中学生と大学生だった写真の彼と私と、きっかけをくれたバンド仲間の三人は、三十を越え、今では飲み友達です。
 

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写真は、去年、私が彼の職場である特例子会社の業務に一日同行した際の一枚です。気を抜くことのできない正確さと体力を求められる責任のある職務だなと身をもって体験しました。彼の上司曰く「毎朝、会社に一番乗りして、大勢の社員に積極的に声を掛け、現場のリーダーとして活躍している。」
 

私「たまには、休みたくなったりしないの?」
彼「そんなことは思わないですよ。毎日楽しいから。」
 

前回の脳脊髄液減少症の記事、そして今回書いた知的・発達障害の子ども達との関わりと、音楽への全力投球が、今の私を形成したように思います。2回に分けて、自己紹介をさせて頂きました。次回からは本題である、知的・発達障害児の育成現場の可能性と課題、脳脊髄液減少症の現状について書いていきます。よろしくどうぞ。
 

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