自責で考える人が増えれば生きづらさは減るのか?

「他責の人間ではなく、自責の人間になりなさい」
 

最近では新入社員研修でもこう教えるようになっているそうです。自責の人間の方が自分の頭で考える分、成長が早く、企業としても戦力になるというロジックです。
 

この考え方自体はまったくその通りです。
 

結果が出なかったとき、他責にしてしまうと自分の行動変化につながりません。外部環境が変化していなければ、次も同じような結果を招いてしまう可能性が極めて高くなります。
 

jikosekinin
 

しかし私は思うのです。
 

「自責で考えなさい」と他人に対して言ってしまう人が、実は他責なのではないか?と。
 

例えば、部下が仕事で失敗をしたとき「自分が悪いんじゃなくて、○○さんのせいで・・・」と言い出しました。この部下をA君としましょう。A君の考え方は明らかに他責です。それに対して上司Bは、「お前な、人のせいにしないで自責で考えなさい。次から同じ失敗をしないためにどうするんだよ」。A君が自責で考えられる人間になるために、A君のことを思ってアドバイスをします。
 

A君は「わかりました」と答えながらも、心の中では「じゃあ、Bさんは何をしてくれるんですか?」と思っている。つまり、A君の中では上司Bの「自責で考えろ」という発言そのものが「他責」に聞こえたのです。この場合、A君の性根が腐っているのでしょうか?
 

確かにA君の考え方は変えた方がビジネスマンとしては成功しそうな気がします。しかし、A君が上司Bに対して抱いた感情は当然だとも思うのです。「自責で考えなさい」と普段から言っているくせに、「どうしたらA君が自責で考えられるようになるのか?自分の伝え方がまずかったのではないか?」と内省している様子が感じられなければ、「結局うちの上司は人に責任を求めて、自分では責任をとらない」と思ってしまうのです。
 

もしかすると、上司BはA君のためを思ってアドバイスをしただけで、内心では「自分の伝え方が悪かったな、次からはどうやって伝えようか」と考えている可能性もありますが、それは誰にも伝わっていません。結局、周囲からは「あの人は『自責』って言葉を自分の都合の良いように使っている」と感じられてしまうのです。
 

最近聞かれるブラック企業の経営者も同じではないかと思います。自分の身一つで事業を大きくした経験のある方ほど他者に対しても自責の思考を求めます。中小企業の経営者なんかに多いタイプです。経営者の方々は自身の経験から、他責思考よりも自責思考の方がうまくいくという考えがあるのでしょう。その結果、自分以外の人間に対しても自責で考えることを求めます。悪意があるわけでもなければ、自分の責任逃れのためでもありません。
 

「自責で考えなさい」と言われた人間の立場からすれば、「この人の伝え方が悪かったくせに、結局自分の責任にされた」と感じてしまうことがあります。このギャップを埋められなければ、どんどん二人の関係はぎくしゃくしてしまいます。私が行った早期離職者100人インタビューでも見られました。よくよく聞いてみると、本人の被害妄想ではないか?と思われる場合もあるのです。
 

jikosekinin2

 

自責思考を求められた本人が相手に対して「この人は他責の人だ」という感情を抱いたのは事実です。
 

みんながみんな自責で考えることができれば、 きっともっと生きやすい世の中になることでしょう。 しかし「自責思考になることを」を実践しながらどうやって伝えるのか?「自責思考になりなさい」と言った途端に、相手の行動変化を要求しているわけですから、自責ではなく他責になってしまいます。
 

トンチのような禅問答のような話ですが、自責思考をすることと、自責思考の重要性を伝えることを両立すること、これは簡単なようで難しく、その難しさ故に情報の発信者と受信者で認識のギャップが生まれてしまい、ブラック企業論や生きづらい社会論につながっている気がしてならないのです。
 

記事をシェア

この記事を書いた人

井上洋市朗

「なんか格好良さそうだし、給料もいいから」という理由でコンサルティング会社へ入社するも、リストラの手伝いをしてお金をもらうことに嫌気が差し2年足らずで退職。自分と同じように3年以内で辞める若者100人へ直接インタビューを行い、その結果を「早期離職白書」にまとめ発表。現在は株式会社カイラボ代表として組織・人事コンサルティングを行う傍ら、「生きづらい、働きづらい環境を変える方法」についての情報発信を行っている。