障害者雇用の現場で障害への配慮がうまくいくための鍵は「自発性」にある

今からちょうど10日後の9月1日、あなたの職場に耳の不自由な障害者が配属されると連絡が来たら、障害者社員を受け入れる準備が進められるでしょうか?社交不安障害を抱える障害者が配属されるとしたら?強いこだわりをもつアスペルガー症候群の方だった場合は?「大丈夫、OKです」と素直に答えられるほうが少ない気がします。職場に限らず、地域や学校といったコミュニティ単位で考えていくと、比較的同じような場面に直面する可能性はあります。
 

障害者雇用の観点でいえば、同じ時間、空間に障害者が加わることが分かれば多くのひとが身構えるものです。身構える根本的な原因が不安や心配にあるとすれば、受け入れる準備を進めることで、それはだんだんと緩和されていくはずです。反対に障害者側から見ると、職場側に配慮を求めるのは障害者側の権利として公使できるものですから、受け入れる側に準備を期待することは当然の話です。
 

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多くの場合、障害者雇用でうまくいかない(障害者社員が離職してしまう)理由の上位に挙げられるものが「職場の配慮不足」や「同僚の理解不足」といったものです。株式会社ゼネラルパートナーズが運営する障がい者総合研究所の転職・退職理由に関するアンケート調査でも同様の結果が挙がっています。互いが重要であることを認識している「配慮」や「準備」がうまくいかないのはなぜなのでしょうか。
 

「配慮」ではなく「遠慮」が横行する職場

 

障害者に対して「何に困ってるの?」と聞くことができるひとはどれくらいいるのでしょうか。例えば、耳が不自由なひとに「何に困ってるの?」と尋ねるのはなかなか勇気がいることかもしれません。「耳が聞こえないから、聞く・話すが困るに決まってるじゃん!」これは尋ねなくても分かることです。しかし、耳が聞こえないことが理由で具体的に困っていることが何かは、耳が不自由な一人ひとりにとって厳密には違うものですし、「分からないことは質問しよう」というのは、そもそも社会人の最初に学ぶことではないでしょうか。
 

耳が不自由でも唇を読むことを通じて相手の意見を受け取れるひとがいますが、その人の場合は1対多数のコミュニケーションは難しくても、1対1は比較的可能です。だとすれば、配慮すべきポイントが想像と異なってくるかもしれません。耳が不自由だと手話を使っているイメージを抱くかもしれませんが、視覚を用いて情報交換するのであればチャットのほうが簡単で、わざわざ手話を覚える必要はありません。最近の障害者だとアプリを活用することに長けていたり、様々なツールを知っていたりと、受け入れる側が想像している以上に工夫と知恵を持っています。
 

つまり、事前にあれこれ仮説に基づいて準備する以上に、実際に障害者相手に「何に困っていて何を配慮すれば仕事が円滑に行えるのか」を聞いたほうが早く、正確なのです。もちろん、情報伝達がしやすいように小さいホワイトボードを用意するといった備品の準備などは事前に行ったほうがいいことです。ただ、相手が障害者だから聞けない、聞いたらいけないのではないのかといった感情はただの遠慮であって、配慮ではありません。むしろ、かわいそうな存在、アンタッチャブルな存在だと思っていることが相手に透けて伝わっていそうです。
 

身体障害者だから聞けるんだよ、精神や知的は難しいのではないか。そんな意見もあると思いますが、本人じゃなくても家族や支援者(例:就労移行支援施設や前職の作業所など)に聞けばいい話です。採用を決めた人事部門の担当者に掛け合ってもいいでしょう。本人の言葉ではない分、正確さに欠ける部分はあるかもしれませんが、聞かないよりはマシ。相手が障害者だから、家族だから、支援者だからと遠慮せず、どんどん突っ込んで質問攻めにすればいいだけです。逆説的に言えば、そこで得られなかった回答部分を配慮する必要はないのです。もちろん、仕事を進めていく上で想像しなかった困難さに直面することはあると思いますが、そのときに「想定外だったね」と笑って言い合って、本人と職場側で相談すればいいだけの話です。
 

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なぜ自分から配慮してほしいポイントを開示しないのか。

 

障害者雇用で辞める原因に「職場の配慮不足」や「同僚の理解不足」があると書きましたが、働く障害者社員側には何の落ち度もなかったのでしょうか。個人的には、不足していると感じたならば、改善提案すればいいだけの話ではないかと勘繰ってしまいます。改善提案した結果、受け入れられなかったこともあるかもしれませんが、それは企業の努力不足もあれば、本人の努力不足もあるかもしれません。1回伝えただけですべてが変わるなら、障害者雇用に限らず、この世界はもっとうまく回るものだと思います。また障害があるとはいっても実績のない社員の言い分をすべて律儀に聞く会社が多いわけではありません。少なくとも「自責で考える」ことを疎かにしてはいけないと考えます。
 

新しい職場に配属された際、障害者雇用の枠組みで就職し、自分自身の障害をオープンにできる場合は「ここを配慮してほしい」と事前に宣言すれば早いのではないでしょうか。5個なら5個、10個なら10個。先に言ってしまえばその後のストレスは生まれにくいはずです。また、配慮も1日2日で完璧に実現するわけではありません。企業努力として早急に整備すべきですが、障害者社員側も「待つ」という度量の広さを見せてもいいはずです。
 

「私の障害を分かってくれない」や「周囲が配慮してくれない」といった障害者側からの発言は、置かれている環境によってはこの発言が非常に緊迫度の高いこともあると思いますが、前提として他人は自分のことを100%理解してくれるわけはありません。察してほしい、気づいてほしいというのはお願いではなく単なるわがままです。言わず・知らせずの状態で、配慮が足りない・理解されないというのは、少なくとも私が同僚ならばズルいなと感じてしまいます。障害があるとはいえ、社会人同士、仕事で協力体制が取れるように自発的に行動を起こしていくことが大事なのではないでしょうか。
 

これもまた、自発的に言える・言えないという分かれ道が障害の種類や程度によって表れる問題です。自発的に言えないからこそ「職場の配慮不足」や「同僚の理解不足」につながるという事実も否定できません。ただ、自発的に言えないのであれば、その状態が一番、配慮不足や理解不足につながりやすいという事実だけは認識しておく必要があると思います。それすら無理というのであれば、ここまでの議論は障害者雇用における一般就労の話が主になっていますが、福祉的な就労に向かわざるを得ないのではないでしょうか。酷な話と言われるかもしれませんが、たとえ本人が望んでいても深い傷を負うリスクが高いのであれば、その道を薦めるのは賢明ではありません。
 

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「配慮」はコミュニケーションの一環である

 

「仕事は1人ではできない」と言われることがありますが、1人でできないのであれば複数人で実施せざるを得ないということ。つまり、コミュニケーションが必要となります。双方向のコミュニケーションがうまくいくためには「まず自分から発信する」ことが重要です。相手を待っていてもうまくいかないですし、自分が主導権を握ることで自分の進めたい方向へ持っていくことができるからです。職場での配慮も同様で、自分が働きやすい職場を実現したいのであれば、働く障害者自身が主導権を握ってしまえばいい話です。ただ、職場というものは既存の社員で構成されているもの。その職場で働く先輩にとっても働きやすい職場でなくては意味がないので、企業側も積極的に主導権を取りにいけばいいだけのこと。障害者側も企業側も積極的に働きやすい職場を作るための議論や行動が生まれる。それが職場での配慮の前進となるのではないでしょうか。
 

障害者差別解消法が制定されたことで、職場だけでなく学校や地域生活でも、障害者に対する配慮を今まで以上に整備する必要が出てきました。障害者が暮らしやすい社会になるために、非常に有意義なことだと思います。ただ、障害者側は待てばいいという話ではありません。当事者が発信していくことで、当事者の日常により適合した社会が生まれていくのだと思います。「当事者発信」と「社会側の仮説立案」この2つが噛み合わなくては互いにとって不必要なストレスが残るものとなります。その好例悪例が障害者雇用の世界に眠っているような気がしてなりません。
 

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。