患者からの「新人イジメ」への対応方法と、支える者としてのあり方

経過が長くなる病気を見る病院や施設などでは、少なからず患者からの「新人イジメ」があったりします。それは、本当に些細なものだったりするのですが、来たばかりの新しいスタッフはやっぱり戸惑うもの。それをどう乗り越えていけばいいか、そして支えるものとしてどうあるべきか、少し考えてみたいと思います。
 

20150611コラム写真①
 

患者からの新人イジメ

 

イジメ…といっても、そんなに激しいものがあるわけではありません(私の経験上)。新人のケアを受け入れてくれず、経験のあるスタッフを指名するとか、話を聞いてくれなかったりとか、ときに意地悪な言葉をかけられるとか、そういったものです。そしてそれは、長く通院・入院するような病気を扱う場所で起こりやすいような気がします。
 

例えば、私が以前働いていた透析クリニック。透析は、腎臓が機能しなくなる病気・腎不全の患者さんが行う、腎臓の代替治療のことです。腎不全は治る病気ではないので、患者さんは生きている限りずっと、その治療を続けることになります。したがって、患者さんはクリニックに定期的にかつ長く通わざるを得ません。長く通っていれば、新人スタッフとベテランスタッフの区別が容易につきます。新しい顔を見れば、「あ、新人が来たな」とすぐにわかるわけです。そこでターゲット、ロックオン。ちくちくと、小さな意地悪が始まります。
 

また、私が今働いている精神科病院もそう。なかなかすぐに退院できないので、年単位で入院している人も珍しくありません。何度も何度も入院と退院を繰り返している人もたくさんいます。そんな患者さんたちも、やはりスタッフとは顔馴染みなので、新人とベテランの区別ははっきりとついてしまいます。会話が成立しないような病状の人だって、わかっています。いつもと違う人だなと認識されれば、そこでターゲット、ロックオン。ベテランスタッフ以外の話なんか聞いてはくれません。
 

なぜイジメが起こるのか?

 

ではなぜ、そういうことが起こるのか。私はおそらく、信頼関係の問題じゃないかなと思います。
 

病気との付き合いが長い患者さんは、新人スタッフより病気のことをうんとよく知っていたりします。そんな人が、新しく入ってきた知識のない人にすぐ身を委ねるというのは抵抗があるのでしょう。長く付き合わなければならない病気には、生活指導も必須になってきます。自分のことを何もわかってない人に、生活のあり方をとやかく言われるのって、きっと嫌な思いがするだろうなと想像しています。
 

だから、患者さんは新人には容易く心を開かない。できれば、自分のことや病気のことをよく知っているベテランに対応してほしい、そう思うのは当然のことでしょう。とはいっても、意地悪なことをしていいかと言われると、それはまた別問題だと思うのですが、そうしたくなる気持ちはわからないでもないかな、と思ったりするわけです。
 

20150611コラム写真②
 

新人イジメを乗り切る方法

 

私自身、以前の透析クリニックでも経験しましたし、今の精神科病院でもちくちくと意地悪されることがあります。ごくごく一部の人から、ですけれど。いちいち傷つきはしませんが、どうしたものかと思うわけです。そんなときに私が心がけていることは、逃げないで、とにかく真摯に対応すること。
 

対人関係において、「ザイアンスの法則(単純接触効果)」というものがあります。その内容は、
 

1)人間は知らない人に、攻撃的で冷淡な対応をする
2)人間は会えば会うほど、その人に好意を持つようになる
3)人間は相手の人間的側面を知ると、より強く好意を持つようになる
 

というもの。最初は「苦手」「嫌い」だと思ってしまっても、繰り返し接していれば、印象は変わる可能性があるというものです。
 

意地悪されるからといって「この人苦手」と言って逃げてしまっては、看護に大事な信頼関係は築けません。繰り返しその患者さんと接して、わからないなりに、新人なりに、一生懸命やっているんだということを知ってもらうのです。新しい職場の勝手も、患者さん個々の特性もわかっていないけれど、私はいい看護を提供しようと心がけています、あなたと向き合いたい。言葉で「頑張ってます」なんて言ってもダメ。とにかく、態度で示します。
 

仕事はテキパキと。わからないならすぐに聞きに行く。できるだけ待たせない。傾聴スキルのフル活用。「看護師」という資格への信頼性に頼らずに、「人対人」の関わりを小さく積み重ねていくこと。どうしてもダメなときは、ベテランスタッフの力も借りながら。そんな努力をしていけば、いつか患者さんが認めてくれて、心を開いてくれるときが来ます。とても地道だけれど、これが「新人イジメ」には一番の対応方法なんじゃないかなと思います。
 

20150611コラム写真③
 

誰かを支えるということ

 

看護師という仕事は、病気や障害を抱えた「人」の健康を支える仕事。それは、人に個性がある以上、すべてを型にはめることはできません。それぞれバックグラウンドが違えば、価値観も違う。「健康」の定義そのものすら、人によって違います。何がその人にとって健康な状態なのか、どんなケアを必要としているのか。それを拾い上げるのは看護師のスキルであり、その支えとなるのは信頼関係なのです。
 

でもそれって、看護師に限らないのではないでしょうか。誰かの支えになるためには、信じてもらわないと本当の意味では響かないし、支えにならない。受け入れてもらえません。そのために必要なのが、繰り返し接すること。その機会を失わないこと。私たちが相手のことを見捨てないこと。それがあって初めて、支援の手を届ける道が開けるのではないでしょうか。
 

今までそうやって乗り越えてきて、今の職場ではまだ向き合っているところです。精神科では病状によって認識も変わってしまうので、それがまたやっかいなところなんですけれど。悩んだり迷ったりしてしまうこともありますが、人との接し方に絶対の正解はないと思うので、一人ひとり誠実に接していきたいです。
 

専門職者としては、毅然と。人としては、柔らかく。そんな看護師でありたいと思います。
 

※この記事は「GOOD!! Log」の記事を加筆・修正したものです。
http://www.ayk-i.com/post-1857/

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この記事を書いた人

小松 亜矢子

1984年生まれ。自衛隊中央病院高等看護学院卒、元うつ病のフリーライター。元精神科看護師。22歳でうつ病を発症し、寛解と再発を繰り返して今に至る。そんな中、自分自身のうつ病がきっかけで夫もうつになり、最終的に離婚。夫婦でうつになるということ、うつ病という病気の現実についてもっと知ってほしいと思い、ブログやウェブメディアを中心に情報発信中。孤独を感じるうつ病患者とその家族を少しでも減らすことが願い。