お母さん、僕は差別を受けてたんだね。知らなかったよ。障害者差別解消法が国会で可決されました。

 
2013年6月19日午前、「障害者差別解消法」が参院全会一致で可決。2016年4月の施行に向けて進み出しました。もともとは「障害者差別禁止法」という名称だったこの法律。障害者の社会進出の支援に向けて大きな一歩を踏み出しました。
 

障害者差別解消法。これまた素晴らしいネーミングですね。ちなみに日本の法律で「差別・解消」という言葉が使われたのは障害者が初めてです。私自身、差別を受けていたことを28歳にして自覚しました。差別受けていたのかあ。どうりで生きづらいわけですね。
 

この法律では、公共機関や民間企業に対し、障害を理由とした不当な差別的取り扱いを禁じ、過重負担にならない限り、施設のバリアフリー化を進めるなどの配慮を求める内容になっています。また、差別を解消するための支援措置として、情報収集や啓発活動といったことにも力を入れていくことが明らかになっています。
 

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参照元:内閣府ページ http://www.cao.go.jp/houan/doc/183-5gaiyou.pdf
 

「何が差別にあたるのか」という基本方針は2016年4月の施行までに閣議決定されるそうです。現状は法律を施行することは決まっているけれども、詳細はまだ何も見えていないといっても過言ではないでしょう。大枠が決まってから国会に提出でもよかったように思いますが、今後、有識者らで組織されている障害者政策委員会で詳細が詰められていくようです。
 

何とか私もその委員会の一員になれないのでしょうか。雇用の現場で人事コンサルタントとして、研修の現場で研修講師として、企業と健常者に対峙してきた障害者ビジネスマンの意見って有効だと思うのですが。障害者の身体を持ち、健常者のマインドで生きてきて、普通教育を受け、就職し、起業している人間なんて、障害者の世界にそんなにいません。そして若い。未来を創る世代だ!適任ではないか!そうだそうだ!
 

失礼しました。つい自己顕示欲が出しゃばりました。

 

障害者の差別が解消され(今まで差別を受けていたことに自覚はありませんでしたが)、権利が定まっていくという過程の中で、誰が話し合い、何が話し合われ、何が決まっていくのか。この場面に不在な自分がものすごく怖い。障害者の立場になって考えることが健常者にできる訳なんてないのに。
 

ただでさえ投票率が低い昨今、障害者の投票率はそんなに高くないと言えます。行く・行かないという意識の問題もありますが、身体の不自由による移動困難さによって、普段とは異なる移動導線上にある選挙場に行くことへのストレスが増したり、知的障害等によって、投票への判断能力の有無を問われたりと、障害を理由に選挙に行けない、投票権を得られないこともあるのです。そもそも、ここに明確な回答を提案しきれていない状態で、何が障害者差別解消なんだと思います。
 

政治参加が難しい状態にある障害者の皆さんが、この法律が作られるプロセスをどのように追いかけ、情報を得ているのでしょうか。障害者である私自身は法律が可決されるまで名前しか知りませんでした。本当にお恥ずかしい限りです。もし多くの障害者が知り得ないのであれば、そこは当事者が不在のままで知らぬ間に作成されたことになるのでしょう。口を広げてエサをくれという雛鳥のように、情報を待っていただけじゃ障害者の皆さんダメですよ、自分で取りにこなきゃと言われているのでしょう。これは障害者に限った話ではなく、日本人の多くは法律を知らぬ間に作成され、交付され、施行されているのでしょう。
 

この法律を作るまでにたくさんの方々が尽力されたことだと思います。本当に尊敬に値しますし、感謝の言葉は尽きません。しかし、私の周りにいる数少ない障害者の友人は、この法律の存在や内容を知りませんでした。私たちだけ意見が反映されていないのかもしれませんが、そんなことはないと思います。障害者に関する学会やシンポジウムもあると思いますが、その存在を多くの障害者は知りません。行けません。
 

日本は2006年国連総会で採択された「障害者権利条約」を批准できていない状態でした。すでに130ヶ国が批准しているのにも関わらず、7年という時間をかける日本の政治。さすが日本、らしさ爆発と言わんばかりのことです。
 

どうせ後発になったことですし、いっそのこと【障害者国民投票】をして、障害者の意見をもろに反映した法律を提案してみませんか?移動困難ならば投票日を1週間にするとか、選挙管理委員会がお宅訪問するとか。判断能力に関しては先日の判例で違憲と見なされたはずです。20歳以上の障害をもつ有権者みんなが投票できる仕組みを作り、障害者の福祉に関しては私たちから発議する。
 

結局のところ、法律ができようとバリアフリーなどの配慮が義務づけられようと、当事者である障害者の意識が変わらなければ意味がありません。意見が反映されなければ意味がありません。健常者目線での改革なんて疑問符が灯ります。健常者の有識者とか支援者とかを外して、私たちだけで立ち上がってみませんか?有識者・支援者の方々の理論は時に参考になりますが、時に意見の混乱を招きます。まずは、障害者が声を上げ、手を上げて、国家(健常者側)に提案する。このプロセスを実践することで、私たちは差別を受けている立場に甘んじていないことを証明してみませんか。
 

ここに【障害者国民投票】論を発表してみたいと思います。
 

ところで「障害者差別解消法」というネーミングはどうにかならないでしょうか。どうしても受け容れられません。
 

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。