世界子供白書2013のテーマは「障がいのある子どもたち」

 
ユニセフは2013年5月30日ベトナムのダナンで、世界子供白書2013を発表しました。世界子供白書は、子どもに影響を与えている世界の傾向(例:貧困、疫病、無戸籍など)について、テーマを絞り包括的に分析した結果報告書で、1980年から毎年発行されているユニセフの基幹出版物です。今回、創刊以来初めて障がいのある子どもをテーマに発行されました。
 

 

世界子供白書日本語要約版はこちらから

 

上記のyoutubeの0:24頃に浮かび上がる字幕に「障がいのある子どもたちは、世界で最も疎外された存在です」という一説があります。この言葉は寂しい響きであると同時に純然たる事実でもあります。
 

世界子供白書(要約版)序論を読むと、「多くの国では、障がいのある子どもたちは施設に入れられるか、放置または育児放棄されている。(中略)障がいの種類、住んでいる場所、帰属する文化や階層に応じてさまざまな形態の排斥に直面し、それによって受ける影響の程度も異なる。」とあります。例えば日本の学校では、特別支援学級という、教育上特別な支援を要する生徒のための学級を置くことができます。ここには必然的に障害をもつ生徒が集まります。障害があっても学校で勉強ができることに間違いはありませんが、健常者と障害者を「分けて」学級運営していると考えることができ、「分ける」という点だけ見れば疎外と解釈することもできます。
 

最近、耳にすることが増えてきたバリアフリーやユニバーサルデザインという概念は、特に現在の移動環境において障害者のことを考えて設計されていなかったからこそ、生まれてきています。つまり障害者を疎外してきた歴史の上にある言葉です。上記の事例で挙げた学校という観点でいえば、校舎3階まで行く移動手段が階段以外になければ、車いすの生徒を疎外して設計したと言えるのです。
 

また、イマドキの子どもたちは、家庭用ゲーム機を使って遊ぶ時間が増えてきています。目が不自由な子ども、耳が聞こえない子どもはどうやって家庭用ゲーム機で遊ぶのでしょうか?工夫しない限り難しい、できないといった回答が多いと考えられますが、これも疎外であると言えるのです。
 

先進国であり、福祉制度が充実している日本でさえ、まだまだ公平性が足りないのが現状です。発展途上国であれば、なおさらのこと。子どもが障害をもって生まれてくる、障害を抱えてしまった、この理由だけで命を奪う場合もあれば、戸籍を提出しない(社会から抹殺する)場合もあります。普通教育を受けさせない、食事を満足に与えないということも十分に存在しています。
 

今回の白書の発表にあたり、ユニセフのアンソニー・レーク事務局長の訴えの中には「子ども(その人物)ではなく、“障がい”に目を向けることは、その子どもに対して不当であり、その子どもが社会に貢献できる全ての可能性も奪う行為なのです。子どもたちがそうした可能性を失うことは、社会も、その可能性を失うことなのです。子どもたちが何かを出来るようになれば、社会そのものが、何かをできるようになるのです。」とあります。
 

世界子供白書2013のキーワードは「インクルージョン」、つまり「誰もが受け入れられる社会」というものです。また、ユニセフはこの社会を創り上げていくためのアプローチとして重要な考え方をアクセシビリティとしています。利用しやすさという考え方です。「誰にとっても利用しやすい」という考え方をベースに、障がいのある子どもが教育の恩恵を最大の享受でき、自らが住むコミュニティに最大限参画することができ、自分の可能性を追求することができると考えているのです。
 

障がいのある子どもに対してのユニセフの回答は「インクルージョン」でした。しかし、一番大事なことは、障害をもつ本人とその周囲が「インクルージョン」を大切だと思っているかということです。自分自身の障害に囚われている状態の中では、誰もを受け入れることはできません。恋人にフラれた直後、自分の横を歩いているカップルにネガティブな感情を抱いてしまうことと似ています。
 

ユニセフは支援する側です。障害者は支援される側です。支援する側のユニセフが一方的にインクルージョンと言っても、支援される側の障害者と障害者の周りにいる人にその意識がなければ意味がありません。意見の不一致、ミスマッチが起こるだけです。障がいのある子どもに対してインクルージョンな社会を創っていくという意志を、ユニセフは障害者側に伝えてくれました。今度は今まで支援を受けてきた私たち障害者が、意識を変革する番です。
 

障害者は意識を変えなくてはいけない。そのために周囲は障害者に改善を要求していかなくてはいけない。障害者は周囲からの改善提案を受け入れ、自分自身が変わっていかなくてはいけない。これは逆も然りです。あくまで私の経験則からですが、障害者は意見を言われることに慣れておらず、改善点を伝えることにも慣れていません。互いに意見し、すり合わせ、改善活動し合える世の中が真のインクルージョンなのかもしれません。単純に相手のことを受け入れればいい、受け入れられればいい、今のままで受け入れ合おう。そんな甘ったるいことではないのだと思います。
 

(注)文章中の障害者の表記に関して
ユニセフは「障がい者」と訳語を使っているため、本文中でもユニセフが主語、ユニセフの言葉を借り受ける場合は「障がい者」と使っています。私の意見、言葉として使う場合は「障害者」としております。
 

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。